第8話 初めてのお出かけで、荒ぶるポン太ちゃん

 朝ごはんを食べた後に、私たちは昨日約束していた散歩の用意をすることにした。昨日の雨は一日中続き、今日も午後から降り出しそうなお天気だけど、それまでにはまだ時間がある。

 

 「階段の下までは、鹿になり乗せていこう」


 そう言ってくださった鹿島様の首につかまり、空を駆けるように斜面を降りる。空気が音を上げて、まるで後ろへ飛んでいくよう。


 山のふもとへやって来ると、蝉が木霊するようにジィ――ジィ――と、夏を告げている。


 そして私たちは大粒の汗をかきながら、シダの葉が足元に生い茂る獣道を歩く。


「志穂、これをつけておいてくれ」

 

 そう言って、鹿島様は素朴な愛らしさの花を手に取る。そしていくつも黄色の花びらの花が咲いている。その花を髪につけてくれた。緑の香りが鼻腔をくすぐる。


「この緑の香りは、鹿さんの時と同じ匂いですね」

 

「ハナニガナ、食べると苦いから気を付けろよ。それにしても普段の俺はこんな匂いなのか」


 そう言って鹿島様が顔を寄せるので、まつ毛が長い。肌が綺麗とか……余計な事を考えてしまう。少しでもその息に触れてしまったら、恥ずかしくきっと立っていられない。


「志穂、何をみつめている?」

「えっ…………」


「やはり、人の姿の俺は怖いのか?」

 

 かがめていた背中を、まっすぐ伸ばし私を見る。 そして私の両目を片方ずつ見つめた。怖い? 私が鹿島様を? 話を聞いていたポン太ちゃんは鹿島様の肩や背中を行ったり来たり、最後に頬へ両手を当て、驚くように鹿島様をまじまじと見つめている。


「鹿島様……?」


「やはり、なじみのある鹿の姿の方がいいか?」

 そうゆっくり彼は私に聞く。


「人のお姿の鹿島様は怖くはないです。でも、え……っと近いとえっと心の臓が、ドキドキしい……なぜかは……」

 

 手に胸をあてしどろもどろに……「私にもわかりません……」そう首を、右に曲げどんどん小さくなる声で、私は言った。

 

 それを見て、鹿島様とポン太ちゃんは内緒話をするように、顔をちかずける。


「志穂は、病気……ではないな」

「はい……」


「わかった。……志穂、病気ではない。そして花の効果は利いてる。ならそうか……、俺は人ではないが、人のつがいのことは、ポン太よりもっと歳かさの狸に聞いている。いいか、こういう時は、手をつないで歩くことが第一歩らしい。この道は獣道で迷子になると危ないし、丁度いいだろう」


「えっと……、そう言えばそうかもしれません」

 

 鹿島様の言うことは、とても名案のように思えた。だから私たちはぎこちないながらも、手をつなぐ。鹿島様が優しく笑ってくれたので、それに答えて自然に笑いがこぼれる。それだけ夢を見ているようで、きっとこれも鹿島様の神力なのだろう。


 歩いて行くと水音が道の先から聞こえて来る。そして鬱蒼うっそうと茂った木々の間から、明るい光がこぼれ落ちるように広がっていく。


 そして道は開け、光の洪水と、目の前に広がる深い青の鏡のような水面。光るような滝の水が、岩肌に何度も、何度も、ぶつかり飛沫をあげ白く見える。


 滝の水がなければ、天女の羽衣舞い落ちていく様子のように見えただろう。滝の流れる音で、空気はとても涼しげに思える。


 「キャハッーー!」


 ポン太ちゃんが声をあげて、鹿島様の肩から飛び降り、走って行くとぴょーんと滝へと飛び込む。そして犬かきで、滝を避けながらすいすい泳いでいく。

 

「鹿島様、見てください! ポン太ちゃんが凄く上手に……」

 

「志穂、それは屋号みたいなもので、俺自身の名前は颯真そうまだ。漢字もその内教えよう。読み書きも知らねばそちらも。だから覚えていてくれ、俺の秘密の名前を」


 颯真様と名前を教えてくれた、鹿島様の目はとても真剣で、恥ずかしくても、私もそんな瞳に心が惹かれてしまう……。


 ――目が離すことのできない、この胸が苦しくなるような気持ちを尊い方には知られたくない。自分が浅ましく、おこがましい人間に思えてくる。


「はい、わかりました。必ず覚えます……」

「いい子だ」


 そう言って頬を触るので、素直に嬉しい気持ちが自然にこぼれてしまう……。

 

 そして颯真様は、そう言って顔を近づけ私の唇に優しく触れた。もしかしたら私たちは、口づけをした? その意味を考えると気持ちがあわわわと震えた。


「ポン太には、名前の事は内緒な」

  

 そう言って振り返り滝をみた颯真様は――。


「ヴゥ!?」そう言って、驚いた格好で止まったので、そーっと彼の横から覗き込むと、川岸の岩に掴まり可愛いお腹を上にしてプカプカ浮いている。ポン太ちゃんがこちらを見ている、私たちの視線がぐちゃぐちゃに深く絡まっている様な気がする。


