032話_夕食のお誘い

玉座の間へ続く回廊を進む足音が、緊張に満ちた朝の空気を切り裂いていた。



大扉の前に立つと、侍従じじゅうが無言で頷き、扉を開ける。

目に飛び込んできたのは、玉座に座す父・国王グレオ、

そしてその脇に並ぶ二人の兄——ザイロンとカインだった。


「クレセリア、只今ただいま参りました。」

クレセリアは慎重に膝をつき、王族としての礼を尽くす。


グレオは咳混じりに重い声を響かせた。

「……それでは戦略会議の決定を伝える。クレセリアにも命を与えよう。」

玉座に座るその身体は、かつての堂々とした王の面影こそ残していたが、

その輪郭は痩せ、老いの色が濃くなっていた。


「今後の作戦においては、ザイロンが引き続きガルザル帝国への進軍を指揮する。カインは西の防衛線からクシェリア王国へ圧力をかけつつ、側面から攻めよ。」


「そして、クレセリア——お主は正面戦線の防衛を任せる。防衛に徹している敵の主力部隊に、こちらの思惑が悟られぬよう少しずつ後退しながら挟撃の好機を待て。」


「……つまり私は、戦場の置物というわけですか?」

クレセリアの言葉には、棘があった。


ザイロンが静かに目を細め、 カインは少し困ったように目線をそらしている。

ただでさえ防衛に徹している敵の主力部隊と本格的に戦うわけでもなく、少しずつ後退していく…

つまり前線に出るわけで無く、その前線の知らせを聞きながら後方で軍を動かすだけ。

恐らく、その軍を動かす行為すら現場の将軍が仕切ってしまうだろう…

つまり、本当の意味で私は不要なのだ。


「この役目は軍において重要。軽々しくそのような事を口にするな」 と、グレオは厳しく言い放つ。

だがクレセリアは引かない。

「ならば別案を提案します。以前申し上げた通り、私がガルザル帝国へ停戦協定の交渉におもむくべきです。今回は有効な手が——」


「却下だ。」

短く、鋭く放たれた国王の一言。

「今のガルザル帝国に交渉の隙は無い。

 今のお主では、交渉相手に足元を見られるだけだ。」


クレセリアは口を開きかけるも、父の目がそれを封じる。

「これ以上の反論は許さん…良いか?」

しばしの沈黙が訪れ、空気が張り詰める。

「……以上だ。各々、戦果を期待する。」

グレオの言葉で、会議は強制的に終了を告げられた。


一礼した三兄妹は無言のまま玉座の間を後にする。

廊下を進みながら、クレセリアは拳を握りしめていた。

(やっぱり、私の意見なんて最初から聞く気もなかった……しかし!)

その横を歩くカインが、ふとクレセリアに視線を送る。

二人の目が合い、ほんの一瞬、目線だけで微笑を交わす——。


そう、クレセリアはこの戦略会議を有利に進める為に、最初から『ある計画』を仕組んでいた。

戦略会議の場で、カインがさりげなく導いた議題と展開。

ザイロンの警戒を逸らしつつ、クレセリアと共にクシェリアを攻める形へと持っていったのだ。

老いてもなおこの国の国王はお父様であり、そのお父様に逆らう事はザイロン兄様でも出来ない。

お父様とザイロン兄様の意見が対立しているなら、お父様の『クシェリア王国を滅ぼす』という願いを叶えてあげればいい。


——その願いが叶うなら、今まで戦場に送らなかった可愛い娘を後方に置くくらいは許してくれるだろう。


クレセリアにとって、ガルザル帝国との停戦は真の目的ではない。

クレセリアの目的は『戦場に出る事』ただそれだけ。

それさえ出来れば、『置物』としての汚名を返上する手はいくらでも存在する。


…本当はザイロン兄様と料理を食べた後、

 クレセリアも戦略会議に参加した上で使う策であったが…


事前に策を共有していたカイン兄様が、機転を利かせて話を進めていたみたいだ。

クレセリアは内心、策が成功したことに小さく胸を張った。

そして、ふと足を止める。


「……ザイロン兄様、少しよろしいでしょうか?」

(戦略会議は上手くいった…後は『あの料理』を武器に、お兄様に隙を作ることが出来れば…!)


歩みかけていたザイロンの背中が静かに止まり、ゆっくりと振り返る。

その双眸そうぼうには、薄い笑みと警戒が交錯していた。


「なんだ、クレセリア?」

ザイロンの冷たい声色が回廊に響き渡る。


クレセリアは一瞬だけ躊躇ちゅうちょし、それでも意を決して微笑みを作ると、

軽くスカートを持ち上げる礼を添えて口を開いた。

「もしよろしければ、今夜ご一緒に夕食など、いかがでしょうか?」

誘いの言葉を口にしながらも、胸の内では冷や汗がにじんでいた。


この状況下、普通に考えれば断られるだろう。

戦況は緊迫し、兄は王の右腕として常に前線に意識を向けている。

今夜にも戦地へ戻るはず——だが、それでもあえて誘った。


こちらの動きを把握した上で、

こちらのたくらみの心意を探る為に一度は誘いに乗るかもしれない。

そうすれば、『力』の正体を見せる機会になる。


クレセリアがさらに続けようとした時——


「……良いだろう。」

ザイロンは唐突に、それだけを呟いた。


「ですが、久々に……え……?」

断られるものとして構えていたクレセリアの言葉が詰まり、思わず表情が緩む。


『ですが、久々にお会い出来たのですから——』と、

用意していた言葉を口にしかけたその瞬間、

自分の発言が受け入れられたことに気付き、思わず動きを止める。


「どうした? 食堂だと広すぎるか…応接間で良いか?」

まるでなんでもない会話のように、ザイロンは淡々と選択肢を述べる。

「い、いえ……私の部屋でおもてなし致しますが……本当に、よろしいのですか?」


クレセリアは疑念混じりに問いかける。

そんなクレセリアに対してザイロンは首を軽く傾けた。

「何がだ?」

その反応に、クレセリアは一瞬苛立ちを覚える。

「……罠だとは、考えないのですか?それとも何か、別の狙いでも?」


ザイロンはその問いに、わずかに目を細めた。

そして静かに言葉を返す。

「……何も裏など無い。ただ、久方ひさかたぶりに我が妹と食事を共にしたいだけだ。」


きびすを返し、歩き出すザイロン。

その背中は、クレセリアの視線を振り返ることなく、

王族としての威厳と冷静さに満ちていた。


——だが、その去り際、わずかに声を残す。

「最も……そちらが罠を張ったとしても、有難ありがたく召し上がる事にしよう。」


その言葉に、クレセリアは肩の力が抜け、思わず小さくため息を吐いた。

(……成功した。でも、悔しいわね。私のこと、脅威だと思ってもいない……)



けれど。


——これでいい。今夜こそ、真っ向から仕掛けてみせる。



強く握りしめたその拳は、決意に満ちていた。

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