028話_グリフォン腿肉のブイヨン・ノワール
しばらく、硬直したまま動けずにいるクレセリア。
だが脳裏では、嵐のように思考が渦を巻いていた。
(ブイヨン——調理中の出汁。つまりこれは、未完成の料理。……なぜ?)
ただ時間が足りなかった?手抜き?それとも私への侮辱?
様々な予測が頭の中で飛び交うが、それを一つ一つ整理していく。
まず、こちらから料理内容の指定をしていない。
“力を見せてほしい”と指示はしたものの、
そんなもので料理に制限が生まれるはずがない。
ならば、向こうが自由にメニューを決められたはずだ。
それに、城内には基本的な食材が整っているはずだし、
兵達の食事も作っているのだから量に不足は無いはずだ。
つまり、『どうしてもこの料理しか出せなかった』という事はあり得ない。
それでいて、
つまりこれは——意図的な挑発。
「ずいぶんと……コケにされたものね……!」
クレセリアは怒気を抑えつつ、マルチェロを鋭く睨みつけた。
マルチェロは額に汗を浮かべつつ、
苦笑いで「いえ……その……申し訳ございません。」と頭を下げた。
けれどもすぐに顔を上げ、目を逸らさずにクレセリアへ問う。
「して……いかがいたしますか?」
その問いに、クレセリアははっとする。
マルチェロの視線——それは単なる
試しているのだ、この状況で自分がどう動くかを。
(これは、“力を見せてほしい”というメッセージ。まさか、私に……?)
『王の器』があるかどうか——それを測ろうとしている?
クレセリアは一度、大きく息を吸った。
「……わかったわ。そっちがその気なら、受けて立ちましょう。」
そう呟き、スプーンを手に取る。
濁ったスープの中に、沈んだ香草と
見た目は地味だが、空気に漂う香りはまるで楽器のハーモニーのように複雑で深い。
焦がした骨の香ばしさと、野性味ある旨味が、鼻孔から脳髄にまで染み渡る。
(……香りだけでこの重層感。これは……)
意を決して、スープを口に含む。
「……っ!」
舌の上にのせた瞬間、クレセリアの目が見開かれる。
油の滑らかな舌触り、薄味に反してじわりと染み出す旨味。
確かに、見た目と同じく味は濁っていてハッキリとしていない。
けれど、決して不味いわけではなく、すでに『
(なんて……とんでもない完成度……!)
クレセリアはスプーンを見つめながら、心の中で呟いた。
単純に食材を煮込んだだけでは、到底再現できない深み。
間違いない…この料理を作った者は、
この段階のスープを作る為だけに朝まで手を尽くしたに違いない。
つまり、最初から朝には完成しないことを前提として
この料理を作り始めたという事になる。
「この人……正体がバレて殺されるかもしれないのに、この料理を出すことを決めたの……?」
今日の朝までならともかく、それ以降も城内で料理を作り続けていては、
いずれお父様達にも計画がバレてしまうだろう。
それで一番危険を
なのに、このスープには一切の迷いがなかった。
調理途中ですら、完璧を求めた職人の覚悟が込められていた。
(……そして『完成された料理が見たいなら、待て』…そう言っているのね)
なんて傲慢で、なんて自信に満ち溢れ、堂々とした人間。
そして——
「……なんて滅茶苦茶な人……」
だが、クレセリアの口元には自然と笑みが浮かんでいた。
もう
その温もりが、次第に心にまで沁み渡ってくる。
正直、美味しいかどうかはまだわからない。
しかし、この料理が完成した時、一体どんな味で、
どんな衝撃を私に与えてくれるのだろうか。
クレセリアは心の中で、既にその時を楽しみにしている自分がいる事に気づいた。
(——食べた者の心を変え、力をくれるような料理、か…)
カイン兄様の言葉を思い出す。
確かにその通りだった。
自分の才能に自信を持ち、王の座を掴み取ろうと決意したはずなのに、
お父様やお兄様たちの目を恐れ、私はコソコソと陰で動こうとしていた。
けれど、それでは永遠に“同じ土俵”には立てない。
この料理人は、己の力を疑わない。
だからこそ正面からぶつかり、周囲の妨害すら意に介さない。
自分と、その料理の腕に絶対の自信があるからだ。
クレセリアは最後の一匙を静かに口に含み、そして、飲み干した。
その瞳には、凛とした光が宿っていた。
(そうよ……バレないようにコソコソ動いて何が王よ……!)
覚悟を決めたクレセリアは、静かに椅子から立ち上がる。
「…マルチェロ。」
「はい、クレセリア様。」
そんなクレセリアの様子を見たマルチェロは、
どこか安心したかのように優しい笑みを浮かべていた。
クレセリアは深く息を吸い込み、スカートの裾を軽く払いながら姿勢を正した。
躊躇いはもう無い。
——自分が信じた者の背に立つなら、自らもまた、覚悟ある者でなければならない。
ふと、窓の外に視線を向ける。空はまだ青く澄み、風は朝の冷たさを残している。
それでも、その風の中に吹き込んだ“確かな熱”を、クレセリアは確かに感じていた。
再びマルチェロを見つめ、クレセリアは口を開いた。
「ジョーがいる場所に案内してちょうだい。」
私が選ぶ。私の意志で、この力を掴み取る。
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