 少しの間、私たちとポン太ちゃんは見つめ合い。


 そしてポン太が目をまん丸したまま、すぅーっと岩から手を離すと「パチパチパチパチ」と拍手を始め……。


 パチパチと拍手しながら、滝から落ちる川の水に流されて、下流の方へ仰向けのままの恰好で、時々、くるくるこの葉のように、波に翻弄されながら流されていく。


「ポン太!?」「ポン太ちゃん!?」


 鹿島様は、そんなポン太ちゃんを大慌てで追って行き、私もゆっくりですが追いかけていきました。


   ◇◇◇◇


 無事助けられたポン太ちゃんは、やはり颯真様の肩に乗り帰り道を進む。ちいちゃな手はしっかり頬と鹿島様の白髪を挟み込みながら。


「助けていただきありがとうございます。このご恩は一生忘れません」


「だが、お前は助けに行った時には、普通に川の上で、大の字になって浮いてただろう」


「でも、水の勢いに翻弄され続けたまま、くるくる回されていたら……ちょっと吐いちゃっていたでしょう……」


「なら、普通に泳げばいいだろう」


「ちゅうしてたから……僕はびっくりしてしまい、それどころじゃありませんでした。奥手の鹿島様が、ちゅうしてたから……神獣なのに……、志穂様になにやっとんじゃーーい!? 早すぎるだろーがーー!」


「ポン太ちゃん!?」「お前な……」

 

 ポン太ちゃんは颯真様の頬と後頭部を挟み、ぺちぺちぺちぺちぺちぺちぺち。

 

「鹿島様、少しかがんでくれませんか?」

「あぁ」


 低くなった彼の肩からポン太ちゃんに手を伸ばすと、ピョンピョンとかけ降りてくる。


「ポン太ちゃん、鹿島様の顔をぺちぺちしてはいけません。それに私は子どもの頃から鹿島様とは、仲良しだったのですよ」


「えっ……、そうなの? そうなんだ……」


 ポン太ちゃんはやっと落ち着いた声になる。

 

「はい、子どもの頃、花畑で遊んでいたら、鹿さんの鹿島様がその輪の中に入って来て静かに座っていたので、私は毎日花冠を作って鹿さん頭や角にいっぱいかけていたんですよ」


「へぇ……、あの……鹿島様、その頃立派な若人わこうどでらっしゃいましたよね?」

 

「あぁ……、その当時、お前の仲間がふもとも村に異能の使い手が生まれたようでございます。告げたかと思ったら、毎日、『まだ赤子ですけど、きっと可愛いでしょね……』と何かと言いだした、と思えば……『是非、行くべきです! 光源氏知らないのですか!?』と、怒りだしたのもお前の仲間の女子おなごの狸だぞ」

 

「なるほどです。一般的に神獣の皆様は、乙女たちに距離を置かれる傾向があります。ですので、幼い頃より会う機会を増やし、乙女たちとの距離を縮めておく、名付けて『光の光源氏計画』を、推奨されたわけですね」


「だが、それは良くなかったかもしれない。俺の正体は知られていて村の子どもは次の日には来なくなった。しばらく様子を見ていたが、子どもたちは戻る気配はなく、俺が行くことで志穂を孤立させてしまった。すまない……。姿を見せる程度にすれば良かった」


「そんな……、志穂様ごめんなさい」


 心の臓がどうにかなりそうだった。颯真様が優しく腰と頭に手をまわし大事そうに抱きしめられると、鹿さんの時と違い体が寄り添うように密着するように重なる。


 でも、いやじゃなくて……ゆっくり手を伸ばし颯真様の背中に背を伸ばし添えるだけだけれど触れてみる。そうすると抱きしめる力が少しだけ強くなって、了解を貰ったようで安心できた。


「鹿島様やポン太さんは、全然悪くありません。その後、両親が亡くなり、いろいろ変わってしまった。それだけなんです」

 

「なら志穂、俺が今までの分も幸せにしよう」

「今で、十分幸せなのにですか?」


「足りない」

 体が離れてそう強い瞳で、私を見る。


 「私は、鹿島様のために頑張るためにここへ参りましたが、それではあべこべですね。うふふふ」


 「ああ……俺のために出来たら、いつでも笑っていてくれると嬉しい」


「僕も鹿島様、志穂様のために頑張りますね」

 

「ポン太、おのこ男子では何かとさわりがある。おなごの方がこちらも助かるのだが……」


「大丈夫です。お産の際には手伝いがもう一人か二人来ますから、大丈夫ですってー」

「お前が決めるな」


「お産ですか……」そう言われると想像もできなくて、少しだけ途方にくれる。

 

「志穂、そろそろ帰ろう。もうすぐ一雨降るようだ。ポン太はこっちへ戻ってこい。志穂にいつまでも世話をかけるな」

「「はい」」

  

 こうして山の獣道を三人で帰りました。幸せで、まるで夢のようでした。

 

     続く




 

 

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