第2話 静寂を破る刃
「なっ……!? その力……封印は解かれていないはず……! なぜだ!?」
クロードの冷静さを失った声が、夜の森に響き渡る。
俺の体から溢れ出す魔力の奔流は、まるで嵐のように周囲の空気をかき乱し、木々の葉を激しく揺らしていた。
「……答える義理はない」
俺は静かに、ただ冷たく事実だけを告げる。
「ただ、お前たちがここにいる限り、俺はこれ以上の力を解放することになる。そうなれば……どうなるか、わかるな?」
「くっ……!」
クロードが苦々しく顔を歪める。
彼の背後に控える『影の騎士団』の隊員たちが、ゴクリと喉を鳴らす音が聞こえた。
俺が放つプレッシャーだけで、歴戦の暗殺者たちが身動き一つ取れずにいる。
「脅しているつもりか、アレン! 我々は王の勅命を受けている! 貴様一人の力で、王国に逆らえるとでも――」
「逆らう? 違うな」
俺はクロードの言葉を遮る。
「俺は、ただ静かに暮らしたいだけだ。それを邪魔するなら、誰であろうと排除する。……王だろうと、神だろうと」
その瞬間、俺の殺気はクロード一人にではなく、その場にいる全員に向けられた。
「ヒッ……!」
隊員の一人が、短く悲鳴を上げた。
恐怖に耐えきれなくなったのだろう。
あるいは、ここで俺を討ち取れば大手柄だと、血迷ったのかもしれない。
「う、うおおおおっ!」
一人の暗殺者が、理性を失った獣のように雄叫びを上げ、影の中から飛び出してきた。
その手に握られた短剣が、月光を浴びて鈍く光る。
「馬鹿! やめろ!」
クロードの制止の声も、もう届かない。
男は最短距離で俺の懐に潜り込み、心臓を狙って正確に刃を突き出してくる。
かつての俺なら、賞賛したかもしれない、見事な一撃。
だが。
「――遅い」
俺は、動かない。
ただ、溢れ出る魔力の一部を、体の前面に集中させるだけ。
ドンッ!!
「がっ……!?」
男の体は、まるで分厚い鉄壁に叩きつけられたかのように、俺に触れることすらできずに弾き飛ばされた。
見えない魔力の障壁。
それだけの、単純な防御。
男は受け身も取れずに地面を数回バウンドし、ぐったりと動かなくなった。
生死は不明だが、少なくとも戦闘不能だろう。
「……一人」
俺は、氷のように冷たい声で呟いた。
「次か?」
その視線に射抜かれた暗殺者たちが、数歩後ずさる。
もはや彼らの顔に、戦意はなかった。
あるのは、理解不能な存在に対する、原始的な恐怖だけ。
「……全員、退くぞ」
クロードが、歯を食いしばりながら命令を下した。
彼のプライドが、この屈辱的な撤退を許さないと叫んでいるのがわかる。
だが、指揮官としての理性が、それを上回った。
これ以上の戦闘は、無意味な死を増やすだけだと。
「賢明な判断だ」
「勘違いするな、アレン。これは撤退ではない。戦略的転進だ」
クロードは憎々しげに俺を睨みつける。
「貴様の存在は、王に報告させてもらう。いずれ、我々だけではない、本隊がここに来ることになるだろう。その時、この村がどうなるか……せいぜい楽しみにしているがいい」
それは、あからさまな脅しだった。
俺個人だけでなく、この村全体を人質に取るという、卑劣なやり方。
「……そうか」
「覚えておけ。貴様に平穏など、二度と訪れはしない」
クロードはそう言い残すと、気絶した部下を担ぎ上げさせ、闇の中へと消えていった。
他の隊員たちも、一目散にその後に続く。
嵐が、去った。
後に残されたのは、抉られたように荒れた地面と、張り詰めた空気の残滓。
そして、クロードの言葉。
(……この村が、どうなるか)
その言葉が、頭の中で何度も反響する。
俺はゆっくりと、溢れさせていた魔力を体内に収めた。
途端に、全身を凄まじい疲労感が襲う。
封印された力を無理やりこじ開けた反動だ。
「はぁ……っ、はぁ……」
膝が笑い、思わずその場に片膝をつく。
額から、脂汗が噴き出した。
「アレンさん……!」
か細い声がして、俺はハッと顔を上げた。
いつの間に来ていたのか。
食堂の陰から、エマが青ざめた顔でこちらを見ていた。
その隣には、村長の姿もある。
他にも数人の村人が、遠巻きに、恐怖と好奇の入り混じった目で俺を見つめていた。
「エマ……村長も……」
「今のは……一体……?」
村長が、震える声で尋ねる。
無理もない。
ついさっきまで、ただの穏やかな流れ者だと思っていた男が、屈強な武装集団をたった一人で追い払ったのだ。
それも、まるで人知を超えた力で。
「……見ての通りだ」
俺は、自嘲気味に笑うしかなかった。
「俺は、あんたたちが思っているような、ただの人間じゃない」
「……」
誰も、何も言わない。
沈黙が、何よりも雄弁に彼らの感情を物語っていた。
感謝、驚嘆、そして……拭い去れない、恐怖。
「アレンさん……」
エマだけが、おずおずと俺に近づいてくる。
その瞳は不安に揺れていた。
「あなた……一体、誰なんですか……?」
その真っ直ぐな問いに、俺は言葉を詰まらせた。
何と答えればいい?
元英雄? 王国最強の騎士?
そんなものを明かしたところで、この村にさらなる災厄を呼ぶだけだ。
俺のせいで、この村の平穏は壊れてしまった。
クロードの言葉が本当なら、いずれ、もっと大きな力がこの村を襲うだろう。
俺がここにいる限り。
(……もう、ここにはいられない)
心のどこかで、そう結論が出た。
手に入れたはずの安息の地も、自らの力のせいで手放さなければならない。
運命の皮肉に、乾いた笑いが込み上げてくる。
「俺は……」
俺は何かを言いかけて、やめた。
エマの不安そうな顔が、月明かりの下でやけに鮮明に見えた。
彼女の日常を、これ以上壊したくはなかった。
脳裏に、追放された日の光景が蘇る。
玉座に座る王の冷たい目。
かつての仲間たちの、蔑むような視線。
そして、俺からすべてを奪った、あの言葉。
『貴様はもはや英雄ではない。国を脅かす災厄だ』
そうだ。
俺は、災厄。
平穏な場所にいてはいけない、呪われた存在なのだ。
俺の沈黙を、エマはどう受け取ったのだろうか。
彼女は何も言わず、ただ、俺の前にそっと一枚の布を差し出した。
汗を拭けということらしい。
その小さな優しさが、今はひどく胸に染みた。
だが、それを受け取る資格は、もう俺にはない。
夜風が、俺と彼女の間を、冷たく吹き抜けていった。
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