040話_グリフォン腿肉のコンソメ・ヴァンヴェール
クレセリアが最後の一口を口に運び、
白ワインの余韻を楽しんでいたその時──扉が、再び音もなく開かれた。
姿を現したマルチェロが、銀のトレイを手に静かに近づいてくる。
いつものように一礼すると、今度はやや深みのある漆黒の器を二人の前へと慎重に置いた。
そしてふと、クレセリアの目が皿に向けられた瞬間──
「……これが…」
思わず、声が漏れた。
そう…ジョーの力を試す為、最初に作ってもらい、
そしてその実力を嫌と言うほど実感した料理。
それすらも『調理途中』と聞いてから、緊張の裏で密かに楽しみにしていた料理。
器と同じくらい艶やかで漆黒の液面。
その上には
ほんの
香りは
以前、まだ完成前の状態で見たブイヨン──
それが、今ここに『完成された料理』として、目の前に在った。
クレセリアの反応にふと笑みをこぼしながら、マルチェロが口を開く。
「こちら、《グリフォン
皿の中に込められた技術の高さと、料理人への信頼を感じさせるような、どこか
「バゲットでございます。お好みで、スープと共にお召し上がりくださいませ。」
静かに頭を下げると、彼は再び音もなくその場を後にした。
ザイロンは無言のままスープに目を落とす。
先ほどまでのように先手を打つことはせず、眉間に僅かな皺を寄せ考え始めた。
(……説明はされたが、見た目はただのスープ…いや、普通ではあり得ないほどの黒さ。そして浮かぶのはわずかな香草と油膜だけ……素材の姿すら見えん…)
ザイロンから見たこの料理は、
『具も何も見えない、熱された漆黒の液体』
という、到底
だからこそ、最初に沈黙を破ったのはクレセリアだった。
(あの『ブイヨン』から、一体どれほどの進化が…!)
銀のスプーンを手に取ると、恐る恐る漆黒の液体を
──その瞬間、舌先から脳天まで衝撃が走り、世界が静止した。
舌に触れた瞬間、何一つ雑味の無い…驚くほど透明でありながら、深い重層を感じさせる旨味が押し寄せてくる。
肉の旨味に、黒白きのこの芳醇なコク。
そこにほんのりと混じる、焦がし
香草の清涼感が後味を包み込み、まるで風が抜けるかのように鼻へと抜けていく。
しかし、僅かな香草以外にその味の正体を物語る食材は口の中に見当たらなかった。
そう、口の中に、何一つ抵抗感が存在しない。
ただ『美味しさ』のみが、静かに、そして確実に体の中に染み渡っていくようであった。
(これが……あの“黒いスープ”?まるで、夜の静寂を凝縮して煮詰めたような……)
気付けば、スプーンを持つ手が震えていた。
(あの時ですら限界を極めていたブイヨンスープが…見た目だけでなく、味すらここまで…!)
クレセリアは、ジョーの料理の腕前が常識の
その隣で、ザイロンも静かにスプーンを手に取る。
ひと
──沈黙。
数秒の後、ザイロンは眼を細める。
「……この
膝下部位独特の
……黒白きのこの微かな苦味と深み……そして、この香草の配合──」
彼の頭の中で、味覚の断片がひとつひとつ繋がっていく。
(……素材は、どれも王城の台所どころか城下の料理処で揃うものだ。)
強いて入手困難な可能性があるのは──飛翔獣、グリフォン。
巨大な翼を持つグリフォンは空を飛ぶ事が出来るが、
その巨体を空中で維持するのは疲れるらしく狩りの時以外は地上で活動をしている。
そして地上で素早く走る為に発達した
旨味が凝縮されており、筋肉が硬い為スープで煮て出汁を取るのに適している。
古来より“精力回復”に良いと言われ食されているが、
日持ちはしない為都市部では庶民向けに干し肉や
とはいえ貴族であれば生の状態で調達する事も出来るだろう…その程度の食材であった。
(だが──)
香草の選定、火入れの精度、
どれも、ザイロンが知るこの大陸の料理人の手法では考えられない。
(この技術、この構成……素人の私でもわかるほど常識外…異常だ。しかし『異常』である技術の基礎が完璧すぎる。……まるで、別の体系で修練された者の料理だ。)
ザイロンはもう一度スープを口に含む。
飲み干すたびに、味の層が剥がれていくように変化していく。
だが、それでも核にあるのは、ただひとつ。
(──狂気だ。この料理には、常人を超えた執念と熱量が込められている。すべてを
──未知──異常──狂気。
何かを直感したザイロンは、思わず言葉を漏らした。
「──転生者か!?」
その声に、クレセリアの手が止まった。
スプーンを皿の上に置き、ワイングラスを握る指先に僅かな力がこもる。
ザイロンの鋭い眼差しが、その様子を見逃さなかった。
──答えは、表情よりも雄弁。
「……なるほど。そういうことか。」
そう呟いたザイロンの横顔には、
驚き、警戒、そして──ほんの僅かに、興味が宿っていた。
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