昔馴染みの白い牡鹿は村を守る神獣だったので、結婚することに相成りました

もち雪

第1話 プロローグ

 私が八歳の春、れんげやシレツメクサなどの、春の花たちが咲き乱れる小高い丘の上の花畑。。花々の美しさと甘い香りは、娯楽の少ない村では子どもたちにとって特別なことでした。


 女の子は花を摘んで、花の冠を作ったり、花束を作ったり思い思いに遊んでいた。身につけて、少しだけお姫様になった夢をみたりする。


 男の子は、あまり興味が無さそうでしたが、時々やって来ては、れんげの蜜を吸ったり、綺麗に飾られた女の子と、楽し気に話したり、やはり心なしか楽しげなのです。


 私もシロツメクサの花の冠を作っていると、突然、突風が吹き、その風を受けて花びらたちは空高く舞い上がったかと思うと、ひらひらと私たちのもとへ落ちてくる。まるで夢のようでした。


 そんな様子にうっとりと目を細めていると、森の木々が、がさごそと音をたてるのです。


「「キャッー!」」

「えっ、何? 誰かいるの?」


 隣に座る百合ちゃんが私の手を取りながらも、音をたてに木々に向かって言いました。私たちは百合ちゃんの腰に掴まり、いつでも逃げられるようにと。でも、どこへ? と、考えを巡らせていました。それでも目は、音のした場所を緊張しながらも、そらさず見つめていました。


 草、木をパキン、バキッと折りながらも、そこから現れたのはとっても綺麗な大人の牡鹿です。白い毛並みはとてもうつくしく、太陽に照らされて、光輝いているようでした。


 立派な角は天を目指し伸びていて、大きな大樹の幹のよう。瞳は黒く、睫毛も長く、ゆっくり瞬きをして、優雅に私たちを見つめるのです。


 でも……、さすがに牡鹿の角は大きく、危険なことは私たちがいくら子どもと言っても、見てすぐにわかりました。迂闊に近づいたり、逃げてはとっても危険なのです。


 だからいくら鹿さんが可愛らしくて、触りたいなぁーと、思いつつも、心臓は飛び出しそうなほどドクドクと音をたてています。


「すず、だめ! 行かないで!?」


 声のした方を見ると、啓子ちゃんが、妹のすずちゃんを座りながら捕まえようとしていました。


 私は鹿さんの横から、ゆっくり立ち上がり、すずちゃんを抱っこすると、「すずちゃん、鹿さんはまだ、触るとびっくりしちゃうからね~。啓子ちゃんのおひざの上から見てようか」


 黒く透明な瞳で、私と鹿さんを見比べたすずちゃんは、「うん、わかった。鹿さんが『もういいよ』って言ったら、触っていい?」


「うーん、啓子ちゃんが『いいよ』って言ったらかな? 今は、鹿さんより、啓子ちゃんの方がびっくりしてるよ」


「本当だ!? 怒られちゃうかもしれない……」


 そう言って顔を隠すすずちゃんは可愛らしく、鹿さんにも負けないくらい。顔を隠す、おててのは小さなもみじの落ち葉のようです。


「怒らないから! 怒らないから! 早く戻って!」


「けーちゃん怒ってるから、やだー」


「怒ってないっていってるじゃん! この馬鹿、すず!」


「ははは……、じゃー私と一緒に啓子ちゃんの隣へ座ろうか」


「ちょっと怖いけど、いいよ」


 そうすずちゃんが言ってくれたので、私は啓子ちゃんの隣へと座り、百合ちゃんもゆっくりとやって来て隣へと座り、ふたたび鹿さんをみます。


「すず、心配させないでよ……」

「うん、わかった!」

「絶対、わかってない……」


志穂しほちゃんも、心配させないで!」

「あ……、百合ちゃん、ごめんね」


 緊張し、息を殺して見ていた他の子たちは、私たちがすずちゃんを掴まえるあいだ中も後も、鹿さんは変わらず私たちを大人しく、どちらかというとも見守っている鹿さんの様子だったのを、ただ黙って見ていました。


