047話_そして闇夜に
クレセリアがジョーと話していた頃——
王城の中庭から伸びる
月明かりの下、馬の足音と車輪の
馬車の
「朝には着くと思いますが……本当に、こんな夜中から出発するんですか?」
「かまわん。いち早く戦場へ向かえ。」
すぐさま返されたザイロンの声には、苛立ちを抑え込むような冷たさが
「し、しかし……もし盗賊や魔物が出たら……」
御者は戸惑いながらも再び口を開く。
「くどい。とっとと向かえ。」
ぴしゃりと言い放たれたその言葉に、
御者は「は、はい……」と怯えた声で従い、手綱を操って馬車を進ませていく。
ガタガタと揺れる馬車の音が、夜の静寂に単調なリズムを刻んでいく。
辺り一帯は深い夜の帳に包まれ、空に浮かぶ月だけが道なき道を照らす灯火となっていた。
そんなやり取りを、ザイロンの目の前に座る黒衣の人物が楽しげに眺めていた。
「ヒヒ……怖いなぁ~ザイロン。
そんなに妹様にしてやられたのがムカついたのかい?」
黒衣の隙間から、月夜に照らされ体が僅かに映し出される。
銀色の髪と
幼そうな見た目に反して、どこか大人っぽくも整った顔立ち。
少年か少女かもわからない、中性的で異様に細い体躯を黒衣に包んだ人物が、
薄ら笑いを浮かべたままザイロンを見つめていた。
ザイロンは一瞬その憎たらしい顔を睨みつけたが、
返す言葉が見つからなかったのか、
結局何も言わずに視線を馬車の小窓へとそらした。
——別に、クレセリアに対して特別な危機感を覚えたわけではない。
奴の策も、考えも、相変わらず浅はかだった。
理想を掲げながらも実行に移す際には甘さと油断が透けて見え、常に何かが足りていない。
本質的に“独り”なら相手にもならない……その印象は今も変わっていない。
…そう、独りであれば。
奴は策として『転生者』という切り札を用意していた。
それが——予想以上に厄介な存在だった。
「“転生者”かぁ……それも聞いた限りじゃあ、結構珍しい部類の転生者みたいだね?」
黒衣に包んだ人物が、ザイロンを見つめ言葉を投げてくる。
その瞳は血のような深紅色に怪しく輝いており、
思わずザイロンもその瞳に吸い込まれるように目を合わせる。
「あぁ……」
ザイロンは短く答え、溜息交じりに続けた。
「戦士や魔法使いだったら、もっと楽に対処できたのだがな……」
「愉快だねぇ~。料理人だから戦場の前線には出てこないだろうし、かといってコッソリ暗殺しようにも大抵傭兵達に囲まれてる。しかも今は愛しのクレセリアちゃんがべったりと隣にいて、
「黙れ、グリム。」
ザイロンの一喝が車内を震わせる。
黒衣に包んだ人物——グリムは手で口を隠しこそするが、
その口は未だ薄ら笑いを浮かべたままであった。
「それ以上に厄介なのは、奴の“力”だ」
「力~?美味しい料理が作れるだけでしょ?僕が知る中でも最弱の転生者だよ!」
楽しげに言葉を重ねるグリム。
だがザイロンは、重く、そして確信に満ちた声で否定する。
「違う。奴の力は……そんな生易しいものではない…」
馬車の外を流れる夜の風景を見つめながら、
ザイロンは内心の思考を深く巡らせていく。
——
それは“料理に意味を与える”力。
きっと奴は、人間の本質を見抜く天性の才を持っているのだろう。
そして感じ取ったこと、伝えたいことを料理という手段を用いて、極限まで洗練された形で表現してくる。
ただ美味なだけではない。
ただ
奴はまず、料理の“味”で人間の心を揺さぶる。
心を開かせ、緊張を解き、そして無意識の内に料理に潜まれた本質へと導いていく。
その上で、気づかせるのだ。——この料理には、“意味”が込められているのだと。
それは時に、敵を
時に、兵士たちを
そして時に、たった一人の心にだけ響く密やかな伝令となる。
敵兵を打ち破る剣や兵力よりも、
密かに潜む意図という情報が戦局を
ザイロンは何度も目の当たりにしてきた。
だからこそ、奴が恐ろしいのだ。
——奴は、料理を
それも……その技量は歴代転生者の中でも最強の類と言っても過言ではない。
「……はぁ。」
ザイロンは深い溜息を漏らし、額に手を当てる。
そんな彼の様子に、グリムがくすりと笑う。
「お困りなら、僕が——」
「余計なことはするな、グリム。」
ザイロンの声が再び鋭くなる。
「貴様はガルザル帝国の内情と動向を探り、俺に
「はいは~い。」
唇を尖らせながらも、グリムは飄々とした調子で返事をする。
だがその直後、月明かりに照らされたその顔に不気味な笑みが浮かんだ。
「……でも、“興味”が湧いちゃったら……ごめんね?」
ザイロンはその言葉に舌打ちし、忌々しそうに呟いた。
「まったく……これだから貴様らは好かんのだ。」
馬車の天窓から差し込む月の光が、グリムの輪郭を照らす。
その透けるように白い長髪からは、細くも鋭い耳が飛び出していた。
それは、エルフ——しかも遥か長い時を生きた『ハイエルフ』だけが持つ異質な気配を
グリムの笑みと相反して、ザイロンの瞳が、どこか陰りを帯びる。
馬車は月光に照らされた街道を、ひとすじの影のように滑り続けていた。
王城に残された妹と料理人。
そして闇夜に紛れて進む兄と謎のハイエルフ。
一つの対話は終わりを迎えたが、それは始まりに過ぎない。
静けさの裏で、歯車は確かに音を立てて回り出していた。
ザイロンの瞳には未だ残る、あの料理の“意味”が焼き付いて離れない。
そのまま彼は、暗がりの向こうへと消えていった。
——戦場へ向けて。
……そして、新たな火種を孕んだまま。
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