第11話(白崎澪視点)

――静かだった。


風も、声も、何もない。

目を開けると、そこは白い靄に包まれた空間だった。

地面も空もなく、ただ、無限に広がる白だけがあった。


(……ここは、どこ……?)


確かに、私はベランダから――落ちた。

骨が砕ける痛みも、血の温度も、何も感じなかったのに。

今は、ただ軽い。浮かんでいるみたいに。


「やっと来たね、澪」


不意に、声がした。

振り向くと、白い光の中に、人影がひとつ。


長い外套を纏い、年齢も性別も判別できない人物。

顔は靄に隠れているのに、なぜか、笑っているのが分かった。


「……あなたは、誰?」


「私は、この物語の“管理者”とでも言えばいいかな」


「……物語?」


「ああ。君はもう気づいているはずだ。

 この世界はゲームのような分岐を持ち、

 君の幼なじみ――悠真を中心に回っていることを」


始めた聞いたのに、ここはゲームの中、何故かそう思えてしまう。


そして、胸が強く締めつけられる。

悠真。もう、会えない人。


「一周目、君は何もできなかった」

「悠真くんを……救えなかった」


嗚咽が漏れそうになるのを必死に堪えた。

思い出すのは、彼の孤独な背中、最後に残した謝罪の言葉。


「でもね、澪。君にはまだ可能性がある」


光の人物は、ゆっくりと手を差し伸べてきた。


「もう一度、やり直さないか?

 君が“本当のヒロイン”になるための世界で」


「……やり直す?」


「そう。次の周回では、君は未来の記憶を持って目覚める。

 選択を間違えなければ――悠真を、全員を、救えるかもしれない」


「……全員を……?」


「ただし、条件がある」


光の人物は、淡々と告げた。


「悠真をハーレムルートに導けば、また同じ悲劇になる。

 一人でも心から救わなければ、世界はバッドエンドを迎える」


息を呑む。

あの日、音楽室で悠真に伝えた言葉――

「選ばなきゃ、全員が傷つく」

「一人だけを選んで」

きっとこれは、この真実を知った未来の私が残した警告だったのだ。


(次こそ……絶対に、救う)


心の奥で、炎が灯る。

涙を拭い、光の手を掴んだ。


「……もう一度、やらせてください」


光が弾けた瞬間、意識は闇に沈み――

次に目を開けたとき、私は再び、高校二年生の春を迎えていた。



――目が覚めた。


聞き慣れた目覚ましの電子音。

カーテンの隙間から差し込む、春の朝の陽射し。


(……ここ……私の部屋……?)


飛び起きて周囲を見渡す。

制服の掛かったハンガー、机に積まれた参考書。

そしてカレンダーに記された日付――四月七日。


(高二の、春……? ……まさか……)


心臓が早鐘を打つ。

昨夜まで地獄にいたはずの私が、

悠真がまだ生きている、この日常に戻ってきている。


「……本当に、やり直せるんだ」


布団を握りしめ、震える声が漏れた。

胸の奥に、死の間際まで味わった痛みと悔しさが残っている。


悠真の孤独な背中。

佐久間に囚われた地獄のような日々。

誰も救えず、自分すら救えなかった一周目の結末。


(次は、絶対に失敗しない……)


玄関を飛び出し、通学路を走る。

春風が頬を撫で、満開の桜が舞う。

この光景は、二度と取り戻せないと思っていたものだ。


角を曲がった瞬間――


「おはよ、澪!」


聞き慣れた声。

そこに立っていたのは、制服姿の悠真だった。

まだ何も知らず、無邪気に笑っている彼。


視界が滲む。

涙を必死に堪えながら、私は笑顔を作った。


「……おはよう、悠真くん」


通学路を並んで歩く。

横顔を盗み見るだけで、胸が締めつけられる。


(絶対に、守る。二度と、あんな結末にはさせない)


心の中で強く誓う。

この世界は“ルート”でできている。

なら、私が選ぶのはただひとつ――


悠真を、私の手で幸せにするルートだ。


その日の放課後。

私は悠真と二人で学校裏の公園にきていた。


夕暮れが差し込む中、悠真とベンチに腰を下ろした。


(ここから始まる……二周目の物語が)

(悠真くん。そして、みんな 今度こそ――絶対に、救ってみせる)

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