第60話 ハンマー

 ――湾岸・中防埠頭 第三倉庫地帯


 コンクリートの床に滴る血は、冷たい夜風に晒されながらも蒸気を立てていた。


 安田憲一郎は、その中央に立っていた。手には血塗れのナイフ、そしてもう一つ――鉄製のハンマー。柄に巻かれた黒いグリップは、彼の手の中に吸い付くように馴染んでいる。


 このハンマーは、かつて町工場で毎日使っていたものだ。ボルトを叩き締め、鉄骨を支える支柱を打ち込むための、まぎれもない「仕事道具」。それが今、別の「仕事」のために使われようとしている。


 「……皮肉なもんだよな」


 彼は床に転がった死体の一つに向かって、ぼそりと呟いた。


 「この道具で、家を建てるはずだったんだよ」


 返事など、もちろんない。


 ――地下ルートで松枝興業に武器を卸していた公安の裏ブローカー。その名前は“堀内”。かつて町工場の納品先で働いていた男だった。工場が不正告発を受けて倒産したのも、全て堀内の仕込みだったと知ったのは、つい一ヶ月前のことだった。


 妻が壊され、息子がいなくなったのも、その余波だった。


 すべては繋がっていた。公安、半グレ、裏金、情報操作――。


 「なら、お前らが作ったこの腐った土台ごと……叩き壊してやるよ」


 安田はハンマーを肩に担ぎ、倉庫の奥へと進んだ。


 そこには端末があった。ブローカー堀内が使っていた公安の非公式端末。電源を入れると、幾つかのファイルが並ぶ。


 その中のひとつ――《TAP-07:公安特務課・非正規案件》を開く。


 映し出された顔写真の中に、見覚えのある人物があった。


 《風間晴臣》――警視庁公安部特務課課長代理。かつて安田の親友だった刑事。


 「……そうか。お前が“依頼主”ってわけか」


 かつて町工場で働く安田に、公安への転職を勧めたのも風間だった。だが、ある日を境に安田の人生は転落し、風間は公安の幹部へと登りつめていった。


 その裏で、いったい何があったのか。


 ハンマーのグリップが軋む。


 「風間。お前も、清算だ」


 安田は端末からUSBを抜き取り、背中のジャケットにそれをしまうと、扉を開けて夜の闇に出た。


 東の空が、わずかに青みを帯びてきていた。だが彼の心は、ますます暗く冷たく沈んでいた。



---


――警視庁地下4階・特務課セクションZ


「……やはり動き出したか。佐倉――いや、“安田憲一郎”」


 無機質な蛍光灯の下、風間晴臣は端末を見つめていた。画面には倉庫街での戦闘記録、そして“堀内”の心停止が赤く表示されていた。


 背後の扉が開き、黒スーツの男が入ってくる。


 「風間課長、彼が次に狙うのはおそらく――」


 「わかってる。次は俺だ」


 風間は席を立ち、机の下から金属製のケースを取り出した。


 中には、公安内でも使用が禁じられている“試作兵装”――**高周波ブレード内蔵型ハンマー“雷鳴ライメイ”**が収められていた。


 風間もまた、覚悟を決めていた。



---


――次章予告:『鋼鉄の咆哮』


 かつて同じ未来を信じた男たちが、今は互いの信念を砕き合う宿命にある。


 正義なき世界で、正義を名乗った者が倒れたとき、


 残るのは、ただの**“破壊”か、それとも――“再生”**か。


 そして今、湾岸に雷鳴が轟く――。


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