追放された元英雄騎士は静かに暮らしたいのに、落ちこぼれの少女たちが俺を最強師匠と慕って離してくれない

境界セン

第1話 捨てたはずの剣

「……ふぅ」


静かな森の奥。

木漏れ日が優しく降り注ぐ小さな広場で、俺はゆっくりと息を吐き、木剣を振るっていた。

汗が滲む。心臓が穏やかに脈打つ。


剣を振るうのは、もう日課でしかない。

強くなるためじゃない。

なまった体をほぐし、生きていることを実感するためだけの、静かな儀式。


「アレンさーん! ご飯ですよー!」


森の外から、よく通る少女の声が聞こえた。


「……ああ、今行く」


俺は木剣を鞘に納め、村へと続く小道を歩き出す。

アレン。

それが、今の俺の名前だ。


かつて「閃光のアレン」と呼ばれ、王国最強の騎士として英雄と呼ばれた過去は、この村の誰も知らない。

知る必要もない。

俺は、あの忌まわしい過去も、名前も、すべて捨てたんだから。


村の小さな食堂に着くと、エプロン姿の少女が笑顔で迎えてくれた。


「もう、訓練に夢中だったんでしょ? スープ、冷めちゃいますよ」


「すまない、エマ。いい匂いだな」


彼女はエマ。この食堂の看板娘だ。

俺がこの村に流れ着いた時、最初によくしてくれた恩人でもある。


「今日は特製シチューです! たくさん食べてくださいね!」


「ああ、いつもありがとう」


熱いシチューをスプーンで口に運ぶ。

素朴だが、心のこもった味が体に染み渡る。


……そうだ。

俺が望んだのは、こんな穏やかな日常だった。

誰かのための戦いじゃない。

ただ、自分のためだけに生きる、静かな毎日。


その平穏が、突如として破られることになるとは、この時の俺はまだ知らなかった。


ドンッ!!


食堂の扉が、乱暴に蹴破られた。


「ヒッ……!?」


エマの小さな悲鳴。

俺はスプーンを置き、音のした方へ視線を向ける。


そこには、見るからに柄の悪い、錆びた剣を腰に下げた男たちが三人、下卑た笑みを浮かべて立っていた。


「よぉ、嬢ちゃん。ギルドからの通達だ。今月の『協力金』、まだもらってねえよなァ?」


リーダー格の男が、ぎらついた目でエマを睨みつける。


「そ、そんな……今月分は、もうお支払いしたはずです……!」


「ああ? 足りねえって言ってんだよ。俺たちの『手間賃』がよぉ」


男たちがじりじりとエマににじり寄る。

完全に、ただのチンピラの言い分だ。

この辺りを縄張りにしている、『蛇の牙』とかいう三流ギルドの連中だろう。


俺は静かに立ち上がった。


「おい、やめておけ」


「あんだ、てめぇ?」


男たちが一斉に俺を睨む。


「その子を困らせるな。用があるなら俺が聞く」


「ハッ、なんだこのヒョロっちいのは。嬢ちゃんの騎士様気取りか? 痛い目見ねえうちに消えな」


「……忠告はしたぞ」


俺はわざとらしく、深いため息をついてみせた。

面倒事はごめんだ。

だが、恩人であるエマが見過ごせない。


「アレンさん、ダメです! 逃げて……!」


エマが悲痛な声を上げる。

大丈夫だ、と目で合図を送る。


「てめぇ……! 舐めやがって!」


一番近くにいた男が、拳を振りかぶって殴りかかってきた。

遅い。

あまりにも、遅すぎる。


俺は最小限の動きでその拳をいなし、男の体の軸をずらす。


「なっ……!?」


男は自分の力が流されたことに気づかず、前のめりによろめいた。

そこに、もう一人が剣を抜いて斬りかかってくる。


「死ねやぁっ!」


キンッ!


