第4話-1 友だち
ピカピカに晴れた次の朝。
涼介は涼介のままなのかどうなのか、知るのが怖かった。
もとにもどってほしいと願うのと同じくらい、ソラさんにまた会いたいと願っている。
こんな両極端な思いに揺れるなんて、私は最低だとつくづく思う。太陽の明るさが、いびつなこの思いを照らしだすから、私はさらに自己嫌悪に陥る。
それでもいつものように迎えにいくと、制服姿の誰かが、ガレージで自転車に空気を入れていた。
ブレザーは着ていない。白いシャツの袖を、ひじの上までまくり上げて、一心不乱に空気入れをじゃこじゃこ押している。
「おはよう……ございます」
声をかけると、その人は朝陽の中で私に振り返った。
「おはよう」
にこやかな彼は、やっぱり涼介じゃなかった。涼介はシャツをひじの上までまくったりしないし、ネクタイだってこんなにきっちり結んだりしない。
おまけに髪がサラサラで、にこにこして、やわらかな雰囲気。
「今朝、クッキーいただいたよ。ごちそうさま、おいしかった」
いつからソラさんになったんだろう。
「小春ちゃんのクッキーだって、すぐにわかった。2個しか残ってなかったけどね」
「……私、ゆうべ涼介に会いました」
「よかったね。僕は今朝、こっちに戻ってしまったよ。涼介くんが顔を洗っているときに」
朝陽の中でやんわり笑みをたたえて、ソラさんはブレザーを着た。私たちは自転車で駅へと向かう。姿勢のいいその背中を、私は追いかける。川面には朝陽がキラキラと泳いでいた。
乗客のまばらな電車の中で、隣同士にすわる。ソラさんは駅にも電車にも、少しずつ慣れてきたようだ。
「僕の身体はだいぶ回復したみたいだよ。だから涼介くんが戻る機会は、これから増えるんじゃないかな」
それって、ソラさんがこっちに現れることが、少なくなるということだ。やがてケガが全快したら、もう永遠に会えなくなるだろう。
ケガが治って、ソラさんも涼介も、すべてもとどおり。
それがいちばんいいことなのに、私はソラさんに会えなくなることが、なぜかとてもさびしい。
「ここは空襲もないし、涼介くんのお母さんのごはんもおいしい。好きなだけ勉強もできる。あと、小春ちゃんのクッキーもおいしいし。とりあえず、平和だなあ」
ほがらかな声のソラさんに、私は「でも……」と、口ごもる。
「でも、平和っていっても、ほかの国を見れば戦争をしていたり、一触即発のところもあったりするし。地球全体がキナ臭いって、うちの父親が言ってました」
「そうだよね。新聞やテレビっていうので報道を見て、僕なりにわかろうとしているよ。どうして人は過ちを繰り返してしまうんだろう。なんにも学んでいないね。この世界から戦いがなくなるのは、いったいいつなんだろう」
戦争なんてなくなってほしい。どうしたら戦争がなくなるのか……それは私にはわからない。
「世界じゅうのえらい人たちなら、わかるのかもしれませんよね。でも、一度はじまった戦争のやめ方は、えらい人にも、なかなかわからないのかも」
「そうかもしれないね。人が人を殺すなんて、どうかしてる。世界では今日も殺りくが起きているのに、日本の高校生は平和で幸せだな。じっくりと勉強ができるなんて、いいね」
幸せ? ソラさんからすると、私は幸せの中にいるということだろうか。
そんなこと、考えたこともなかった。
幸せか不幸せかということは、他人が図れるものではないだろう。その人にしかわからない不幸せも、抱えて過ごしているんだから。
だけど、戦時中のソラさんからすると、私は幸せなんだ。
それに、今まさに戦争をしている外国の人にしてみても、日本は平和な国で、そこに生きる私は幸せだと思うだろう。爆弾が落ちてくるわけでもない。銃弾に当たるわけでもない。
ガタンゴトン……電車の揺れに合わせて、しあわせ、その4文字の言葉を頭の中でつぶやいてみる。ガタン、ゴトン、しあ、わせー、しあ、わせーっ……。
「あとは、涼介くんの身体が健康そのものなのも、いいね」
「心身ともに健康ですよね。涼介はばかだから、風邪も引かないし」
