第13話 しっかり者の菊さんの助け

「あんたの母親があの鹿のもとへと嫁がず、蒼大そうた様と祝言を揚げてしてしまった時は、村のお役目もこなさず無責任だと思った。けれど、あの鹿へ嫁いだ娘は、あの鹿の影に隠れて我が物で、この家を練り歩くなんて……本当に身の程知らずなんだから」


「なんで、そんな事を言うんですか?……」

 

 村の代表としての伯父様と話し終え、一人になった私のもとへ奥様がやって来た。奥様の言葉はどれも理解できなく、疑問の言葉が自然に、口から飛び出していた。鹿島様は傷つきながらも、いつもこの村のために前に進んでくださる。なのになぜ?


「怒っているの? 今まで人形のようにただ、うなづいているだけだったのに……」

 

「はい! 怒っています。血を流しながらも、なおもこの村のために、戦ってくれるそのお姿を知らないから、そんな風に言えるのです。鹿島様、この村のためにいろいろしてくださっているのに、そんな事を言うなんて……。同じ人として許せるわけがないです!」

 

 口では怒っていると言うが、私の目からは、次々涙があふれだし、手は微かに震えていた。それを隠すために、胸へと手を押し当てている。私は本当は怒ってはいないかもしれないが、許せない気持ちは本物だった。


 きっと今までの自分では、こんな事は絶対言わない。私は虎の威を借る狐で、狛犬だった。守ってくれる颯真様がいれば、彼のためにきゃん、きゃん吠えることが出来る。でも、それしか出来ないのだからしょうがない。


 パチーン、その音とともに頬がヒリヒリと痛くなってくる。私は左頬に手をやりながら、自分の右手を持っている奥様に気付いた。どうやら私は頬を叩かれたようだ。


 奥様と見つめ合っていた、私の肩に手がかかる。振り向かされて、痛む頬を手をゆっくりと外される。


「鹿島様……?」


 鹿島様はとても悲し気な顔をしていた。私は余計な事をしてしまったのかもしれない……。


「帰ろう志穂、こんな場所にお前を置いておけない……」

「でも、村は……?」


「お前をこんな目に合わせる村を、守る義理はないだろう?」


「待ってください! この者の致したことは、私の不甲斐ないばかりに怒ったことです。だから村は! 村は関係ありません!」


 私は鹿島様の袖を掴んで、声を張り上げている。彼の目を見ながら彼の様子、心の中を覗こうと、彼の心を変える方法を探していた。


 伯父様が土間のふすまの前の、床の上で慌てて土下座をしようとする。


「申し訳ありません。鹿島様の奥様に手を上げるなんてあってはならないことです。私が妻の始末をつけます! どうか、どうか村のことだけは!」


 慌てる伯父様の声が、私の後ろから聞こえる。


「なぁっ!?」 という、状況を理解できないだろう奥様の声。


 伯父様の横も関心もない様に、鹿島様は歩いて行ってしまう。私は伯父様には、微かにうなずき、何とかしてみるという気持ちを表してみてはみたものの、鹿島様は普段ここまで怒ることはないので、どうとりなせば良いのか見当もつかない。


 でも、奥様の居るこの場所では、上手く話は進まないだろう。


 私は鹿島様とポン太ちゃん、二人と手をつなぎ、伯父様の家から出る。


 そして「志穂……」という、鹿島様の言葉に続く『帰る』と言う言葉を聞かないために、心を鬼にして聞こえなかったふりをした。


 そして隣の家に入り込み「菊さんこんにちは!」と、大きな声で言う。心の中の不安を追い払うような元気さに努めて、鹿島様に村を見捨てた気持ちを少しでも残さないように明るくこれから先を進めなきゃ。


「あらあら、いらっしゃい。あら、こちらが噂の志穂の旦那様なのね」


「そうなんです。こちら鹿島様とお手伝いに来ていただいているポン子……ポン太ちゃんです。鹿島様、こちらが花嫁がわりの衣裳を買い付けに行ってくださった、菊さんです」


「あぁ、その節は志穂が世話になった」

「まぁ、まぁ、こんな所では、なんだから上がって、上がって」


 そう言うと、菊さんは有無も、言わさない感じで鹿島様たちを土間から中へとあげる。


「志穂、ちょっと、こっちでお茶出しを手伝ってくれるかい?」

「はーい」


「僕も手伝うポン!」

 