 ――鹿さんは、本当に両親から聞いていた通りのお方だ。


 私がそんな気持ちで、鹿さんを見守るのと同じように、みんな何も話さず、大きく目を見開き、鹿さんを見ている様でしたが、それぞれ思い思いの気持ちがあったと思います。


 そしてみんな合わせたように、お互いの顔を見合わせました。


 ――どうする? みんなの目がそう言っていました。そのすぐ後に、年下の女の子たちが、緊張に疲れてしまったのか。話を始めました。


 もしかしたら本人たちは、小声で話しているつもりかもしれないけれど……。その声は、みんなに聞こえ、私たちの緊張を和らげます。


「白い鹿だー」

「ゆい、知っているー白い鹿は神様なんだよー」


「あっ、あー俺も知っているー、神様なの知ってるー」


 少しだけ我慢をしたのだから、もう平和だろうと、その話をかわきりに小さい子たちは、鹿のまわりに集まり始めました。


「ちびどもは、あまり不用意に近づくなよ」と、男の声。


 いつのまにか、いつもは居ない健一さんたち、男の子も居たので、私はちょっと驚きました。


 優しそうで、愛らしい、鹿さんは、遠くから眺めている集まった子たちを、一人、一人、見回してはただ見つめている。とっても不思議な光景だった。


 いつも自分の守るべき私たち子どもを改めて確認しているようでもあり、警戒してるようでもありました。


 その時、私は手に持っていた作りかけの花の冠にやっと気づく。最後のシロツメクサを摘むと慌てて編みこみ、白くて可愛い花を咲かせているシロツメクサの冠が出来上がりました。


 ――うん、出来た。鹿さんと同じ色で、きっとよく似あうはず!


「あの……どうぞ……」


 私は鹿さんの隣まで行くと、座って、鹿さんの立派な角へシロツメクサの冠をかけた。


「わぁ……可愛い……でも、ちょっと重くなった? 大丈夫?」


 父は時々、森の奥の聖域へ向かい、村で収穫したものをお供えに行くので、そのまねっことして持っていったが……。


 ――重い? こんなに立派な鹿さんだから大丈夫……よね?


 そして私に続き、同じ歳の従妹の百合ちゃんも、恐々と腰の引けた感じだったけど、同じように花の冠をかける。


 まっすぐな艶々な長い髪で、お人形のような百合ちゃんと、とってもお利口さんの鹿さんはおとぎ話の中の人たちみたい。


 鹿さんの大きな角に、花の冠を二つ付けると、とても素敵になる。


 そんな鹿さんのまわりで、「わぁ~~~」と、女の子たちから声が上がる。


「あれ、ちょっお重いんじゃんねぇ?」と、健一さんたちの方から声が聞こえた。


 私のひざの着物をぎゅうっとしわが出来るほど掴み、やっぱりそうなのかな……? と、体を小さくしました。


 けれど、私たちが花の冠を鹿さんにかけたことで、ぐぅーっと子どもの私たちのからの鹿さんへの距離が近くなったみたい。


「可愛い!」と言って、女の子は飛んだり跳ねたりしながら、心を踊らせ、鹿さんをなでなでしたい気持ちなのからなのか、みんなキラキラした目で鹿さんを見つめていた。


「鹿島様は神だから、怒らせる事をしないでね」


 畑の手伝いをしてるはずのひろ姉ちゃんが、息を弾ませやって来ていた。その横に啓子ちゃんとすずちゃんがひっついている。


「「はーい」」


「でも、本当に可愛いわねー、弟に呼ばれて来て得しちゃたかも」

 

 妹と弟の面倒を見ながらそう言うと、巧みに小さな子達を近付けないようにしています。


 それから女の子たちは静かに花の冠を作り出し、そして時々、男の子がやって来ると、すぐにどっかのお兄さんが追いかけて来て、手をつなぎ連れて帰っていった。男の子にはやんちゃな子もいるから、凄く見張られているのかもしれない。


 日が陰り冷たい風が吹く頃、さすがに花の冠も、重くなってしまってきてしまったようで、花の冠を付けようとすると、ゆっくり首を横に振り、それ以上の花の冠を鹿さんも拒んでいた。


 気が緩んでいた私たちの隙をついて、中には鹿さんに乗ろうとする男の子もやっぱりあらわれて、そして鹿さんは立ち上がり、彼から距離をとったと思うと、夕暮れの中で、赤く染まった森の奥へと帰って行った。


「「バイバイ」」


 私たちのまわりを、急に冷たい風が吹き抜ける。辺りの森からの風の声も思い出したように、その声を強めた。


「行っちゃった……」

「鹿さんまた明日も来るかな?」


「わかんねーって言うか、もう帰るか」


 そう話すと、私たちもそれぞれの家へと帰る。


 ――けれど、帰る時、花畑から風に乗って来る、甘い花の香りに誘われて振り返ると、そこには鹿さんが、帰る私たちを見送ってくれていた。


「ばいばーい、鹿さん」


 そういうと鹿さんは再び森へと帰ってしまったけれど、もしかして村までは、見送ってくれていたのかもしれない。


   続く

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