036話_されど夕食は進む
静かに落ちた沈黙。
その空気に気づいたザイロンが、一度だけ咳払いをして席へと戻る。
その動作には、どこかぎこちなさと、気まずさを押し隠すような仕草が
それを見たクレセリアも、同じくそっと椅子に腰を下ろす。
指先に残るワイングラスの冷たさが、心のざわつきをほんの少しだけ和らげてくれる気がした。
「お兄様……私は……その考えには、賛同しかねます。」
ようやく絞り出すようにして出たその言葉は、
クレセリアの中で脈打つ恐怖と怒りの間に生まれた、精一杯の抵抗だった。
ザイロンは一瞬だけ目を伏せ、それから静かに視線を上げる。
その表情には、微かに寂しさにも似た陰が差していた。
「……そうか。」
その短い返事の奥に、彼が何を考え、
感情がどれだけ込められていたのか、クレセリアには測りかねた。
だが、すぐにザイロンの声色は鋭さを取り戻し、
冷たい吐息と共に言葉が放たれる。
「まぁいい。ともかく…私には王として成すべき事がある。その世界に、貴様のような存在は不要だ。」
クレセリアの手が、テーブルの下でぎゅっと握られる。
「姉上たちと同様に、どこか平穏な領地の貴族にでも
「私が……そんな世にはさせません!」
思わず声が高くなる。
感情を抑えきれず、立ち上がりかけたその瞬間。
「……それに、まだ……結婚など……」
クレセリアは今年で18の歳になる。
貴族であれば既に結婚していてもおかしくないし、王族ならば尚更であった。
しかし国王の歪んだ愛情も相まって、結婚の話などこれまで一度も来たことは無かった。
これまではどんな言葉にも反論出来たものの、
『結婚』という話題には何も否定できない自分に、
クレセリアは密かに舌打ちしたくなった。
そんな彼女の迷いを見透かしたように、ザイロンがいつもの様子で口を開く。
「……誰も
一瞬、時間が止まったように感じられた。
いつもの様子で話された言葉は、全く予想のしていないものだったのだ。
「……お兄様、それは……意味が分かりません。何を
本気で言っているのか。 冗談なのか。
それすらも判断がつかないほど、ザイロンの表情は変わらない。
「我らが義理の
「い、いえいえいえっ! 同じ父の血を引いておりますのに!?」
椅子から腰が浮きかけたクレセリアが、慌てて制する。
しかし、ザイロンはその狼狽すら意に介さない。
「そんなもの、王にさえなればどうにでもなる!」
その一言は、普段のザイロン兄様とは違った、どこか
あまりにも理解の出来ない言葉の数々に、
クレセリアは
(どういうこと?…普段と様子が違うし、まったく話の意図が見えない……)
「……ともかく、我が道に貴様は邪魔だ。引き返せるうちに皇位を返上――」
その時だった。
「失礼いたします。」
扉が静かに開き、マルチェロが料理を運び入れてきた。
クレセリアは、再び席に座り直しながら、そっと一息ついた。
(危うく感情に飲まれるところだった……)
手元のワイングラスを持ち上げ、ひと口だけ含む。
深紅の液体が喉を湿らせてゆくのと同時に、冷静さがゆっくりと戻ってくる。
(……お兄様の思想が危険なのは分かった。でも……それ以上に、最後のあの言葉。あれは……)
思考の途中で、視界に料理が運ばれてくるのが見えた。
「失礼いたします……」
どこか困ったような表情を浮かべたマルチェロが、
テーブルへと料理を丁寧に並べていく。
「ひとまずお兄様、夕食を楽しみましょう。こちらは…」
スープが来ると思っていたクレセリアは、ちらりと皿へ目をやり……言葉を失う。
皿の中央に
深皿の漆黒が、それを一層際立たせていた。
球体の周囲には、微かな香草の葉と、
「……こちらは……なんでしょう……」
咄嗟に口をついて出たのは、率直な疑問だった。
目の前にあるものが“料理”だと、即座に理解するには、
あまりにも異質な見た目だったからだ。
ザイロンも同様に皿をじっと見つめ、眉間にわずかな
マルチェロはクレセリアに申し訳なさそうな目を送りつつ、
平静を装いながら説明を始める。
「えー……こちらは、『《フェンリルの心臓風・赤葡萄のジュレ包み》~
「…………」
クレセリアは一瞬、時が止まったような感覚に包まれる。
(しまった……何か企んでいるとは思っていたけれど……!)
視線を斜め後ろ、ジョーのいる方向へと鋭く送りながら、
クレセリアは唇を引き結ぶ。
その目には、“挑戦を受けた”と理解した者だけが宿す、
研ぎ澄まされた光があった。
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