「いいの、いいの久しぶりの話もあるんだから、今だけはおばさんに志穂を独占させてね」


 そう太陽のような笑顔で菊さんは言う。苦肉の策だったけど、菊さんにならすべてを納めてもらえるだろう。きっと上手くいく。大きく、胸を撫でおろすことが出来た。


 土間のかまどの前にふたり並ぶと、菊さんが冷たく、よく絞った濡れた手ぬぐいを持って来てくれる。


「頬が少しだけ赤いわ。本当に何てことなの……」


 頬に当たる手ぬぐいが、冷たくて気持ちがいい。でも、菊さんはうなだれてしまっている。


「庄屋の奥さんは、貴方のお父さんが好きだったのよね……、結局、貴方たち両親は結婚し、全てを知っても『結婚しょう』とって庄屋さんに言って貰ったのにね……」


「奥様が、父のことを……」


「そうなのよ、あなたのお母さんを鹿島様に嫁がせるべきって話もでたけど、あの頃の鹿島様を見た人が言うには、最近まで可愛い小鹿だったらしいくて、話は立ち消えたらしいの」


「可愛い小鹿ですか……」

 

 鹿島様は、鹿さんの時は、大人でも可愛いのに、小鹿だったらどれだけかわいいのでしょう……。そんな時ではないのは、わかっているのですが、ついついそんなことを考えてしまいます。


 そう言って、後ろを振り向くと、大人ぽくって、ニカッて笑う笑顔の男らしい颯真様が……可愛い……小鹿……ちゃん。


 そうやって見ていると颯真様が、腰を上げて、ちゃぶ台の前からこちらへやって来る。


「志穂どうしたんだ? やはり痛むのか?」


 そう問いかけた颯真様を、少し見上げるように見て、いろいろな可愛らしさに思いふけってしまう。


「あはは、違うのよ。昔ここに、愛らしい白い鹿を見たって話をしただけ」


「それは俺だ」

 俺しかいないだろうって、その確信に満ちた表情が、可愛らしいように見えて来て不思議。こんな時なのに、顔が緩みっぱなしに……。


「そうでしょうよ。その愛らしい頃の鹿島様を志穂は、気になってるだけよ。好きな人のことは何でも知りたいって、あれね」


 ――さすがお菊さんは、颯真様ともどんどん親しくなってしまいます。見習う事ばかりで凄いです。でも、すきな人……ですね。


「なら、見ればいい狸は多才であるので、家を探せば狸の書いた絵があるぞ」

「本当ですか!?」


 思わず、颯真様の袖を掴んでしまい、慌てて手を離し「申し訳ございません」と、頭を下げる。


「いい、大丈夫だ」

 そう照れたように向こうを向き、微かに赤い颯真様の耳たぶに胸がきゅ~んとする。


「あの……いい雰囲気の時なんですが、志穂様の頬のこと申し訳ございませんでした」


 そう深々と頭を下げる菊さんに、思わず「菊さん!?」と、大きな声をあげてしまう。

 

「志穂には悪いけれど、こちらから送りだし、受け入れられた娘たちには、こちらの世界に生きる場所はないんだよ……」


 私の両手をしっかりと掴みながらも、私の顔から少し目をそむけるように菊さんは言った。それは心得ている事だから気にする必要なんてないのに……。


「だから、こちらもそんな娘たちを、鹿島様の花嫁様として大切に祀ることになる。どうもそれがよくわからない人間もいるようで、鹿島様、この村の不始末は、この村で、けじめをつけさせていただきたいのです……」


「けじめか……、いいだろう。そこは菊、お前に一任しよう」


「任せてください」


「そして話は変わるが、今夜、村からの出す人員については夜までに決めておいてくれ、男衆すべてをだしては怪しまれる。そこは気を付けてくれ。まずは手を出さず、まわりの異変だけを確認すればいい。鉄砲を持っているので、最初の攪乱は俺がやろう」 


「はい、三役を始め、村の者にもお伝えします。では、まず……はいお茶! 志穂に持たせることは出来ないわ。頬の赤みは、後に残ることは無いと思う。けど……しばらく冷やしておいた方がいいからね。では、私は隣へと連絡して来るわ」


 そう一陣の風のようにお菊さんは、家を出て行ってしまった。


 私が居た頃は会議のお茶出しなどでは、よく働き、人当たりの良いお菊さんが、村の女たちの仕事を取りしきっていた。


 そんな菊さんと寡黙であるが、しっかりと仕事をこなす旦那さんの、ふたりの働きで百姓の代表の百姓代ひゃくしょうだいの仕事を任されている。


 そんな菊さんに、村の警備の様子などの連絡を任せ、夜の盆踊りまで、緊張の面持ちで待っていたのだった。

 

  続く

 


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