039話_リザードバジリスクの薄燻グリルと白胡桃のグリュイエール添え
しばらくして、再び扉が静かに開く音がした。
入ってきたのは、先ほどと同じく背筋を伸ばしたマルチェロだった。
だが今回は銀の蓋付きトレイを両手に
無駄のない
先程の皿を丁寧に下げると、
マルチェロは新たな皿をふたりの前へ一枚ずつ、慎重に置いていく。
「お待たせいたしました…こちらは《リザードバジリスクの
料理の名前を聞いたものの、まだ蓋の下に隠された料理の全容は見えない。
しかし、蓋と料理の皿の隙間からは
「荒野に棲む大トカゲ型魔物“リザードバジリスク”を薄くスライスし、軽く
そう言って彼は蓋を皿からゆっくり上げると、同時に料理から煙がゆらりと立ち昇る。
その直後、
「……では、ワインを…白と赤、どちらがよろしいでしょうかな?」
マルチェロからの問いに、クレセリアが先に答える。
「それでは、白ワインをおねがいできる?」
そして続けてザイロンが答えた。
「…では、引き続き赤をいただこうか。」
マルチェロは手際よくワインボトルを開け、
ザイロンのグラスには軽やかな渋みの赤を、
クレセリアには果実味の立ったミネラル系の白を注いだ。
クレセリアは、ふわりと鼻をくすぐる
そして燻製肉の傍には、
陽炎草の淡い灰色の炙り香が、その表面に仄かな
まるで“乾いた大地”を連想させるような、
どこか懐かしい感情と記憶が立ちのぼるかのようだった。
「ふむ──」
先にフォークを手に取ったのは、ザイロンだった。
ためらいなく、いや、意図的に先手を取るように肉と添え物を一切れ口に運ぶ。
しばしの
「……ほぉ、燻製ではあるが妙に柔らかい…味もかなり独特だ。塩気が控えめな反面、白胡桃の甘みとチーズのコクが全体の味が上手く支えている。だが──」
ザイロンはそこで、ふと目を細めた。
「……妙に
クレセリアは視線を上げた。
兄の言葉に反論するつもりはなかった。まさに自分も同じことを思っていたのだ。
確かに──この料理の構成要素は、どれも高級とは言えない。
リザードバジリスク──通称『ヘビモドキ』は遺跡等に潜む魔眼を持ったバジリスク
チーズも熟成さえしていれば一般的な食材だ。
(王城の晩餐で出すには、あまりに“普通”……? でも──)
クレセリアは燻製肉の一切れをチュイールと共に慎重に口に運ぶ。
その瞬間、燻香の余韻と胡桃の素朴な甘み、グリュイエールチーズの塩気が舌の上で溶け合う。
そして白ワインを含むと──更に肉の旨味が引き立ちつつ、同時に胡桃とチーズの香りが舌の裏にまで染み入るように膨らんだ。
(……これ、凄く合う!斬新な組み合わせなのに、まるで今までも一緒に在ったみたい…)
ふと笑みがこぼれる。先ほどまでの緊張から一転、頬が自然と緩んでしまっていた。
一方のザイロンもまた、赤ワインを口に含み、再び燻製肉を口に運んでいた。
(やはり肉には赤か…しかしこのチュイールと合わせれば白ワインでも悪く無さそうだな…)
料理の美味しさを実感しながらも、その表情に先ほどまでの余裕は無くなっていた。
(そこはかとない懐かしさ…記憶……これは“記憶の皿”なのか?立ち上る香りは、忘れ去られた王国の景色──)
──ザイロンの脳裏に、幼き日の一場面が過る。
まだ王の子と知る前、クレセリアの扱いとは反対に、
国王はザイロンと母の生活を手助けする事は無かった。
貧しい暮らしの中、普段は黒パンや葉のわずかに浮いたスープばかりであったが、
何か祝いの日には、母特製の『リザードバジリスクのソテー』を出してくれた。
そんな、苦しくも、幸せで…何気ない食卓を囲んでいた時代。
この料理は、“それ”を再現している気がしてならない。
否、それだけではない。
(この肉も、白胡桃も、チーズも……すべて、今ここにある素材で組まれている。だが、演出されるのは懐かしさ…つまり“過去”。この皿そのものが『失われつつあるルヴァン王国の記憶』を語っているという事か……?)
流石に考え過ぎか?
…いや、前の料理の事を思えば、そこまで考えられていてもおかしくは無い。
ふと、正面のクレセリアに目をやる。
クレセリアは微笑みながら、静かにワインを口に運んでいた。
その瞳には、懐疑も疑念もない。ただ、純粋な幸福だけが浮かんでいた。
(……この様子だと、料理を選んだのはクレセリアでは無さそうだな)
ザイロンは再び皿へ視線を戻す。
(もしや、料理人からの訴え…メッセージ?それとも、クレセリアの心の内を汲んで作っているのか……?)
──だとすれば、この料理人は。
視界の端で笑みを浮かべるクレセリアと、自分の前にある“過去の幻”のような皿。
ザイロンは
そんなザイロンとは対照的に、
クレセリアの微笑みは夜の中でもなお、温かな光のように揺れていたのであった。
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