046話_静かな温もりと賄いのホワイトシチュー
(そうだ、ジョー達にこれからの事を話さないと…!)
そう思い立って部屋から飛び出したクレセリア。
しばらくマルチェロの部屋へ向かう廊下を歩いていると、
ふと、窓の外から光の
(あれは…白狼団の紋章?)
間違いない…
団長のバルトやダークエルフの女性——セリアが鎧に刻んでいた白い狼の紋章。
その紋章を同様に鎧の胸に刻んだ集団が、松明を片手に王城の門を潜り抜けていた。
「白狼団の団員が……という事は…!」
次の言葉を口にする前に、廊下の先から杖をつく音と共に落ち着いた声が響き渡る。
「お!これはこれは皇女殿下。白狼団団長バルト・アストルグ。昨日お話しした通り、いつでも動けるよう団員をこちらへ召集いたしました。」
その声と松明の明かりに近づいて行くと、やはりそこにはバルトの姿があった。
杖をつきながらもきっちりと背筋を伸ばしたその姿。
頼もしさと同時に、少し大げさなのではないかという思いも胸をかすめた。
「フフ…少し驚きました。ずっと部屋に
てっきり明日から動くものかと思っていましたわ。」
「ガッハッハ!いや~お恥ずかしい。実はマルチェロ経由で副団長に
そんな談笑を挟みつつ二人がマルチェロの部屋の前に辿り着くと、
そこには不思議な光景が広がっていた。
部屋の扉の前で白狼団の団員たちが、
皿を手に立ちながら賑やかに食事をしていたのだ。
まるで戦場帰りの宴のような様子に、クレセリアは目を
「な、なにごと……?」
恐る恐る扉を開けると、さらに驚くべき光景が待っていた。
部屋の中でも団員たちが思い思いに椅子や床を占拠し、
湯気の立つ料理を頬張っている。
そこには夜の王城ではありえない、まるで街の酒場のような温かな賑わいがあった。
「もしかして…!」
クレセリアが視線を巡らせると、
奥でスープ鍋をかき混ぜるジョーの姿が目に入った。
「ジョー、いい加減寝ろ!いや寝てくれ!死んじまうぞ!!」
「あぁ…もうちょっとだけ…片づけは頼んだわ…」
セリアに
眠そうではありつつもいつもの飄々とした笑みを浮かべていた。
「ジョー……これは、どういう事?」
近づいたクレセリアが問いかけると、ジョーはひらりとお玉を振りながら答える。
「これ、さっきのフルコースの残り。コンソメスープに使った後のミンチ肉とか、香味野菜のくずとかその他諸々の残った食材。それに残った各ソースも混ぜて……」
「はーい『
「……賄い、シチュー?」
「うん、特にコンソメはスープを作る過程でかなりの残飯が出ちゃうからね。
勿体ないから事前に作っておいたんですよ。」
あまりに肩の力の抜けた答えに、クレセリアは呆れ混じりの笑みを漏らした。
「本当に……ここまで料理に一途だと、尊敬以上に呆れちゃうわね。」
しかし心の奥では、彼の在り方にどこか安堵すら覚えていた。
彼には色々と言いたい事があった。
作戦が成功した感謝。
結果的に長時間調理をさせてしまった事に対する謝罪。
しかし、最初に口をついて出たのは小さな不満だった。
「……あなたほどの人間が、あの会談でスープだけを出すとは思ってなかったけれど…流石に、あんな特殊な料理ばかり出てくるとは想像もしていなかったわ。」
ジョーは肩を竦めて、いつもの調子で言葉を返す。
「でも、力は認めてもらえたかな?」
からかうようなその声音に、
クレセリアは鋭く睨み返しつつも、頬を紅潮させて答えた。
「……えぇ。嫌になるほど、十分に思い知ったわ。」
そう告げてから、思い出したように問いかける。
「そういえば……もし会談を行わなかった場合スープだけを出すつもりだったのよね?なんで数ある料理の中から、あのスープを?」
正直、フルコースの中で『グリフォン腿肉のコンソメ・ヴァンヴェール』は
そこまで目立った料理では無かった。
それこそ単純に力を示すのなら、
赤角獣を赤葡萄のジュレに包む斬新さや、
肉の赤ワイン煮の進化した姿を見せた方がわかりやすかったはず。
わざわざ時間がかかり、未完成の料理を食べさせる賭けに出てまで
コンソメスープが選んだ事を、クレセリアはずっと引っ掛かりに感じていた。
そんな謎に対してジョーは一瞬考え込み、そして簡潔に答える。
「コンソメスープって、ウチの世界だと『完成されたスープ』って言われてるんです…だから、ですかね。」
あまりにも簡潔な答え。
簡潔すぎて全容の把握が出来ていないが、その答えが意味する事は…
「……だから私には未完成のスープを最初に出したの?私が未完成……未熟だから……」
「うーん…ちょっと違いますねぇ。」
悔しそうに言うクレセリアに、ジョーは手を横に振って否定する。
「未完成のブイヨンだって、シェフの技量次第で人を魅了する立派な料理になる。」
「……実際、そうだったでしょう?」
クレセリアは言葉を失い、やがて小さく頷いた。
「……そうね。悔しいけど、確かに素晴らしかったわ。」
最初はその見た目と“調理中の出汁”という説明を受け、怒りすら覚えた料理。
しかし一度スープに口を付けると、その舌触りと旨味に一瞬で心を奪われてしまった。
ジョーは団員へ器を手渡しながら、口元に柔らかな笑みを浮かべる。
「皇女様だって、今は未熟だとしても。
その内に秘める素晴らしさに気づいてる人はいるんじゃないの?」
そう言って視線を横に流す。
そこには、同じく団員に料理を配っているマルチェロの姿があった。
一瞬、クレセリアは驚きに目を見開く。
しかし次の瞬間には、クスリと小さな笑みをこぼした。
彼は不気味な雰囲気を放ち、その表情からは考えが全く読み取れない。
それでいて行動は大胆で、やる事一つひとつが自他共に厳しく、
一見すると『転生者』らしい常人離れした存在に思えてしまう。
実際、今の今までクレセリアはそういう人間だと思い込み、
あくまで『利用する』関係として接していこうと考えていた。
だが、目の前の転生者はその印象とは裏腹に、驚くほど感受性に富んでいた。
人の本質を見抜き、時に痛烈に時に温かく——料理を介して言葉を投げかけてくる。
彼が作る料理は、情熱や狂気と同じくらい、優しさと温もりを秘めていた。
そしてそれはただの料理としての一皿にとどまらず、
人の心を揺さぶり変えてしまう力を持っている。
——これこそが、彼の料理の正体。
世界を、そして人をも変えてしまう“力”なのだろう。
「……えぇ。ありがとう」
その言葉を口にした瞬間、張り詰めていた心の糸がぷつりと切れた気がした。
胸の奥に押し込めていた熱が一気に溢れ、視界が揺らぐ。
心を
けれども、その感情は決して悲しみではない。
まるで夜明けの直前、まだ薄暗い空に最初の光が差し込むような——
そんな、静かで確かな温もりが、クレセリアの心にそっと灯るのだった。
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