029話_共犯契約

「こちらです。」と、マルチェロが案内する先——

それは、王城の奥まった一室だった。


マルチェロの自室——

どちらかと言えば『マルチェロの奥方おくがたの部屋』として使われていた部屋。


奥方と昔からの顔見知りだったお父様が特別に設けたらしいが…

現在マルチェロは王室近くの小さな別室を使っており、

普段であれば使用人すら近寄ることのない領域であった。


そんな部屋の扉の隙間から、ふわりと漂う香りがあった。

温かく、重厚で、心の底から満たされるような香り。

クレセリアは一歩前へ出る。

香りが気のせいでないと確信すると、胸の奥が少しだけ跳ねた。


そっと、扉に手をかける。

重厚な蝶番ちょうばんが静かにきしみ、扉が開いた。

部屋の中には、ほのかな熱気とスパイスの残り香が漂っていた。


まず目に飛び込んできたのは、部屋の奥で銀の寸胴鍋ずんどうなべから立ち昇る蒸気。

そしてその鍋を掻きまわしていた人物——


黒髪短髪の青年。白く染まったコックコート。

その身体は細く、肌は青白く、顔の彫りも浅い。

何より印象的だったのは、その見開かれた大きな瞳と、目の下に浮かぶ深いクマ。


まるで、命の気配すら希薄きはくなその男。

(……まさに“死神”)

あのカインお兄様が評した言葉が、すっと胸に落ちた。


そして男の隣では、別の人物も料理に手を貸していた。

長い銀灰色の髪に褐色の肌。しなやかな四肢と鋭い耳。

ダークエルフ——それも、なかなかに珍しい種族のようだった。

彼女がふとこちらに気づき、肩をびくりと震わせる。


それと同時に、一人の巨漢の老人が杖を突きながら近づいてきた。

「これは…皇女おうじょ殿下直々にいらっしゃるとは、失礼いたしました。」

うやうやしくひざまずくその老人。

老いてなお筋肉隆々な風貌から、どこかマルチェロと似た風格を感じた。


「あなたが“白狼団はくろうだん”団長、バルト・アストルグね。かしこまらなくていいわ。」

そう言うと、バルトはゆっくりと立ち上がり、口元に笑みを浮かべて問うた。

「……して、何用でいらっしゃったのですか?」

(…たく、薄々勘づいているみたいね……)

少しだけ悔しく思いながらも、クレセリアは調理台に歩み寄る。


そして、正面で寸胴の前に立つその男と向き合った。

「あなたが転生者——ジョーね?」


ジョーは一度こちらを見ただけで、すぐ視線を鍋に戻した。

「そうらしいね。」

肩の力が抜けたような声だった。

「ジョー殿!こちらの方は——!」

マルチェロが慌てて口を挟むが、クレセリアが手を挙げて制止する。

「構わないわ。」

だがその直後、後方のダークエルフが思わず叫ぶ。

「馬鹿!その方が第三皇女のクレセリア様だよ!」

それでも、ジョーは一言「はぁ…そうなんだ」と、まるで興味のないように呟いた。


(……この態度。まさに、あの料理を出した者に相応しい無礼さね。)

クレセリアは、怒りではなく、どこか納得したような気分になった。


そしてしばらくジョーを見つめたのち、静かに口を開く。

「……このスープ、いつ完成するの?」

ジョーは目線を少しだけ上に向け、考えるように唸る。

「そうだな……明日には出来るかと。」


その言葉を受けて、クレセリアははっきりと宣言する。

ここに来るまでの道で、ずっと考えていた事。

私も、彼のように無茶苦茶に、そして貪欲どんよくに王位を手に入れてやる——


「明日の夜、第一王子ザイロン兄様との会談を設けます。そして、そこでこの料理を出すことにします。」


「クレセリア様!それは一体——」

マルチェロが驚愕の声を上げるが、クレセリアは構わず言葉を続ける。

「これは“宣戦布告”。この料理を、王位を巡る一手として用いるわ。」


あえて、ザイロン兄様にこの料理の“力”を見せつける。

兄様の事だ、きっと私が『転生者』という駒を手に入れた事に気づくだろう。

今まで私の事を相手にもしていなかったが、これで否が応でも相手するしかなくなる。


だけど、それでいい。


そうして真っ向から争い、

そして上回ることが出来れば、お父様も認めて下さるだろう。


そう考えていると、心中を察したのかバルトが口元に笑みを浮かべて頷く。

「なるほど。そういうことですか。」

クレセリアは、ジョーを真っ直ぐに見据えた。

「ジョー。今より、私の専属料理人として仕えなさい。」

「ちょっ……そんな、勝手に……!」

背後のダークエルフが戸惑いの声を上げるが、バルトが肩に手を添え、首を横に振った。


「報酬は望むだけ出します。白狼団にも相応の謝礼しゃれいを出しましょう。貴方あなたの才を、この国のために使いなさい」

そう言ったクレセリアに対し、ジョーは一瞬きょとんとしたあと、あっさりと言った。



「……あー、それは無理です。」


「なっ……!」


クレセリアが目を見開いたその瞬間、ジョーは続ける。


「俺にはセリアがいないとダメなので。」


(しまった…恋人……?いや、それにしては距離感が……)

情とは、何事においても譲ることが出来ない存在だ。

それが愛情…恋人となれば尚更…

恋人同士を引き裂く事は流石の皇女でも出来ないし、仮にしたとしたら恨まれるだろう。


「……な、なに言ってんだよ、急に!」

赤面して怒鳴るダークエルフ。


「いや、1人だと料理に手間取るし。」

「あ、そういう……」

ダークエルフは肩を落とし、うつむいた。

どうやら、思っていた仲では無いみたいだが…

それでもジョー1人を引き抜くのは難しいみたいだ。


「……わかった、わかったわよ!」

業を煮やしたように言い放ち、クレセリアはバルトの方を向く。

「バルト・アストルグ。わたくし、クレセリアのとして、白狼団と長期契約を結べないかしら?」


その言葉を待っていたかのように、バルトは朗らかに笑って応じた。

「ありがたい限りです。詳細は追って話し合いましょう。」

ようやく場が落ち着いたところで、クレセリアは再びジョーの方を向いた。


「これで文句はないかしら?」

ジョーはしばらくクレセリアの顔をじっと見つめていたが、

やがて口元に微笑を浮かべた。


「ふーん…いいよ。やりましょう。」


その笑顔に、クレセリアは一瞬、不安を覚えた。

(……何か、企んでいないといいけど…)


けれど、確信だけはある。


この男の料理が、明日、あのザイロン兄様をも驚かせる——



そんな未来が、既に彼の手の中にある気がしてならなかった。

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