030話_政務室の第一王子

夜の王城。

窓の外には冷たい月光が差し込み、

政務室には書類の山と蝋燭の匂いが満ちていた。


その中央で椅子に身をあずけている黒髪の美青年。

黒と金の刺繍が絡んだ豪華な軍服を身にまとった、冷酷な雰囲気を纏う男。

戦略会議がひと段落つき、第一王子ザイロンは椅子の背にもたれ重く息を吐く。


——戦況は膠着こうちゃくしている。

兵力では勝っているはずのクシェリア王国だが、その防衛は岩の如く堅い。

どうやらあちらは完全に守勢に入り、

ルヴァン王国がガルザル帝国との戦いで疲弊ひへいするのを待っているのだろう。


とはいえ、ガルザルとの戦争を今止めることは出来ない。

戦況に比べ兵達の士気は憎しみと共に高まるばかりで、停戦など夢物語だ。


解決の糸口として、クシェリア王国西の領主たちが反乱の気配を見せている。

寝返れば一気に相手側王都まで進軍出来るが、

奴らは過去の恨みからノルド商会連邦に助けを求めている節がある。

交渉で味方に引き入れるなど、現実的ではない。


クシェリア王国の内部はもろく、

いずれ自然崩壊するだろう——それがザイロンの読みだった。

だからこそ、クシェリアとは一時停戦を結び、軍をガルザル帝国に集中させるべきなのだ。


しかし——

「……父上め、聞く耳を持たん。」

ザイロンは低く呟いた。

父王グレオは、クシェリアを打ち倒し、

『大陸を支配していたクシェリア王国を打ち倒した“英雄”』

としてその名を刻みたがっている。


「獅子も、老いればただのけだものか……」

その言葉に、皮肉とも悲哀とも取れる響きが滲んだ。


病状からして、おそらくこの冬を越えられまい——

王位は自ずと自分みずからの手元に転がってくる。

今はそれまで、戦況が大きく動かぬことを祈るばかりだ。

邪魔が入らなければ——そう、あの妹さえ大人しくしていれば。


クレセリア。

あの強情で勝気な妹が、午前中だけとはいえ

体調不良で部屋にこもるなど到底信じがたい。

しかも最近、妙に静かだ。

戦略会議に顔を出しては無理な提案をするのが常だったのに、それすらもない。

大人しくしてくれるのは有難ありがたい限りではあるが…


——怪しい。


その時、扉がノックされ、一人の若い衛兵が姿を現した。

「失礼します!定期連絡に参りました!」


ザイロンが命じ、クレセリアの動向を探るよう仕向けていた男だ。

とはいえ、一介の衛兵に潜入任務なんて出来るはずが無い為、

軽く周囲を探らせるくらいにしていたが…


「何かあったか?」

「い、いえ、特に何も……」

目を泳がせる衛兵の態度に、ザイロンは無言で視線を向ける。

その黒い瞳に捉えられただけで、衛兵の背筋が凍りついた。

「も、申し訳ございません!」

頭を下げる衛兵に、ザイロンは冷たく「もういい、下がれ。」と告げた。

だが、その背に向かって、衛兵がふと思い出したように声を上げる。


「そ、そういえば一つ……。マルチェロ様の部屋から、

 昨日からがしていると、使用人たちが……」

その一言に、ザイロンの目が細められる。

「マルチェロの部屋、だと?」

「はい。奥様と過ごされていた旧室の方です。」


ザイロンは顎に指を当てる。

昨日、確かにマルチェロは“客人”を招いたと報告していた。

「…昨日の客人は帰ったのではなかったか?」

「はい……朝にはお帰りになると伺っておりましたが、どうもで滞在中とのことです。」


「…………。」

ザイロンはしばし沈黙した後、「ご苦労。下がれ」とだけ返した。

衛兵が敬礼して退出すると、ザイロンは椅子を立ち、政務室をゆっくり歩き始める。


マルチェロ——クレセリア唯一の腹心。

あの男が不審な動きをするとすれば、

それはクレセリアの意志で動いている可能性が高い。


その部屋に、客人。そして料理。

ただのもてなしか?それとも偶然か? いや——それはありえない。

ここ最近の大人しさが、かえって怪しさを際立てている。


(……クレセリアめ。裏で何かをくわだてているな?)

だが、もし企みが表沙汰になる前提で仕組まれた布石だとしたら……?

(……餌か、あるいは罠か。)


不確かな状況で動くのは愚かだ。

それに、あの妹がどんな手札で挑んでくるのか、少し興味が湧いている自分もいた。


ここでザイロンは判断を下す。

「……様子を見る。次の一手を焦るべきではないな。」


——いや、少しをしてみるのも面白いかもしれない。

再び椅子に腰を落ち着け、静かに笑みを浮かべた。


「全く……可愛らしい妹め。相変わらず邪魔で面倒な存在だ……」


だが——つまらぬまつりごとに比べれば、遥かにきょうがある。



今のザイロンにとって“面倒”こそが、唯一無二の楽しみなのかもしれなかった。

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