第5話 ふたりの距離と、近すぎる想い
放課後の廊下には、遠くで響くチャイムの余韻がまだ残っていた。
教室の扉を開けると、ほんの少しだけ肌寒い空気が頬を撫でる。
春とはいえ、夕方の気温は油断できない。
俺はため息ひとつ、椅子に座ったままカバンを開き、
今日の授業プリントを無造作に突っ込む。
「雅ー、今日も屋上集合でよろしくねー!」
突然、背後から元気な声が飛び込んできた。
「……お前な、いきなり大声出すなよ。心臓に悪い」
「ふっふっふ、これが“悪魔的サプライズ”ってやつだよ!」
ショートボブの髪が跳ねるように揺れ、小さなアホ毛がぴょこっと踊る。
若葉が、いつものように俺の机に手をついてニヤニヤと覗き込んできた。
「悪魔っていうより、ただの騒音だよ、お前」
「え〜ひど〜い! でもそんなこと言って、どうせ今日も来るんでしょ?」
「……ま、予定は空いてるし」
「はい、決定〜。じゃ、行こ!」
俺がプリントをしまう間に、若葉はさっさと自分の荷物を持って教室の外へ
出ていく。その背中を見送りながら、俺も立ち上がった。
(……毎日こうやって誘われるのが、もう当たり前になってきてるな)
かつては、ただの幼馴染だった三人。
今は……少し、関係性が変わりつつあるのかもしれない。
***
非常階段を上がり、屋上の扉を押す。
金属の音とともに開いたその先には、いつもの風景が広がっていた。
「やっほ、ふたりとも」
穏やかな声で出迎えてくれたのは、ポニーテールを揺らす青葉。
レジャーシートの端に座り、読んでいた文庫本をそっと閉じる。
「今日もここ、空いててよかったね」
「屋上の鍵、壊れたままだしな。いいのか悪いのか」
「まあまあ、それも運命ってことで。ね、青葉」
「うん。……そうだね」
若葉がレジャーシートにどさっと座り、俺もその隣に腰を下ろす。
春の風が静かに吹き、校舎の屋上に柔らかな空気が流れていた。
「今日はねー、みんなで“自分の中のヒミツ”をひとつずつ話していくって
遊びをしようと思って!」
「いきなりハードル高すぎないか、それ……」
「えー? たまにはいいでしょ? 屋上会、マンネリ打破だよ!」
「……まあ、面白そうではあるけどさ」
青葉が隣でふっと微笑む。
「若葉らしいね、そういうの」
「でしょでしょ? というわけで、じゃあ青葉からいこっか!」
「え、私から!?」
「うん、“天使のヒミツ”ってやつ、ちょっと気になるじゃん?」
「……んー、ヒミツって言われると困るけど」
青葉はしばらく考えてから、小さく息を吐いた。
「……じゃあ、ひとつだけ」
そして、俺と若葉のほうをそっと見た。
「最近ね、雅が毎日屋上に来てくれるのが、すごく嬉しいんだ」
「……え?」
「前は、たまにしか話せなかったでしょ? クラスも違うし。
だから、今こうやって一緒にいられる時間があるのって、なんだか夢みたいで。
このまま変わらずにいられたらいいなって」
「青葉……」
その言葉に、不意を突かれた俺は、視線をそらしてしまった。
横で若葉が少し黙っている。いつもなら茶化してくるのに、今日は妙に静かだ。
「はいはーい、じゃあ次はあたしの番ね!」
沈黙を破るように、若葉が手を挙げた。
「……あたしのヒミツはね〜、意外と甘いものが苦手!」
「うそだろ!? 昨日クレープ三つ食ってたじゃん」
「それは見た目が可愛いからだよ! あれは“映えスイーツ”枠だから
ノーカウント!」
「そんなノリで選んでるのかよ……」
「でもね、本当に苦手なのは、たぶん“本音を言うこと”なんだ」
若葉の声が、少しだけトーンを落とした。
「え?」
「たとえばさ。……誰かに『好き』って言いたくなった時、
あたしはきっと笑って誤魔化すと思うんだ」
「若葉……?」
「だからさ、もし今後、あたしが冗談っぽく告白したりしても、
それが本当かどうか、ちゃんと見抜いてよね?」
その言葉に、俺も青葉も、返す言葉を失った。
(……これは、冗談じゃない)
「……最後は雅ね。はい、ヒミツ言ってもらおうか!」
若葉が無理やり明るく笑ってくれることで、場の空気が少しだけ緩んだ。
俺は、目を閉じて考えたあと、静かに口を開く。
「俺のヒミツは……たぶん、“誰かを選ぶのが怖い”ってことかな」
「……選ぶ?」
「今は、こうして三人で笑っていられる。
でも、このままずっとってわけには、きっといかないんだよな」
「……うん」
「だから、その時が来るのが……ちょっと怖いって思ってる」
言い終わると、風の音だけが静かに流れた。
沈黙の中、それでも誰も責めることなく、そっとそばにいてくれた。
屋上の時間が、少しだけ特別に感じたのは、きっとそのせいだろう。
***
屋上からの帰り道、俺はずっと青葉と若葉のことを考えていた。
青葉のあの一言――「変わらずにいられたらいいなって」――が、
心に引っかかって離れない。
若葉のあの“ささやき”もそうだ。
