第12話 ふたたび伯父の家へ
久しぶりに伯父の家の扉を手をかけ開ける。幼い頃の記憶や、百合様たちの記憶が思い浮かんでは泡のように消えていく。
辛い、嫌だ、それに鹿島様に到底言えない気持ち。そんな気持ちに蓋をして、一歩、足を踏み入れる。室内はそんなに変わった様子はない。微かに香るヒノキの匂いが、少しの間だったのに、もう懐かしいものとして感じた。
「ごめんください」
「はいー」
そう言って、ふすまの奥から、出て来たのは奥様だった。鹿島の前では、平然としていなければいけないのに、胸のあたりがずっしりと重くなる。
前掛けと、たすき掛けという、以前とは違う様子で、奥様は現れた。そして今までの村人動揺に、死んだはずの私の登場に息を飲み私の顔を見つめた。ここは鹿島様たちとも、奥様とも面識のある私が説明がすべきだ。
――それより私の言葉に、奥様は耳を傾けて貰えるのかしら? どうしても縮こまってまってしまう背を、無理やり伸ばし立つのが精一杯……。
「何しに来たの?」そう言って奥様は、私を睨みつけた。私は耳を疑い、眩暈がした。
奥様の目が鹿島様を捉え、ニャリと顔を歪ませて笑った。心の底から静かに湧いてくる嫌悪感に、手をぎゅっと握り気持ちを整える。
「へぇー、男ずれなのね。そうやって男をつれてやって来ても、またあの白い鹿の元へもどされるだけなのよ」
「いい加減に、その無粋な口を閉じろ!」
そう言うと、奥様から私を庇う様に、颯真様が目の前に立ってくださった。大きな背中が、とても頼もしく思うのと同時に、二人ふ引き合わせるという事さえ出来ない。そんな自分の不甲斐なさに、呆れてしまうばかりだった。
しかし一瞬だけ、垣間見た奥様の怯えた表情。奥様も私と同じだった……怒られれば、怯えもする普通の人間だったことに驚いた。
「ここの当主に会いたい。山から鹿島が会いに来たと伝えてくれ」
「えっ?! 鹿島? さ……ま……? は、はぁ……い!」
その声は、やはりとても混乱し怯えているようだ。
「……呆れるな、お前は子どもの頃のままなのだな。弱いものにしか強くでられず、私が現れれば、志穂の母親の後ろに隠れていた頃のままだ」
そう言った、颯真様の言葉に珍しく苛立ちが混じっていた。それを聞くと、今までは彼を見つめ微かに媚びるように上がっていた口角も、今はへそを曲げてしまったように、への字の文字を描いてしまっていた。
「一体何をおっしゃっているか、わかりませんわ。囲炉裏の間で待っていただければ主人を連れて参りますわ」
そう言ってきびすを返し、奥に戻って行った。
奥様と母、そして鹿島様はどんな関係だったのか気になる。母も少しなら回復する力を持っていたはず。
「鹿島様、母を知ってらしたんですか?」
「お前の父も知っている。お前の父は優しい素振りであった。だが、決して俺をお前の母には近づけなかった。その頃は、俺も子どもだったので、嫌な奴だなとはとは思ったが……」
そう言う鹿島様の視線が私に絡まる。とても優しい視線で胸が高鳴るけれど……。
「お前の父の独占欲も今ならわかる。きっとわかっては駄目なのだろうが、お前たち親子はそういう独占欲や、全て自分だけのものにしたい気持ちをかきたてるところがある」
そう言って彼は、私にくれた真珠の髪飾りに触れた。そこで、鳥肌のようなゾクゾクゾクとした気持ちが背中を駆け上がる。嫌悪感ではなく、その気持ちがどこから来るのか不思議で、なぜか鹿島さまのお顔がみられない。
――ただ……、そんな颯真様には何でもしてあげたい気持ちが溢れる。でも、それはいつものことだけれど、これは…………。
「耳まで赤いな……」
そう言って颯真様はこんな場所でも、どんどん私の心に入り込んでくる、私は胸に手をやり、すぅ、はぁ~~と、荒く呼吸をする。気持ちをもとへ戻す必要がすごーくあった。
「囲炉裏までお連れ致します」
そう真面目に言うと今度は、口もとに手を当てて、クックックッと笑い始める。恥ずかしのに笑うなんて! 少しだけ、ちょっとだけ鹿島様に怒りながら案内をした。
囲炉裏は土間の奥にあって、かまどの前から出入することが出来る。障子を開けると家族があったまり、座れるような大きさの部屋へと出た。
…………うーん、夏なので、頻繁に使うってほどではないが……、いや、だからなのか、いろいろな荷物がたまっていた。鹿島様がお座りになるのだから、盛大に片付けたい。でも、もうこの家を出た身で片付けていいものか……? 私は言わば幽霊なのだから、片付けても問題がない気はするのですが……。そう私は頭を悩ましていた。
「まぁ! なんて汚い! 鹿島様いらっしゃるのにも――失礼だ――ポン!」
ポン太ちゃんはテキパキ、と片づけを始める。洋服、書類、その他とどんどん分けられていく。私も慌ててお手伝いを始める。
「すみません、お掃除手伝わせてしまって……」
ポン太ちゃんは優しい狸さんなのだけど、本当なら神様のもとで暮らすような方々なので、ここは私が率先して片付けるべきだった。鹿島様のもとへ暮らすようになっても、そういう面でも、まだまだ修行が足りないようだ。