それでいてロマンチストで、作曲だの作詞だのができてしまう。
私にとっての涼介は、なんでもこなせるスーパースターの友だち。
友だち、そう、それだけだ。小さなころから、幼なじみの範疇を超えない。だいたい、私なんかとキラキラした涼介は、対照的すぎる。すごくまぶしい存在だ。
「僕は幼いころのケガで、右脚がちょっと不自由でね。引きずって歩くんだ。涼介くんの身体を借りていても、クセが出て、たまに引きずってしまう」
それでこのあいだ、ああいう歩き方をしていたんだ。
それに涼介もソラさんの脚のことを、〝小さいころのケガ〟だと言っていた。涼介はほんとうに、過去の世界のソラさんを見ているということになる。
「幼いころ、兄と一緒に馬に乗ったことがあって。兄の後ろで、しっかり抱きついていたはずなんだけど……馬がね、チンドン屋のラッパの音に驚いて、両前脚を高く上げたとき、僕だけ落ちてしまったんだ。落馬の仕方がよくなかった。それから脚が悪くてね」
「そんな事故に? 命が無事でよかったです!」
ハンデを持った脚でこれまで、どれだけの壁にぶつかってきただろう。
なのに屈折していないどころか、とってもやさしい人だ、ソラさんは。
「ありがとう。兄は6歳上で、長男の鑑のような人なんだ。男気にあふれていて、それでいてやさしくて。だからこそ僕の脚を、自分のせいだと責めつづけていた」
「お兄さんが……」
「でもね、もういない。出征して、ビルマというところで亡くなったよ。マラリアで」
ソラさんは戦時中の人。若い男性は兵隊になるという時代に生きている。
お兄さんが、感染症で亡くなっていたなんて。
聞いたことだか映画で観たことだか、南の島のジャングルみたいな戦地で、飢えやマラリアに苦しんで亡くなる日本兵が、たくさんいたと記憶している。
そんなことが、この世界でほんとうにあったことだとは、私にはなんだかピンと来ない。表面上は、平和な日本に住む私には。
だけど同じ日本人なのに、ほんの八十年ほど前、ソラさんのお兄さんは戦病死してしまったんだ。なじみのない国で、苦しみながら。
「兄は戦地に征ったけれど、僕には赤紙が来ていない。わかるかな、赤紙って」
「赤紙……って、召集令状?」
これも戦争の作品で知ったことだ。
「そう、それだよ。僕は入隊を免れたんだ」
「兵隊にならなくていいってことですね?」
「うん。徴兵検査のとき、肋膜炎にかかっていてね。肺の病気だよ。おまけに脚も悪いから、徴兵されなかった。だけど丙種にはなったから、本所区……ああ、今の墨田区というところの軍需工場で働いていて。そこで2月に……空襲に遭って」
兵隊にならなくてよかった。心から思うものの、空襲の被害に遭い、そのせいで大ケガを負ってしまったんだ。
「兄はお国のために命を投げだすことを、正義だと信じて疑っていなかった。国や家族、たいせつな人を守ろうと、命を懸けた。だけど僕は、あんな戦争に意味なんてないって、ずっと思っている」
お兄さんとは、考えが正反対ということだ。
「……なんてね、向こうの世界でこんなことを言ったら、どんなひどい目に遭うか」
戦時中を描いた作品では、出征する人を「バンザイ!」と、喜んで送りだすシーンをよく観る。
志願して特攻隊員になり、敵機に突撃する兵士たちも描かれている。
私には、そういうシーンが理解できなかった。
だけど戦時中を生きるソラさんは、私が観てきた戦争の映画や、ソラさんのお兄さんとはちがって、戦争を受け入れていない。あの時代でそういった意思を貫くのはとても難しく、だからこそ気高いものだろう。
そのことを知って、私は心から安堵している。ソラさんは私と変わりがない。
「僕はこの戦争は、いや、どんな戦争だって反対だよ。無意味だよ。なのにね、いざ徴兵検査に通らないとなると、社会からいらない者だという烙印を押されたような、そんな気分でね」
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