あれは冗談のフリをしていたけど、本音が混ざってた。そんな気がしてならない。
だけど、どっちにも明確な答えを返せていない俺は、きっとずるい。
その夜、スケッチブックを眺めながら、ふたりの笑顔をなぞった。
青葉の静かな微笑みと、若葉の屈託ない笑顔。
そのどちらも、大切だと胸の奥で感じていた。
そして翌日――。
「おはよ〜、雅!」
いつもの朝の通学路。若葉は相変わらず元気で、
俺の肩にひょいっと手を乗せてくる。
「おはよ。……なんか機嫌いいな」
「そりゃあもう! だって今日はね〜、ちょっとした“サプライズ”を用意してるんだもん!」
「こわ……それ俺に関係あるやつ?」
「さあね〜、どうだろう? お楽しみに〜♪」
やっぱり、若葉は今日も“悪魔”だった。
でも、あの少し寂しげな表情を見たあとの今だからこそ、こうして元気に振る舞っている姿が、ちょっとだけ愛おしいと感じてしまう自分がいた。
そんな思いを抱えたまま、1日が過ぎ――放課後。
俺が屋上へ向かうと、今日は若葉の姿がない。
「……あれ?」
レジャーシートの上には青葉だけが座っていた。スカートの裾を整えながら、ゆっくりと顔を上げる。
「こんにちは、雅」
「やあ。若葉は?」
「今日はちょっと用事あるから、来れないって。
……代わりに、私とふたりきりの時間、もらっていい?」
その言葉に、ドキリとする。
まるで、何かを仕組まれているような感覚。
俺は彼女の隣に座る。春の風が、少し強くなってきていた。
「……ちょっと、話したいことがあるの」
青葉が口を開いた。
「うん」
「昨日のこと、まだ気にしてる?」
「……まあ、正直に言うと、少し」
青葉はうなずき、遠くの空を見上げる。
夕陽に染まったその横顔は、どこか大人びていて、少しだけ儚く見えた。
「私ね、雅がどんどん変わっていくの、ちゃんと見てたよ」
「……変わってた?」
「うん。中学のときとは、全然違う。話し方とか、表情とか……」
「そりゃまあ、自分なりに努力したしな。変わりたくて」
「……でも、私は、昔の雅も好きだったよ」
「え?」
「今の雅も好き。でも、前の雅だって……あのときのままでも、私は――」
言いかけて、青葉は言葉を飲み込んだ。
そして、ぽつりと呟く。
「……若葉のこと、好きなの?」
その直球すぎる問いに、言葉を失う。
「なんで、急に?」
「だって、見ててわかるから。前のスケッチのときも、
今日ここに来るまでの顔も……」
「それは――」
否定しようとして、口が止まる。
“好き”って、どの感情を指すんだろう。
昔から大事に思ってきた二人。
だけど、最近は、それが“友情”なのか、それとも“恋”なのか、
うまく線引きができなくなってきた。
「……正直、まだ自分でもわかんないんだ」
それが、今の俺の正直な気持ちだった。
青葉は、うん、と静かにうなずく。
「そうだよね。……ごめん、変なこと聞いちゃって」
「いや、ありがとう。聞いてくれて」
沈黙が訪れる。けれど、それは気まずさじゃなかった。
夕陽が、彼女の髪を照らし、風がふたりの間を撫でていく。
「でも……」
青葉がぽつりと続ける。
「私も、ちゃんと“見て”もらいたいって思ってるよ。
ずっとじゃなくても、いいから……たまには、私のこと、ちゃんと見ててね」
その言葉は、まるで願いのように静かだった。
「……わかった。ちゃんと見るよ。青葉のこと」
その瞬間、彼女の目が少し潤んだように見えた。
でも、それを指摘するのはやめた。
その代わりに、俺は優しく微笑んでみせた。
***
屋上を後にして下校するとき、下駄箱の前で待っていたのは――若葉だった。
「あ。いたいた!」
元気な声とは裏腹に、その目元には少しだけ疲れが見える。
「……どうした? 用事は?」
「いや、それは口実〜。ちょっと、青葉とふたりきりにしてあげたかっただけだよ」
「え……?」
「バレバレだったでしょ。青葉、雅のことちゃんと見てるし」
「それは……」
「でも、それはあたしだって同じだからね」
若葉は、にかっと笑う。でも、その笑顔には、どこか影があった。
「だからね、雅。そろそろ、ちゃんと向き合わなきゃダメだよ。
……どっちが、好きなの?」
「若葉……」
「このままじゃ、三人とも苦しくなるよ。あたしは、それがいちばんイヤだから」
そう言い残して、若葉は踵を返した。
その背中が、やけに小さく見えて――俺は何も言えなかった。
***
その夜、またスケッチブックを開いた。
青葉の笑顔と、若葉の背中。
どちらも、俺にとっては大切な一枚。
だけど、このままじゃいけない。
そう――決めた。
次の放課後、俺はふたりに“ある提案”をするつもりだった。
俺自身の気持ちを、確かめるために。
そして、ふたりの気持ちにも、ちゃんと向き合うために。
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