第5話 鹿島様のもう一つのお姿

 山の頂にある鹿島様の神社。その朱色に彩られた鳥居の下で、伯父様や村の人々ともお別れする。


 不思議となぜか悲しくはない。背中に感じる神聖で、温かい存在のお陰なのなのかもしれないし、村を出た時に涙を流したことで、私のお別れはもう済んでしまったのかもしれなかった。

 

 大きく手を振って見送ると今では、稲穂の思い出とともにあった人たちは、遥か下で、小さく、遠くなっていった。

 

 そして伯父様たちは、見えなくなってしまった。心にぽっかり小さな穴が開く。


 けれど振り返り目の前の風景を見れば、とても尊く、神聖な大きな力をそこに感じる。その中心には親しみのある、可愛らしく、安心出来る鹿さん、……鹿島様がいてくださるのかしら? 


鹿島様をみなもととしている。その神力は、心の中にあいてしまった穴というより、それよりも私自身を包みこむように感じる。お天道様のようなものへと、足を踏み入れる気持ちは、なんて言っていいのかわからない。ただ目の前へ立ち途方に暮れるだけだった。


「すぅ~はぁ~」着物の重ねられた胸元へ手を置き、深呼吸をした。


 目の前の神社は、鳥居も目に付く建物もどれも目新しいように思えた。でも、その目新しさが不自然でもある。


 ――ここで私が、これからの暮らしをおくるなんて信じられない。それも鹿さんとの伴侶としてだなんて。なんとなく、農耕馬や、畑を耕す牛を思い出したが、彼らはとても大事にされていて……私の存在は、それを上回る感じのようになるのかもしれなかった。とにかく鹿さんに会うのが先決だろう


「ごめんくださーい、誰かいらっしゃいませんか?」

「…………」

 

 返事はなく、先ほどから神聖な空気を感じ取れるのみで、人の気配も感じることは出来ない。


 お社の中へ。足を一歩踏み出すと、重い空気が足から入り体を震わす。思わず手に持つ、風呂敷包みを上から撫でて心を落ち着かせる。


 手水舎てみずや(てみずしゃ)の前に来る。山の頂上にあるのに、こんこんと清浄な水が流れ出てきている。手と口をゆすぐと、今まで飲んだことのない柔らかく、味わいのある水に驚く。柄を洗った後、竹の上に戻す時に覗いた中の水は。透き通るほどきれいで中の汚れもないようだった。


 それからしばらくは本殿と、いくつかの建物を、外からみて回る。どこも、しっかり整備されているようで目新しい建物ばかりだった。敷地のすみ落ち葉などは少しだけたまっている場所もある。そんな程度だった。しかし辺りを見回しても、肝心の鹿さんはどこにも居ない。神獣である鹿島様のお住まいであるはずなのに……。


 最近、お見掛けしたのは、去年、人里近くの森できのこを収穫している際に出会っている。もしかして見回り? とりあえず神様の居場所であるという、本殿の前まで戻り、帰りを待つことにした。


 本殿は、そこまでは大きくはない。別棟の屋敷の方が大きいくらいだ。賽銭箱はなく、代わりに浅い箱が口をあけて置かれている。本殿の作りは、鳥居の色の朱の色と白色で彩られやはりとても立派なものだ。扉は朱色の扉で閉ざされている。

 


 ――トントントン、「鹿島様いらっしゃますか?」扉へと声をかけていると、神社の入口の階段の方から誰かの話し声がした。


 もしかしたらおじさん達が、戻って来るなんて事はあるのかしら? 鹿島様? でも、鹿島様は話すことはないはず……。この状態はどうすれば……、そう思っている間に声はこちらまで上がって来ている。しかも怒っているのか、荒々しい声がいくつも聞こえてきた。すぐに階段を降り、お賽銭がわり箱の後ろに隠れ、自分を自分で抱きしめ、うずくまり小さくなった。


