025話_作戦開始

馬車が静かに王城の中庭へ滑り込んだ頃には、夜はすっかり更けて暗闇が広がっていた。


城内にはある程度の警備兵がいるものの、まるで城全体が眠りについたかのように空気はシーンと静まり返り、石造りの巨大な門の向こう、威厳ある白亜はくあの城壁とひと気のない回廊には蝋燭ろうそくの明かりだけが揺れていた。


マルチェロの先導で、セリアたちはひんやりとした空気の中を進んでいく。


しばらくして通されたのは、

厨房ではなく、しかし明らかに調理設備の整った一室だった。


「……ここは私の部屋でございます。」

扉を閉めながら、マルチェロがぽつりと口を開いた。

「生前、妻が料理を作るのが好きだったもので……厨房に比べれば小さくはございますが、部屋で調理ができるよう、設備を設けていただいておりました。」


マルチェロが、どこか昔を懐かしむかのように部屋を見回す。

部屋の中央には大きめのテーブル、その奥には火炉と水場、調味料棚と吊るされた鍋。

無駄はないが、手入れの行き届いた料理部屋だ。


「……あの、皇女おうじょ様は?」

セリアが思わず尋ねると、マルチェロはほんのわずかだけ眉を寄せた。

「…申し訳ございません。現段階でクレセリア様にお会いいただくことはできません。」


「…それは……何か理由が?」

ジョーの問いに、マルチェロは一呼吸置いてから答えた。


「第一王子ザイロン様だけでなく、国王陛下もクレセリア様の王位継承には否定的でございます…そんなお二人に、もしクレセリア様が“転生者”と接触していると知られれば……お二人は必ず妨害に動きます。最悪、皆さまを暗殺しかねません。」


セリアの喉がかすかに鳴った。

冗談でないのは、マルチェロの表情が物語っていた。

あの冷酷で知られる第一王子と、『ヴェルトゥスの獅子』と呼ばれた国王。

目的を果たすためならば、何一つためらう事なく人を殺すことが出来るだろう。


「そのため、今回私はという名目で動いております。」


「ジョーは、俺がとして連れてきた事にすればいい。傭兵団の団長なら、それくらいは許されるだろう。」

バルトがニヤつきながら言うと、マルチェロも頷いた。


「最低でも朝までは怪しまれずに行動できるはず。事が終わり次第お帰りいただければ、陛下とザイロン様に気づかれることはないでしょう。」

そのやりとりの最中、ジョーはすでに部屋の調理台や棚に並ぶ器具を手に取り、無言でその感触を確かめていた。


そしてふと顔を上げ、無造作に言う。

「……で、何を作りましょうか?」

(こいつ…ほんと大したタマだよ…)

こんな状況でも平常運転のジョーに、セリアは驚きを通り越して呆れの溜息を吐く。

マルチェロは少しばかり困ったように眉を下げた。

「……クレセリア様からの伝言では“あなたの力を見せてほしい”とのみ、ございました。」


(な、なにそれ…!?)

今までもジョーは傭兵たちからの『今ある材料で何か作って!』や『なんか美味しい料理が食べたい』などの曖昧な注文にも応えてきた。

しかし、今回は曖昧どころか抽象的過ぎる…どんな料理を求めているのかすらわからない。

セリアは思わず心配そうにジョーを見つめるが、ジョーは相変わらず棚をいじるのに夢中な様子だった。


「具体的な品名はございませんが、ある程度の食材は私が手配してございます。」

こちらを振り向いてジョーはしばし考えた後、小さく頷いた。


「まぁ、なんとかなるか……じゃあ、肉とか野菜とか、一通り城にある食材を持ってきてください。」

そう言ったあと、ふいにセリアを振り返る。

「セリア、こっち来て手伝って。」

「……え、私も?」

「うん。一人だとちょっと手こずりそうだから。」

確かに、今までも『お客さん』がたくさんやって来た時、ジョーの料理をセリアが手伝う事はあった。


他の者には皿洗いすらさせない位に料理に対するこだわりが強いジョーであるが、セリアは『美味しい料理を作れるから』例外らしい。

しかし、今回は王族である第三皇女クレセリア様への料理…そんな気軽に手伝えるものでは…


セリアは不安そうにバルトを見ると、バルトは無言で頷いた。

ジョーが一体何を作ろうとしているのかはわからない。

しかし、ジョーが無駄な事や無駄な指示をしてくる人間で無い事はバルトも知っていた。

ジョーが『手こずる』と言うのであれば、それは本当に手伝いが必要な事なのだろう。


「……わーかったよ。何から始める?」

セリアは諦めたように肩をすくめ、腕まくりをする。

その時、ジョーが調理場の壁を見つめながら、ふと呟いた。


「……その前に、マルチェロさん。ちょっと協力してほしいことがあるんだけど…」



静かに、しかし確かな決意の色を帯びた声だった。



夜の王城の一角で、小さな火が灯ろうとしていた。

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