第9話 不穏な気配

 日の出がとても早くて、夏の暑さが勢いを増すようになってきた。森の緑も、以前にまして緑の色が濃く、深く、増しているように思える。


 けれど、この頃から森に不穏な空気が漂い、とても不安になるできごとが続いた。


「ただいま帰りました」


 新しく作った畑から私たちが暮らす、家の玄関の扉を開ける。玄関では人の姿の鹿島様とポン太ちゃんが腰掛け、腕の治療をしているようだった。しかし私が現れ、気がゆるんだためから、「ヴゥッ」と、言って肩を震わせ腕を庇った。


「大丈夫ですか鹿島様!?」

 荷物を落とし、急いで二人のもとまで走った。


 「見せてください」と、言うと鹿島様はそっと袖口をたくしあげてしまう。


 少しだけ苛立ちが私の中で芽生えた。


 しかしすぐ腕に巻かれた真新しい包帯に、血が少しだけ滲んでいたのを見つけ、私の眉間が少しだけ動くのを感じた後、両親を亡くした時、感じた悲しみや、恐れが混ざりあい、心の奥のしこりのようにそこにあったソレを感じとった。


「今、治療を致します」

 そういうと、鹿島様は私を制して首を振った。

 

「志穂の腕のあざも、このあいだ治ったばかりだろう。そう続けては体が疲れてしまう。野党が増えて来て心が沈むような時には、俺は出来るだけ、傷つくお前みたくない」


 そう言って鹿島様は、私の手のひらを優しく掴む、その手は私には振りほどけない。唇を鹿島様に気付かれないように浅く食いしばり、耐えるしかない……。

 

「大丈夫ですよ志穂様、鹿島かしま様も神獣です。人よりは丈夫で傷の治りも早いです」

 

「そうですが……」

 

「とりあえず、この話しは置いておいて鹿島様は朝の見回り、志穂様は畑の水やりと、朝の社の掃除疲れでしょう。麦茶を持って参りますから、座っていてください」


 そう言ってポン太ちゃんはその場で立ち上がると、私の後ろを通って外にある湧き水で、冷やしてある竹筒を取りに行こうとしている。


「では、私はお湯……」鹿島様の握る手の力が強くなって、私を見つめるお姿に熱がこもっている。鹿さんの時は、可愛い黒い目だったのに……。人の時は、こんなにも私の胸を熱くする。目をそらせずにそのまま座った。


 しかし彼はあっけなくと手を離す。私はつながれていた手をしばらく見つめている。鹿島様の行動は、私に少し理解出来なかった。


 「志穂、この座椅子に座って足を伸ばせ」


 そう言った鹿島様の手には、いつの間にか座椅子が握られており、それを私の右側へと置く。

 

「はい?……伸ばしました」

 

 ひざのに手を置いてそういうと、颯真様は私の膝を枕にして、ゴローンと寝転がる。


「ひゃぁ、そ、颯真ひゃ~ま」

 

「はははは、すまない、少し眠いので寝かせてくれ」


「私のひざで良ければいくらでも大丈夫です。でも……きゅうは……だめですよ。びっくりしちゃいます」


「わかった。今度は気をつける」


 二つの目がこちらを見てそう言う。くぅ~~っ。と、胸とか足がもぞもぞ落ち着かない。


 そんな事は気にならないのか何度か、寝返りをうちながら、丁度いい場所を見つけたようで、静かに目を閉じた。もぞもぞと動く颯真様の柔らかい髪の毛が私の足に触れる。驚く気持ちと、ひざの上の颯真様の不思議と可愛らしく、愛し思えるとか、そんな私の気持ちを置き去りにして颯真様眠ってしまうようだ。


 だから少しだけ頭を撫でてみる。


「志穂」

 

「はい!」

「用事があったら起こしてくれていいから、あと、お前の足は疲れた時もな」


「わかりました……」


 そういうと彼は疲れているのか、すぐに寝息が聞こえだした。また、こっそり髪を撫でてみると、人の時には白い髪色に黒が混じっているそれについて、こっそり観察してみる。白い毛なのだけど、光の当て方で黒くも見えるようで、とても不思議。


そんな不思議な、颯真様の秘密を私だけ知ってるのは、やはり不思議だけれども……ふふふ。私は静かに颯真様の髪を撫でた。


 ――けれど……いつになったら、頻繁な夜の見回りが減るのだろう。颯真様にはゆっくりおやすみになって貰いたいのに。


 でも…………森で、この状態なら村は……? 大丈夫なの?


