第7話
翌朝。
昨日の放課後に澪からまっすぐな告白をされたせいで、正直まだ頭がぐるぐるしている。
(あれ、夢じゃなかったよな……)
思い出すだけで、胸のあたりが妙にムズムズする。
顔を洗っても、目をつぶっても、澪の真剣な顔がフラッシュバックしてくる。
「……なんだよ、これ」
俺は額を押さえて鏡の前でため息をついた。
下に降りると、妹の紬がいつものようにキッチンで朝食をつくっていた。
エプロン姿で鼻歌まじりに卵を焼いている。
「おはよ、お兄ちゃん。……って、なんか寝不足?」
「……かもな」
「ふーん。昨日の“あの後”のこと、まだ引きずってる感じ?」
「引きずるだろ、普通……」
紬はにやりと笑って、俺の顔をじっと覗き込んだ。
「へーえ。澪先輩のこと、意識しちゃった?」
「ち、ちが……」
「顔、真っ赤だよ?」
「黙れ紬……!」
笑い声が朝の食卓に響く。
こんなふうにからかわれてると、逆に少しだけ気が楽になるのが悔しい。
登校途中、澪が家の前で待っていた。
今日も制服はぴしっと着こなしていて、髪もきれいに整っている。
それなのに、少しだけそわそわと足元を見つめていた。
「おはよ、悠真くん」
「……お、おう。おはよう」
ぎこちない空気が流れる。
でも、すぐに澪が軽く笑って、いつもの調子に戻った。
「ふふ、なんか、昨日と違ってぎこちないね。……照れてる?」
「ち、違うってば!」
「じゃあ、何?」
「……えっと……」
答えに詰まる俺を、澪はくすくす笑いながら見上げてきた。
やばい、ちょっと可愛いと思ってしまった自分がいた。
教室でも、澪はやたらと距離を詰めてくる。
「ねえ、今日のお弁当、私の分もある?」
「いや、なんで前提なんだよ……」
「だって、悠真くんの卵焼き、おいしいし」
そう言いながら、勝手に俺の弁当箱を開けて箸を伸ばしてくる。
「こら、盗み食いすんな!」
「いいじゃん、幼なじみだし♪」
「昨日の話はどこ行った!」
「昨日の話があったからこそ、今こうして近づいてるんだよ?」
ドヤ顔で言う澪を見ていると、もうツッコミが追いつかない。
けれど周囲の視線がひそひそと突き刺さるのが気になってしょうがない。
(……なんか、クラスの雰囲気が変わってきた気がする)
そう――昨日まで“モブ”だった俺が、なんか“目立ってる”気がする。
澪のアピールが露骨すぎて、クラスメイトたちも俺たちの関係に興味を持ち始めていた。
放課後。
「ねえ、悠真くん。今日は寄り道して帰らない?」
「どこに?」
「決まってないけど、なんとなく……二人で歩きたくて」
その言い方が妙に乙女で、俺は言葉に詰まった。
けれど断る理由もなく、俺たちは近くの公園まで歩いた。
ベンチに並んで座ると、澪はふうっと小さく息をついて、ポツリと言った。
「……やっぱり、こういうの、緊張するね」
「何が?」
「“好きな人”と一緒にいるってこと。今までみたいに自然体じゃいられなくなっちゃう。……でも、それでいいって思ったの。私、変わりたいって思ったから」
夕焼けの光に染まる横顔は、どこか照れていて、でも真っ直ぐだった。
言葉に詰まった俺に、澪がそっと笑いかける。
「でもね、悠真くん。あんまり他の女の子に優しくしすぎないでね? それだけは、お願い」
その言葉だけが、少しだけ、真剣な響きを帯びていた。
「幼なじみの逆襲、はじまります」
公園のベンチでしばらく沈黙が続いた。
沈黙って、本当は気まずいものなんだろうけど――不思議と居心地が悪くなかった。
隣にいるのは、ずっと一緒だった幼なじみ。
でも今は、その距離が少しずつ変わってきている。
「ねえ、悠真くん。手、出して」
「……え?」
「いいから」
言われるがまま、手を差し出すと――
澪はそのまま、俺の手を握った。
ふわっと、あたたかくて、小さくて、でも確かな温もり。
「……何してんの?」
「練習」
「練習って、何のだよ」
「デートの」
真顔でそんなことを言うから、俺の心臓は危うく爆発しかけた。
「だってさ、これから“恋人”になるかもしれないんだよ? いきなりじゃ恥ずかしいでしょ。だから、こうやって少しずつ、慣れていこうかなって」
「……」
俺が黙っていると、澪は少しだけ不安そうな顔をした。
「……迷惑だった?」
「いや、そうじゃないけど……びっくりしただけ」
「ふふ、ならよかった」
手を繋いだままの澪が、にこっと笑う。
その笑顔が、あまりにも自然で、あまりにも近くて――
俺はまともに息ができなかった。
「……澪、お前ってさ」
「うん?」
「昔から、こういうこと、ズルいよな」
「え? どういう意味?」
「……なんでもない」
俺は視線をそらして、手のひらの熱を感じていた。
なんだよこの状況、こっちが恥ずかしくなるじゃんか。
「じゃあ、帰ろっか。夕飯、作らないといけないでしょ?」
「あ、ああ……」
立ち上がったとき、ふいに澪の足元がもつれた。
「わっ」
「おい、だいじょ――」
ぐらついた澪を支えたその瞬間。
顔と顔が、ほんの数センチの距離になった。
お互いの息が混ざる。
見つめ合う。
その一瞬が、時間ごと止まったように感じられた。
「……っ」
我に返って、俺は距離を取る。
澪もすぐに顔を真っ赤にして俯いた。
「ご、ごめん、わざとじゃないよ!? いまのは、たまたま!」
「わ、わかってるって……!」
わかってるけど! 心臓の音が! うるさすぎる!
それからの帰り道、ふたりともほとんど会話がなかった。
でも、その沈黙には、ほんの少しだけ甘い空気が混ざっていた。
家に帰って、部屋に戻っても、さっきの澪とのやり取りが頭から離れなかった。
(なんだよ、あの距離感……)
いつもの幼なじみだったはずなのに。
手のぬくもりと、あの至近距離の空気が、体から抜けてくれなかった。
そして――
夜。
ベッドの中で天井を見つめながら、ふと思い出す。
(澪、言ってたよな……“誰か一人のルートに入って”って)
澪は、なぜ“ハーレムはダメ”ってあんなに必死だったのか。
それを説明してくれたわけじゃないけど、あの目は本気だった。
(……俺、どうすればいいんだよ)
選ばなきゃいけない。
でも、誰も傷つけたくない。
そんな、あり得ない選択肢の前で――
俺は静かに目を閉じた。
そしてその夜。
誰かの部屋では、また別の“記憶”が、静かに目を覚まそうとしていた。
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