第6話-3

 蔵カフェからソラさんと帰って、家の前で別れた。

 リビングに入ると、どよんとしている。空気が重たい。

 ソファーにすわった丈琉なんて、ひどくうなだれて、でも泣いているわけでもない。

 

 キッチンでなにかを刻んでいる母親は、ちらちらと丈琉の様子をうかがっては、ため息をついている。達樹さんはまだ仕事らしい。

「ただいま。なにごと?」

「おかえり、小春」

 キッチンからやってきた母親が迎えてくれた。

「小春! ぼく、悪くないよ、ちっとも、悪くないんだよ!」

 突如、丈琉が大声をだした。

「どうしたの?」

 私が訊くと、母親が口を開いた。

「丈琉ね、クラスの子を、押し倒しちゃったの。相手の子、転んだ拍子に手をついてね、右の手首を捻挫しちゃったのよ」

「ちがう、左手」

 丈琉が訂正した。え、なに、なんだって?

「お母さん、それじゃあ結末だけで、よくわかんないよ。丈琉がそんなことするなんて、理由あるんでしょ?」

「ああ、あのね、丈琉はクラスメートがいじめられているのを見て、がまんがならなくなったんだって」

「だってあいつら、いっつも浜崎はまざきくんのことバカにしてさ、からかって靴隠したり、ノートやぶったりして。今日なんて、消しゴム食えって、無理やり口の中に押しこんだんだよ。ぼく隣の席だから、見てらんなかった」

「それで、押し倒したの?」

 私は訊いた。できるだけやんわりとした口調になるように気をつけて。

「うん。でも、ぼくが、ばん! ってやったら、ばん! ってなっただけなんだよ、ホントなんだよ!」

「うんうん、そっか。ねえ、相手は、何人?」

「四人……でもさ、クラスのみんなが見て見ぬふりだから、敵は全員」

 全員か……ひとりを相手に、集団でいじめにかかる。その怖ろしさとあざとさに、心の中で鳥肌が立つ。


 私は自分の身をそこに重ねた。怖い。すごく怖いことだ。なのに丈琉は立ち向かった。私の弟なのに、ものすごい行動力。


 母親が「それでね」と言う。

「ケガをした相手の親御さんに、達樹さんとあやまりに行ったら、怒鳴られたわ。でも私がね、あなたのお子さんにいじめられていた浜崎くんは、心に傷、たくさん抱えていたんでしょうにって言ったら、だまっちゃったわよ。担任の先生もね、これまでいじめに気がつかなかった、申し訳ありません、だって」

「そっか……相手をケガさせてしまったことは、まずかったよね。そこはあやまらないと。それでも丈琉の勇気は立派だよ。間違ったことを、止めようとしたんだもんね」

 私の言葉に、丈琉の表情が、ぱっと明るくなった。

「問題なのは、いじめの矛先が、丈琉に向いたらってことよ」

 母親の言うことに、今度は丈琉がしゅんとする。私は丈琉の前にしゃがんだ。

「ね、丈琉がやっつけたのは、どんなタイプの子? 先頭きっていじめるボス? それともボスの手下で、いいように使われる子?」

「ボスだよ。クラスでも、いちばん目立つヤツ」

「なら、あんまり心配することもないんじゃないの?」

「どうして? 逆に仕返しされたりしない?」

 母親が青ざめる。


「野生で群れてる動物ってさ、ボスがやられると、みんな怖じ気づいちゃうものなんじゃなかったっけ」

「あ、聞いたことある!」

 顔をあげた丈琉の表情が、再び明るい。

「そう? 動物とおなじかしら」

「すくなくともそう思って、むだにびくびくしたり、卑屈になったりすることはないよ、丈琉は」


 もっともらしいことを言ったのは、自分のためでもある。

 毅然とした態度でいなければ、それこそ今度はこちらがやられてしまうかもしれない。


「ぼくさ……あんなヤツらのいるクラス、なじもうなんて思えなかった。だから友だちも浜崎くんしかいない。ビーズの手芸も、浜崎くんに教わったんだ」

「そうだったの……もっとちゃんと、お母さんたちが聞いてあげていたらね。丈琉も、なんでも話してくれればよかったのに」

「だってぼくは、このうちの子じゃないかもって思ってたし」

「ごめんね、丈琉。私もお父さんも、丈琉のことを見ているようで、ちゃんと見えていなかったかもしれない」

 母親の言葉に、「うん、私からもごめん」、そう言って、丈琉の頭をなでた。やわらかな髪の毛が、てのひらに心地いい。

 ものごとを、よく見ること。見極めること。それは短歌を詠むことにも通じることだ。


 丈琉は唇をかみしめながら目をこすると、すっくと立ちあがった。


「このままだと、みんな同じ中学に行くでしょ。ヤだよ、中学でもあいつらと一緒なんて。ぼく、受験する。べつの中学に行く。浜崎くんも誘って。いいでしょ?」

「受験!」

 真っ先に反応したのは、母親だった。私だって、びっくりした。

「なら、塾にいかないと。これまでみたいに、ビーズに熱中する時間もなくなるわ。たまにはいいけど、それくらいの覚悟がなくちゃ、受験勉強はできないもの」

 ゆっくりと、母親は言った。

「……わかってる。でも、たまにはつくってもいいでしょ?」

「そりゃあね、息抜きは必要だものね。じゃ、あした早速、塾のパンフレットもらってこなくちゃ」

「そうだね、よろしく、お母さん。で、私たちの夕飯も! 手伝うよ」

「パート先から学校に呼びだされてね。まだ途中なの。ちゃっちゃとチャーハンでいい? あと、わかめスープ」

「お母さんのチャーハン、ぼく、好き!」

「私も。チャーハンに、ちくわある?」

「あるよー。ちくわも入れよう。あとは、ハムとネギと卵とね」

「やったー!」

 勢いよく言った丈琉に、私はひそかに〝がんばろうね〟とエールを送った。

 丈琉の決断は、〝逃げ〟なのかもしれない。でもこれは、負けではない。丈琉は丈琉なりに闘っているんだ。



 夜更けになっても眠れない。ソラさんの微笑みがフラッシュバックして、心をつかんで離さない。

 明日また学校で会えるかもしれないのに、今すぐ会いたい。眠れないほどあの人を考えるなんて、これって恋なんだろうか。

 なんて思って、気がついた。たんなるコーヒーの、カフェインのせいじゃないかって。


  眠れない理由はなんだそうだった恋なんかじゃない珈琲3杯





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る