甲高い金属音。

男の剣は、俺がとっさに掴んだ鉄製のスプーンに受け止められていた。


「な……んだと……?」


「スプーンで……剣を……?」


男たちが驚愕に目を見開く。


「悪いが、あまり店を汚したくないんでな。外に出ろ」


俺はスプーンで剣を弾き返し、男の顎に軽い掌底を叩き込んだ。


「ぐふっ……!」


男は白目を剥いて、あっさりと床に崩れ落ちる。


「き、貴様……何者だ!?」


リーダー格の男が、恐怖と怒りの混じった声で叫んだ。

まずいな。少しやりすぎたか。

力を抑えたつもりだったが、それでも常人離れして見えたらしい。


「ただの通りすがりだ。さっさと仲間を連れて失せろ。二度とこの村に来るな」


「ふ、ふざけるな! 俺たちを誰だと思ってやがる! 『蛇の牙』だぞ!」


「だから、それがどうした」


俺の冷たい声に、男の肩がビクリと震えた。

その瞳の奥に、本能的な恐怖が宿るのが見えた。


「お、覚えてやがれ……!」


男はそう吐き捨てると、気絶した仲間を引きずって、慌てて食堂から逃げ出していった。


「……はぁ」


嵐が去った食堂で、俺は再びため息をつく。


「アレンさん……!」


エマが駆け寄ってくる。その瞳は潤んでいた。


「すごい……すごかったです! まるで物語の騎士様みたい……!」


「やめてくれ。俺は騎士なんかじゃ……」


ない、と言いかけた言葉を、俺は飲み込んだ。

エマの純粋な尊敬の眼差しが、少しだけ痛かったからだ。


「怪我はなかったか?」


「は、はい! アレンさんのおかげです! ありがとうございます!」


「……ならいい」


後片付けを手伝い、壊された扉を応急処置する。

これで、また平穏な日常に戻れる。

そう、思いたかった。


その夜。

俺は、嫌な気配を感じて目を覚ました。

昼間のチンピラとは違う。

もっと濃密で、殺意に満ちた気配。


そっと寝床を抜け出し、家の外に出る。

月明かりの下、森の入り口に複数の人影が揺らめいていた。

その数、およそ十。

全員が、統率の取れた動きで、静かに村を包囲しようとしている。


(……昼間の連中の報復か? いや、動きが素人じゃない)


あれは、訓練された兵士の動きだ。

それも、ただの兵士じゃない。

影に生き、人を殺すことを生業とする者たちの……。


「見つけたぞ……『閃光』のアレン」


闇の中から、静かな声が響いた。

その声に、俺は全身の血が凍るのを感じた。


忘れるはずもない。

かつて、俺が所属していた王国騎士団、その暗部を担う『影の騎士団』の部隊長、クロードの声だ。


「……何の用だ。俺はもう、騎士団を抜けたただの一般人だぞ」


「そうであったら、我々もここまで来る必要はなかった」


クロードが、ゆっくりと闇の中から姿を現す。

その背後には、黒装束に身を包んだ暗殺者たちがずらりと並んでいた。

全員が、俺のかつての同僚たちだ。


「貴様が辺境で、妙な動きを見せているという報告があってな。昼間の騒ぎ、やはり貴様だったか」


「人違いだ」


「とぼけるな。貴様の力は、封じられたはずではなかったのか? 王国の命令に背き、力を取り戻したというのなら……それは、王国に対する反逆と見なす」


クロードの目が、冷たく光る。

その手には、見覚えのある漆黒の剣が握られていた。


「アレン。大人しく我々と共に来てもらおうか。抵抗するならば――」


クロードが言葉を切る。

周囲の暗殺者たちが、一斉に殺気を放った。

空気が張り詰め、肌がピリピリと痛む。


「――この村ごと、お前を消し去るまでだ」


その言葉に、俺の中の何かが、プツリと切れた。


俺のことはどうでもいい。

追放され、殺される運命なら、それも受け入れよう。


だが。


(この村を……エマたちの穏やかな日常を、壊させるわけにはいかない……!)


俺は、ゆっくりと右手を前に出した。

かつて、数多の敵を屠ってきた、この忌まわしい右手を。


「……やめておけ、クロード」


「まだ言うか。もはや貴様に、我々と渡り合う力など……」


「忠告は、したぞ」


俺は、心の奥底に固く封じ込めていた「それ」の蓋を、わずかに開いた。


瞬間。


俺の右手から、凄まじい魔力が奔流となって溢れ出す。

ビリビリと空気が震え、地面の小石がカタカタと揺れた。


「なっ……!? その力……封印は解かれていないはず……! なぜだ!?」


クロードが驚愕に目を見開く。


そうだ。封印は解いていない。

これは、その封印から漏れ出している、ほんの力の欠片にすぎない。

だが、それでも。


「失せろ。俺の平穏を、邪魔するな」


俺の背後に、淡い光の翼が幻影のように揺らめいた。

それは、かつて俺が「英雄」と呼ばれた力の象徴。

そして、俺が最も憎み、捨てたはずの力だった。


クロードとその部下たちは、その圧倒的な力の奔流を前に、動けずにいた。

恐怖に染まった彼らの顔を見ながら、俺は静かに心の中で呟く。


ああ、まただ。

また、俺は、この力を使わなければならないのか。

静かに暮らしたいだけなのに、どうして……。

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