「大丈夫ですよーどんどん片付けましょう!」
しかし、その時、ふすまが開き伯父様が現れた。
片付けている、ポン太ちゃんと私、ポン太ちゃんが取ろうとした箱を、代わりに取ってくれるところだった鹿島様。
一同は一瞬、怯み、身動きが止まった。
「僕は掃除しているので、お構いなく―だポン!」
「あっ……あぁ……」
伯父様はそう声にならない声を漏らす、「ポン太! 掃除はもういいからお前も大人しくしておけ」と、鹿島様はポン太ちゃんの肩に手をやり座らせる。
「わかりました。……ですが、今はポン子ですよ」
「いいから」
そして、私たちは中途半端な掃除のせいで、もっと狭くなってしまった囲炉裏へと座り。伯父様は集められた荷物を、奥様と部屋からだけでも運び出し、いつものようにふすまを開け風通しを良くした。
「伯父様、お久しぶりでございます。こちら、私の夫の鹿島様です」
「お待たせしてしまって申し訳ありません。この村で庄屋をやっております、志穂様の伯父の時次郎です。この度は結婚おめでとうございます。いかがな御用でも、何なりとお申し付けください」
手を床に付け、緊張した面持ちで頭を下げる。奥様もそれで続くが、伯父様は奥様より顔を遅くあげたが、こわばった顔はそのままだった。それにつられて私まで緊張してきてしまう。
「話というのは、村の安全のことだ。少し前から我が森へ、野党か盗賊かが引っ切り無しでやってきている。そいつらのことは、俺が、森で食い止めているが……」
「北の都から盗賊が降りてきていると、聞いていましたが……、やはりこの村へを狙っての事でしょうか?」
「村の方へ向かっているのは間違いない。だが、山の事情がわかっても、世間の事情についてはお前たちの方がわかるだろう。ただ……日照り続きの日々が続き、雨が降ったのは、この辺りだけだとは言っておく」
「なるほど……、世間では、米に事欠く有様というのは聞いていますが……」
そう伯父様は静かに言い、自分のひざを見た後、私の顔を見る。今は幸せだが、それは運が良かっただけで……。私は伯父様の眼差しに、ただ困惑して下を向くことしか出来なかった。
「この通り、詳細や事情は未定だが、今夜から始まる盆踊りの際には、いつもにまし隙が出来るってことは、山に住む俺でもわかる。その気の緩んだ時を狙って、襲ってくる可能性を考え、俺たちはしばらくこの村へ滞在したい」
「それはありがたいことでございます。ですが、盆踊りは中止した方がいいように思います」
「それはだめだ。いつかわからない攻撃を待ち、気持ちをすり減らすよりは、盆踊りを狙いを定めた敵を待つ方が効率がいい。だが、日にちを改め誘い込み、加勢する仲間が増やし討伐する狙いがあるのなら、それに従おう」
「では、その通りにいたします。何もございませんが、しばしお待ちください。宿泊用意をいたします」
そう言って、伯父様はその場を離れた。
―― 一度にいろいろあって疲れた。
「志穂大丈夫か?」
「志穂大丈夫?」
二人とも私の前に座り私の顔を覗きこんでいる。この長年住み慣れた場所だからこそ、戸惑いと、気持ちの高ぶりで、少しだけ涙が出る。
「大丈夫です。盆踊りの警備をすることが決まって良かったですね。鹿島様のおかげですありがとうございます」
そう話していると、「失礼します」と言って百合様の声がした。
「あぁ、入れ」
彼女はふすまを開けると、頭を深々とさげる。
「お部屋の準備が出来ましたので、どうぞこちらへ」
「わかった」そう言った鹿島様は、ポン太ちゃんと顔を見合わせた。
私たちが通されたのは、一番上等な客間で床の間では、水墨画の掛け軸の下には、りんどうの花が飾られ凛とした美しさと、かすかに香りを漂わせていた。
「志穂はこの部屋で眠るといい、すまないが、俺と
「まぁ」
百合様が口もとを隠し、そう言った。そこには微かに蔑むような喜びの色が出ていた。
「あの……私は一緒の部屋でも……」
「駄目だ。俺は警備で一緒にいられる時間は少ない。それなのに、この狸と一緒の部屋にして見ろ……、可愛い子どものような笑顔で、志穂のひざに乗ったり、子どもの頃の話を聞きたがるに決まっている! 絶対だめだ!」
「僕は実際可愛いですしねー。行動も性格もとても愛らしくて、鹿島様が嫉妬心からそう言うのもわかります。声も可愛いので、だから志穂様、僕らは別の部屋を用意して貰いますね」
「では、お二人はこちらに」
そう言ってお二人は百合様に連れられて、きっとここより小さいが客間がもうひとつある。きっとそこへ行ったのだろう。こんな上等の部屋にいると、屋根のすぐ下の屋根裏部屋の暮らしが、逆に夢だったようだ。場違いな場所にいるようで、ついつい心がざわざわとし、昔のように片付けなどしてくなって来る。
「いい気なものね」
そう声がして振り返ると奥様が、庭のある廊下側のふすまを開けて私を見下ろしていた。
続く
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます