第6話-2
「たくさんの人たちが亡くなったよ。僕は幸い、こうして生き延びたけれど。ま、生き延びたっていっても、涼介くんに迷惑をかけているね」
そう言って、ホットコーヒーをひと口飲んだ。
「うん、おいしい。向こうでは、代用コーヒーしかないからなあ」
「それって、どういうのですか?」
「たんぽぽや玄米らしい。色は似ているんだけれど、とにかく酸味がなくて、ただただ苦いんだ」
顔をしかめて、おどけてみせるけれど、彼は今どきの二十歳の学生よりも、ずっとずっと大人びているような気がする。
コーヒーがブラックで飲めるからじゃない。自分が大変な状況なのに、私の気持ちを察してくれる。とにかくやさしくて、しっかりしている。怖ろしい時代を生きているからだろうか。
「向こうでは配給制で、食べるものもろくにない。こっちの世界で、おいしいものをいくらでも食べられるのはありがたいよ。向こうで目覚めると、いつも腹をすかせているけれどね」
無理に笑うソラさんがかなしい。
私には、なにができる? 心から笑ってほしい。ソラさんに、せめてここでは楽しく暮らしてほしい。
「わ、私もホットコーヒー、飲んでみます!」
気づけばまるで関係のないことを口走っていた。
「小春ちゃん、飲めるの? ああ、ごめんね、子ども扱いして」
「いえ、コーヒーそのまんまの苦いのは飲んだことないんです。いつもミルクがたっぷり入ってたり、甘くしたりしたのを飲んでて。けど、ソラさんと同じものを飲みたくて」
それから私はコーヒーを頼んだ。
「コーヒーデビューをうちの店で! ありがとねえ、小春ちゃん」
はこんできてくれた鈴香さんが、噓みたいに感激してくれる。
「いくらでもお代わりしていいからね。涼介、あんたも。今日だけサービスね。コーヒー記念日!」
小声で言うと、ウィンクをしてキッチンに戻っていった。
「コーヒー記念日、だって」
ソラさんの声が笑っている。
「ソラさんは、いつでしたか?」
「僕は大学に入ってすぐかな。帰りにカフェでね。今日は小春ちゃんのはじめてに立ちあえて、うれしいよ」
ふいに顔が熱くなる。喜んでもらえるなんて。これまでコーヒーを経験してこなくて、ほんとうによかった。
「はじめはそのままで、味わってみるのもいいんじゃない?」
「あ……はい、そうします」
アドバイスどおり、ブラックで飲んでみることにした。ソラさんがそうしているから、という意味もある。まねがしてみたいんだ。
黒い液体なんて、コーラとお汁粉くらいしか飲んだことがない。しかもこれは砂糖なしで、熱い。
いったいどんな味……。
「苦っ!」
こんなものがおいしいなんて、ソラさんと私の隔たりを感じる。どうして苦くて濃いのに、おいしいと感じるんだろう。
「貸して」
ソーサ―ごと自分のほうへ寄せたソラさんが、お砂糖とミルクを入れて、スプーンでかきまぜてくれた。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
とは言ったものの、どうせ苦くて飲めないんだろ……。
「あ。飲めます、おいしい」
これなら缶やペットボトルで飲むカフェオレに近いものがある。
しかもソラさんがお砂糖とミルクを入れてくれたなんて、飲めないわけがない。
「よかった、口に合って」
私たちは向かいあってコーヒーを味わった。
しばらく沈黙がつづいた。だけど緊張することもなくて、むしろ心地いい無言の時間だと思えた。
やがてソラさんが「僕はね」と、発した。
「童話を世の中に広める人になりたいんだ。作家としてでも、評論家としてでも、はたまた書店を開く形でも」
やさしいソラさんにぴったりの夢だ。
「小さな人の教育はたいせつだよ。戦争のない日々にするためにもね」
過酷な時代にいるソラさんの言葉だからこそ、重たい。
だけどソラさんの時代の人は、子どもだって軍国少年少女で、お国のために命を散らすことをも厭わない考えだろう。
平和な世の中にならない限り、ソラさんの夢は、夢物語なんだ。
平和だからこそ、自由に生きて、好きなことができるということを、私はソラさんから学んだ。だけど、ソラさんの時代は、そうはできない。ほんの80年ほど前の日本では。
「小春ちゃんの夢って、なに?」
「夢……」
ソラさんを前に、私は心が窮屈になる。だけど正直に言いたい。
「私、夢って持てないんです」
「なぜ?」
「だって私なんて平凡で、ふつうの女子高生で、なんの取り柄もなくて。そんなふつうの私が夢を持つなんて、ありえないですよ」
首を左右に振ったソラさんが「そんなことない」と言う。
「ダメだと思う。私なんて、って言い方」
「え?」
「それに、好きなことならあるでしょう?」
好きなこと……。
「小春ちゃんは、短歌を詠む。それは素晴らしいこと。つづけるっていうだけでもう、取り柄だよ。おいしいクッキーだって焼けるよね」
やわらかな微笑みで私を見てくれる。
「夢って大きくとらえないで、目標って考えたら、生きやすいのかもしれない。もっといい歌を詠みたい。もっといろいろなお菓子をつくりたい、って。それだけで人生、豊かになるんじゃないかな」
ソラさんの言葉だけで、心の中がぽっと明るくなる。
夢なんて暑苦しい、自分には関係ないと思っていたものの、ソラさんが気づかせてくれた。
これからも歌を詠みつづけたいんだ、お菓子づくりを楽しみたいんだ、と。
そうやって、ソラさんが私の心に種を蒔いてくれた。そしてそれは、自信の芽生えにつながっていくんだろう。
いつのまにか、私にとってたいせつな、かけがえのない人になってしまった。涼介の外見だとしても、目の前のソラさんが。
なにがなんでも、あの時代を生き抜いてほしい。
「ねえ、ソラさん。絶対に空襲、逃げてくださいね」
「……うん、そうだね。水族館、あさってだね。楽しみだよ」
またいつもの微笑みで、はぐらかすようにコーヒーを飲んだ。
この時間がずっとつづいたらいいのに。
そんな気持ちはひた隠しにして、私はコーヒーを2杯もお代わりした。
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