 ガターン――。


 後ろの階段の上で大きな音がなる! 見上げると扉があいた。そこから顔だした、鹿島様に着物の帯を加えら引っ張られ軽々と運ばれ、そのまま本殿の中へと、引っ張り込まれる。ふたたびギィ――と、目の前で、音を立てて扉は閉じられる。


 そして……パタン――と、音がして辺りが暗くなり、扉と扉の間から漏れる、光も縦の線を描いてすぐに消失してしまう。


 室内は静かで世界と断絶してしまったような静寂と暗闇と少しだけ微かに入って来る光。


「ピィ――ャ」警戒するその声に、背中が粟立ち振り返る。そこには微かな光の円に、上半身だけ体を照らされた立派な角をもつ、記憶の姿そのままの鹿さんが座っている。少しだけ気が緩み、頭を撫でるために手を伸ばすが、伸ばした手の方向から濃い血の匂いが流れでて、室内に充満していってる。そして純白なはずの鹿島様が赤ちゃげた色に染まっていた……。

 

「鹿島様でいらっしゃいますか? 嫁……お世話をさせていただくことになりました。志穂しほと申します」


 まだ、望まれてもいない者が嫁と名乗るのは、図々しい。そう思い言葉を改める。


 返事はやはり無く、ふぅーふぅーと、微かに息が荒い。


 「あの……触りますね」そう言って、鹿島様から私の手の動きが確認出来るよう、目の前の首筋から背中にかけてゆっくり手を滑らせる。やはり茶色の部分に、血なのだろう、水の感触がする。


 恐る恐る顔に自分の手を近づけてみると、やはり赤い血が付いている。


「あぁ……鹿島様、怪我をなされたのですか? 大丈夫。私が治療が出来ますから、だから少しだけ我慢してくださいね」


 時間ともに暗闇になれた目で、ゆっくり鹿島様の毛を撫でる。しかし力を使った途端に「ピィ――ヤ」と、言ってヨタヨタと、立ち上がろうとして、膝をついてしまう。


 私は鹿さんから慌てて離れ「鹿さん、昔よく遊んでいただいた志穂です。こんなに大きくなりました」


 そう言って座り込み、鹿さんと同じ目線で話し込む。それは野生動物には少し危険なことだが、きっと鹿さんなら大丈夫。そうするとふたたび、鹿さんは立ち上がりよろよろとこちらへやって来る。


「鹿さん動かないで、私がそちらに参ります。いいですね」


 そっと近づくと眠るように、痛さに耐えるように鹿さんは目をつむっている。


「では、力を使いますね。ぽかぽか温まったり、ピリピリするらしいですが、大丈夫です。私を信じてください」


 鹿さんはそのままの様子だったので、私は意識を集中し回復の力を使うと、触れた手がなぜかポカポカする。


「私の能力は傷を治す能力です。相手の気力を治療に使う程度をいただくことで、傷を治すのです。ですが、今までにないポカポカとする温かさを鹿さんの力から感じます。もしかしたらこれが……、神力というものかもしれません。大切な御力を勝手に使うご無礼をお許しください」


 そう言って治療していくと、目の前に小さな明かりがゆっくりと漂うのを見つけた。目の前のそれを目で追っていくと、急に立派牡鹿の体全体が光を帯びる。そしてとても大きな角の先、蹄の先、しっぽの先まで光輝くと、鹿さんが顔を左右に振った。


 そしてそこには男性が座っている。黄色と黒の斜めに分け隔たれた柄の着物を着た男性で、白と言うには微かに黒さのまじる髪の見目麗しい男性だった。それと時を同じくしてお社の戸や、窓が一陣の風とともに一斉にスパァーパン、パンと開かれる。


「鹿島様?」私は首を曲げて問いかけた。

 

「志穂、志穂、志穂大きくなったなー」


 見知らぬ彼に、そのまま腰を持って上に持ち上げられる。と、鹿島様がくるくる回っているので、私は足が浮いてくるくる回される。まるでトンボにでもなった気分。


「ひぃゃ~~辞めてくださーい、止めて、止めて~~!」

「あっ、すまんすまん! あははは」

 

