045話_Merci beaucoup

「お兄様、ジョーに……料理人になにをするつもりです?」


クレセリアはワイングラスの縁を指でなぞりながら問いかける。

声はあくまで穏やかに、それでいて一筋の探りが込められていた。


ザイロンは目だけをこちらに向け、「なに…少し興味が湧いただけだ」と短く返す。


(興味が湧いた…だけなら良いんだけど…)

その口調からは真意を読み取れず、

かえってクレセリア胸の奥には疑惑と言う小さな棘が突き刺さった。


間もなく扉が再び開くと、マルチェロがジョーを伴って入室してくる。


ジョーはここ数日全く寝ていないのか、目の下にくまを浮かべていた。

しかしそんな疲弊ひへいした目元とは裏腹に、飄々ひょうひょうとした笑みを浮かべ、

場の緊張など存在しないかのように軽く会釈する。

「シェフの枯尾花かれおばなです。料理はお口に合いましたでしょうか?」


その声には、いつもの無関心で人間味の無い声とは違った、温かみを感じさせる柔らかい声だった。


ザイロンは一瞬だけ彼を見据え、ふっと笑みを浮かべる。

「なるほど、料理をしょくしわかってはいたが……大分だいぶまともでは無いようだな。」


「カレオバナ、クレセリアではなく私の配下になれ。

 金も、領地も、欲しい物はなんでも用意してやろう。」


「お兄様⁉ いったい何のつもりで……」

思わずクレセリアは声を荒げる。

そんなクレセリアをザイロンは冷ややかな視線で制した。

「妹よ、私はこちらの料理人とお話をしている。少々静かにしたまえ。」


一拍いっぱく静寂せいじゃく


ジョーは後頭部をきながら、呟くように言った。

「じゃあ、欲しいものがあります。」

ザイロンは勝者の余裕をにじませた笑みを浮かべる。

「何だ? なんでも言ってみろ。」




です。」




その瞬間、場の空気が一瞬で張り詰めた。


ザイロンの眉がわずかに動き、「……は?」と低く漏らす。

そんなザイロンの様子を見たジョーは視線をこちらに移し、

「あれ?妹様はくれるって言ってましたよ、ねぇ?」

と軽く笑いながら問いかけてきた。


(そんな事一言も……)


思わずクレセリアの心臓が跳ねる。

白狼団と金銭的契約を結んだものの、命まで報酬に出した覚えなど無い。

何よりクレセリアはジョーと個人的契約など結んでおらず、した事と言えば

クレセリアが“あなたの力を見せてほしい”とジョーに命じたくらいであった。


こいつ、明らかに私を…私達兄妹の事を試している…!


「……えぇ、あげるわこの命!言葉通り、煮るなり焼くなり好きにすると良いわ!」

咄嗟に、クレセリアは啖呵たんかを切った。

その言葉を聞くと、ジョーは口元に笑みを浮かべ、

「そういう事ですので……」と一礼し背を向ける。


「待て!」

ザイロンの声が部屋中に鋭く響き渡った。


「私は第一王子、ザイロン=ペリア=ルヴァンだぞ!!

 次期国王の申し出を断るなど……覚悟は出来ているのだろうな⁉」


その覇気に、クレセリアも…

あのマルチェロですら、体中の毛が逆立つほど緊張が体を走らせた。


しかしジョーは怯える様子も無く、

ただ足を止め肩越しにわずかに顔を振り返らせる。


「……覚悟?」


「覚悟も無い奴に作れる料理でしたか?」


その声は部屋の空気からは考えられないほどに、誰かをからかうような声音だった。


ジョーはそのまま、堂々と扉の外へ消えていった。

「ジョー殿!お待ちくだされ……」

あまりの出来事にハッと意識を戻したマルチェロが慌てて後を追う。


そうして後の部屋には、クレセリアとザイロンだけが残されたのだった。


しばらくの長い沈黙。


やがてザイロンは深く息を吐き捨てる。

「……ハァ……先ほどの発言は撤回しておこう。」


それだけ言って、ザイロンは椅子から腰を上げ立ち上がる。

「……何をですか?」

クレセリアは息を潜めて尋ねた。


と言った事だ。

 奴は料理人以上に、人として危険な力を持っている。故に——」


そしてザイロンは視線を鋭く向け、

「——貴様に味方するのなら、諸共排除するしか無いようだな。」


そう言い残し、足音を響かせて去っていった。


扉が閉まり、一人きりになった部屋で、

クレセリアは力が抜けるように椅子へ沈み込み、テーブルに突っ伏した。


「ハァ〜……何とか上手くいったわ……いえ、これは新しい問題かしら……」


作戦は成功し、お兄様の意識に脅威として刻まれた。

だが、その矛先は私以上にジョーへ向けられてしまった——


その事実が、新たな憂慮ゆうりょとなってクレセリアの胸に重くのしかかるのであった。

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