043話_再解
セリアが厨房奥で山鹿の赤ワイン煮を頬張っている頃、
ザイロンとクレセリアもまた、同じ料理を味わっていた。
「……これ、凄い……食べ慣れた料理のはずなのに、他と全然違う……!」
クレセリアが、思わず感嘆の息を漏らす。
その声音は無邪気で、心から驚いているのが伝わる。
ザイロンは横目で妹を一瞥しつつ、黙って肉を口に運んでいく。
口内に広がるのは、確かに馴染みある味の安心感……
だが、その一口ごとに新鮮な驚きが潜んでいる。
マルチェロから説明を受けた《山鹿の赤ワイン煮と干し麦のア・ラ・ルヴァン》──
山鹿の肉を赤ワインと香味野菜でじっくり煮込み、軽く炒めた干し麦を煮汁で炊き上げた一皿。
焦がし根菜の香り、ラズベリー・ソースのほのかな酸味。
その完成度は異常で、味の構成に欠点は見当たらなかった。
だが──そこまで完璧な料理を食べて尚ザイロンは苛立ちを胸の奥に燻っていた。
これは、我が国の名物『肉団子のワイン煮』の亜種に過ぎない。
猪肉を鹿肉に置き換え、細部を変えた、いわゆる“アレンジ”だ。
料理の発明とは、既存を昇華させる事だとは分かっている……だが、この『食材』の選択には違和感があった。
(山鹿──ルヴァン北部に生息する、魔力感知に優れた草食魔獣か…)
槍のように尖った角と、4つの目が特徴的な魔獣であるが、
それ以外は通常の鹿と外見上何ら変わりない存在であった。
かつては脂の多さに目を付けられ良く狩られていた。
今は戦時下で狩猟制限がされているものの、庶民には未だに馴染み深い食材であった。
しかも鹿肉は脂に癖があり、硬い。
猪肉や柔らかい獣肉を好むルヴァンの民にとっては代用品でしかない。
庶民には馴染んでも、まず王族が選ぶ肉ではない。
それを、王子と皇女の食卓に置くとは──
(無知か、身の程知らずか……どちらにしろ、気に食わんな。)
食事を食べ終わり皿を片しつつも、思考は止まらない。
(『ア・ラ・ルヴァン』──異界の言葉で“ルヴァン風に”。だが本来“ルヴァン風に”作るとすれば猪肉の料理だ。……いったいこれは何だ?)
しばらく考え込んだ後、ふと、別の可能性が浮かんだ。
(戦争で猪肉が鹿肉へと置き換わった食卓。それを“再解釈”した?
食文化の変化を映す鏡として、国の料理を再構築した……?)
皮肉か、挑発か、それとも──
この時代であっても美味を生み出せるという力の誇示か?
だが、そのどれにも当てはまらない温もりがこの皿にはあった。
心の内まで温めるような、優しい熱──
「……お兄様。」
考えに沈む耳に、クレセリアの声が届く。
「昔、お兄様の誕生日会で鹿肉を食べたこと、覚えてますか?」
不意の問いに、ザイロンはわずかに瞬きをして答えた。
「……あぁ、確か、私が十歳の時か。」
その飾らない反応に、または覚えていた事にか、クレセリアが微笑む。
「えぇ。普段は私がいた離宮に招いてお祝いしていましたけれど、その時はお母様が流行り病で……」
「あぁ、それで我が母上がそなたを招き、鹿肉の赤葡萄煮を出したのだったな。」
思い返し、自然と口元が緩む。
普段は肉など食卓に並ぶことも無く、
祝いの日も『ヘビモドキ』のソテーが出ればご馳走であった。
しかしあの日はクレセリアが来るという事もあって、
母上が珍しく鹿肉を用意していたのだった。
今でこそ贅沢に慣れた舌も、
当時は初めて味わう未知の食感と風味に驚かされたものだ。
「……あれは、美味かったな。」
思わず漏れた言葉に、クレセリアが静かに頷く。
「えぇ……そうですわね。」
刃を交えるようだった空気が、ひととき、柔らかく融けた。
──コン、コン。
扉を叩く音が、その温度を壊さずに響く。
それは最後の一皿、デセールの到着を告げる音だった。
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