 そう笑いながら私を降ろした。正直、神輿に乗っている間も、少し酔っていたので、足腰が立たなくなってしまった気がする。少し、怖くて立てない。


 うずくまりしばらく経つと、「志穂、本当によく来てくれた。今回は毒が塗られていたようで正直、駄目かと……、お前のおかげで、一命を取り留めたと言っていいだろう」


 「え……っと、よ……従者として当たり前のことをしただけです。ですが、これ……」


 私はふぅーふぅーと、息をつきながら、鹿島様の顔の前に、這いずるように風呂敷の中ら出した 夜が明ける前に摘んだ、青い稲が一束収まっている。それを神獣、白い牡鹿である鹿島様が食べれば婚姻成立となるらしい。稲はすこしだけ元気がなくなってしまったようにも見えるが……。


 稲を大事にもちいねの束を出す。そうするとヘロヘロになっている体の中の心臓だけが、息を吹き返したかのように早い勢いで脈を刻みだし、稲がどうなるかに注目した。


 鹿島様は丁度首の後ろを掻いている。けれど……食べようとしてくれない。もう一押しが必要かもしれない。少しずるいかもしれないけれど……。


「鹿さん食べてね」


 鹿さんの前で、そうすると背中は乗せて歩いてくれなかったが、願いは叶うことが多かった。


 だからしばらく見ている。鹿島様は、葉のさきっちょを少しだけ、食べてモグモグすると、「ごめーん、人間の時は食べれないわー」と努めて明るくって感じで、宣言した。


「えっ……」そういうと私の目から、次から次へと涙がこぼれてきた。村のために来たのに、それは達成できないかもしれない……。


「志穂、志穂食べた! ほら口の中無いから!」


 そう言って鹿島は、先ほど食べたままの口の中を見せてくださる。これでどうにかここに居られるようだ。小さく胸を撫でおろし、口もとが緩む。


「じゃーこれで私はここに居られますね」


「うんうん、志穂ずっとここに居ていいから、残りの稲も鹿になれば食べるから、とりあえず置いておこう」

 

 そう、すこし慌てた鹿島様は手を伸ばし稲を置くと、私のもとへ来る。そして私の体を支えながらあぐらの膝の内に座らせた。きっと鹿島様の中では私はまだまだ幼い子どもなのだろう。恥ずかしい思いのドキドキと、回復の疲れがいっぺんに襲ってきた。


「おい!? 志穂、大丈夫か? お前、顔色が悪いぞ!」


 鹿島は人差し指と親指で、私の顎を持ったので、恥ずかしさで体をかたくしたところだったので、思わず力が入った。


 「私の回復は怪我をした人から怪我と一緒に気力や体力をいただき、消していくやり方で、治す怪我が大きいほど、私の体が疲れて眠くなったり、あざや熱がでてしまうのです」

 

「それは大丈夫な奴なのか?」


「ふふふ、失礼を承知でいいますが……鹿さんは本当に優しいのですね。鹿さんの神力はぽかぽかして温かい。だから大丈夫です。熱もあざの後もちゃんと消えますよ」

 

 そう言ってる間にも瞼がどんどん重くなる。川遊びをした後のように心地良い眠気に包まれていく。

 

「鹿さん、いつものことなのですが、眠さに耐えられそうにありません」

 青年と言っていいほどの、鹿島様が私をひざに乗せたまま、手を取って確認したり、後ろの髪を持ち上げ傷を確認している。


 ――とても、お顔が近く、恥ずかしいし、胸がドキドキしている。怪我のため体が、熱を少しだけ持ち始めた体と、胸が苦しく今回ばかりは回復するための強い神力があるからと言って、傷を受けいれ過ぎたのかもしれない。でも、体がボカポカ温かくなる神力はとても、優しく、心地よくかったから見落としてしまっていた。

 

「なら寝ていいぞ。寝てる間に運んでおく」

 

 ――大丈夫です。そこら辺に寝かせて貰えれば、その言葉より先に、青葉のいい匂いと、母の手のような温かさが私を包んでいた。

  

        続く

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