「あら、寝てしまわれたのですね」


 ポン太ちゃんが人の姿で、割烹着を身につけてやって来て、おぼんの上の湯飲みを私の右側の受け皿へ載せておいてくれる。


「はい、傷のことはもちろん心配です。それとはべつに、最近、森に入り込む者も多いと聞くと、故郷の村も心配になってしまいます。でも、これ以上無理をされては元も子もありませんし……」

 

「ですが、颯真は志穂様を大切に思って、無理をするところがございます。僕を含めおのことはそういうものです……。ですから、あまり心配はなさいませんように。それより用意いたしました麦茶を飲んでくださいましね。鹿島様の分もどうぞ」

 

 そう言ってポン太ちゃんは赤と青の湯飲みを置いた。どちらも可愛らしい連れ添う女鹿と牡鹿が描かれている。


 それを最初見た時、颯真様はなんとも言われぬ顔をなされて『俺は確かに鹿であるが、父母もそうであったように連れ添うのは人間だぞ』とか『そもそも鹿とは話が通じぬ』と言ってらしたことを思い出した。


「ありがとう。でも、鹿島様が寝てらっしゃいますから、後でいただきますね」


「だめですよ。水分補給は大切ですからね。ちゃんと飲んでください!」


「だめですか……。では、いただきます」

 

 そう湯飲みを取ろうと手を伸ばした時、颯真様が「逃げるな」と言って、枕を持つように寝がえりを太ももに顔を半分埋めてしまう。


「あぁ、あのう、これはもうお起こしした方がいいですよね?」


「でも、志穂様、カシマサマノ オヨメサマデスカラ、ダイジョブデスヨ」


「なんで、ポン太ちゃん片言ではなすのですか?」


 「冗談でございますよ。起こす、起こさないのは志穂しほ様のご自由でございます。どちらでもきっと鹿島様受け入れてくださいます。知名度は、低いですが鹿島様もたぬきたちがお世話するに値する、神獣ですから」


 可愛い黄色の着物を着た女中さんのポン太ちゃんは、優しくなんでも受け入れてくれそうな笑顔で笑っている。


 やはりポン太ちゃんは凄い! 神々にお仕えする狸たちの一員で私もそんな風になれるのかしら? 私も颯真様をおささえするために見習わなくちゃ。 村から旅立つ前の決意を思い出し、私の務めをまっとうしないと、だから鹿島様を治療しなくちゃ!


 眠る颯真様の袖をそっとあげ、包帯を取る。ひどい傷、皮膚が鉄砲だろうかその弾に削られてしまっている。颯真様が起きてしまわないように、少しづつ傷を癒していく。激痛ってほどではないけど、皮膚をピリピリとした痛みが治療する腕から広がり襲ってくる。


 「志穂様、傷は鹿島様が大丈夫だと……」


 ばつが悪そうで、そして言葉を濁しながらポン太ちゃんは言う。もしかしたら、颯真様から私には内緒にするように念押しをされていたのかもしれない。

 

 「はい、確かにそう言われました。だから傷を半分だけ治します。大丈夫な傷なのだから、全然大丈夫ですよね?」


 私がそう言うと、ポン太ちゃんはくしゃっと顔を崩す。今にも泣き出してしまいそうだ。


「なぜ、おふたりともお優しいのに、こんな酷い目にあってしまうのでしょう? こんな何もない森の何が欲しいというのでしょうか?」

 そう言って決壊したように大粒の涙がぽろぽろとこぼれた。


「ポン太、寝られないぞ」

「「鹿島様!?」」


 鹿島様は上半身を起こすと、「志穂の村は、東海道五十三次のから外れた位置にあり、人通りは少なくそうのどかな村だ。だが立地的には京、大坂へ行くのにも悪くない立地にある」


「森も多いですし、ここら一帯は潜伏はしやす……」


 二人とも村から出たことのない私と違い、ここら一帯の地図に詳しいようだ。そういうところもやはり神獣と、その方々にお仕えする従者であるようで、まだまだ勉強不足を恥じるばかりになってしまう。


 「村を拠点にこの辺りを荒らしまわり、また南へと南下する手はずでは? とそう思っていたが、最近の人数はそれだけでは皆目見当つかないほどの人数がやって来る。あの人数ならもっといい場所が狙えるだろうに……。悪人が仇討ちってこともないだろうに……。どこかの酔狂がやるなら、まず村に知らせが入るしな。だからお手上げだ」


「そんな…………」そうあっけにとられていたポン太ちゃんがいきなり大きな声を張り上げた。


「鹿島さーまー!」

「なんだ? 俺は寝起きで、頭はそんなにまわっていないぞ?」


「そんな時だからこそ志穂様とちゃんとお話しください。夫婦とはそういうものです! 志穂様、しほ……さ……まを、一人で……不安にさせないでください!」


 ポン太ちゃんは私のために、泣くのを堪えて大きな声で言った。


「駄目だ」

「どうしてですか!?」

 思わず私も声が出てしまう。


「不安にさせたくはない。それに俺はまだ若く神力もそう扱うことが出来ない。だから手加減は出来なく、相手を殺すことになる事も多い。それを知られて志穂に嫌われたくない。……顔を洗って来る」


 そう言って彼は出ていった。


「ポン太ちゃん……、人間はそんなにきれいなものではないと言ったら、私は幻滅されてしまうでしょうか? 鹿島様のためならこの手を血に染めても平気だって言ったら……」

 

 それ以上、言葉は出なく、すすり泣きをすることしか出来なかった。こんな私に人など殺せるわけもなく、でも……、同じくらいの強さの気持ちで、そうも思うのだ。


 以前の暮らしに戻るくらいだったら、誰かを傷つけることも出来るのではないかと、それも私の真実だった。


  続く

 


 

 


 








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