022話_葡萄酒煮の粗挽き団子
夕暮れ時の王都ルヴァンでは、喧騒が柔らかに沈み始めていた。
石畳の道を歩く白狼団の面々も、昼間の装備調達を終え、
それぞれが思い思いの休息に向かっていく。
セリアはそんな喧騒の中、一つの店に立ち止まっていた。
隣に立つジョーの袖を軽く引きながら、懐かしい店の看板を見上げる。
「ここだ…さっ、入ろうか。」
木造の扉を開けて入ると、店内は素朴な温かみのある灯りに包まれていた。
石造りの壁に吊られた
この店は、戦場へ出る前セリアがたまの休みに立ち寄っていた“行きつけ”の場所だった。
カウンターの奥にいたマスターが顔を上げると、すぐに笑みを浮かべた。
「おう、セリアさんじゃないか!今日は珍しく二人かい?」
「うん、いつものを二つ、お願い。」
そう言ってから、ジョーと並んでテーブル席に腰を下ろす。
木製の椅子が心地よいきしみを立てた。
ジョーは店内を見渡しながら、ゆっくりと首を傾げた。
「……ここの料理は、美味しいのか?」
その問いに、セリアは少し肩をすくめ、笑いながら答えた。
「ジョーの料理に敵うかはわからないけど、馴染みの店の中じゃ断トツだよ。私はけっこういい線行くと思ってるんだけどねぇ…」
席の横に備えられたワイン棚を指差しながら、セリアは話し始めた。
「ルヴァン王国ってのは、“肉と
語るうちにセリアの目はきらきらと輝き、身振り手振りもついてきた。
「でね、ここの名物が《
猪肉は比較的食べる機会が多いが、
ここの牛肉——『食用の牛肉』は別格の美味しさだ。
通常の牛肉と言えば、
労働で使う牛が年老いて使えなくなった際に、解体して食す位である。
そういった牛肉はとにかく硬く、『正直言って美味しくないが腹の足しにする』程度の存在であろう。
しかし、生まれてからずっと食べる為に肥えさせ、
幼過ぎず、老い過ぎず、ちょうどいい若さになった牛を食す…
これが同じ牛肉とは思えないほど柔らかくて味わい深くなるのだ。
通常、そういった肉は一部の貴族や王族しか味わえないのだが…
ここのマスターは独自のルートで仕入れているらしい。
「ソースのしみ込んだ肉団子はホロホロに柔らかくて、歯を入れた瞬間にじゅわって肉汁が溢れて、スパイスの香りが鼻を抜ける……濃厚で野性的な味でさ、これまた葡萄酒との相性も抜群でさ……!」
セリアは思わず目を細めて笑う。話しているだけでよだれが出そうになる。
「……セリアは、料理が好きなんだな。」
そんな彼女を見て、ジョーがぽつりと呟いた。
「は? いや、別に……好きとかそういうわけじゃ……」
不意の指摘に、セリアは言葉を濁す。
だがジョーは、どこか柔らかく微笑みながら続けた。
「俺はセリアの料理、好きだよ。……料理に“愛”がこもってて。」
そんなジョーの言葉に、セリアは顔が一気に熱くなるのを感じた。
「なななっ……なにを急にお前!……あ、ありがと……けど……」
しどろもどろになる言葉を、セリアはどうにかまとめようとするが、うまく出てこない。
ジョーと出会ってだいたい1ヵ月。
最初は会話も通じないし何を考えているか全くわからない奴だったが、この1ヵ月で少しだけわかった事がある。
ジョーがこういったキザなセリフを吐く事は、意外と珍しい事ではない。
といっても、『この味付け、好きだな』とか『今日も美味しかったよ』とか、料理に対してばかりであるが…
もちろん、ジョーがそういった気持ちがあって言ってるわけで無い事はわかっているが…正直、毎回バカ真面目に褒められるとくすぐったくて、なんだか落ち着かなくなる。
(……そ、そういえば……男と二人でお店に入るなんて、お父さん以外じゃ初めてかも……)
団長の娘として、そして戦場で戦う一人の傭兵として育てられてきたセリア。
そんなセリアに手を出そうなんて愚かな同業者はいないし、
同業者以外でダークエルフに話かけようとする人間もいなかった。
だからこそ、
ジョーと言う人間との出会いは新鮮で、そしてミステリアスで…そして…
思考が言葉にならないまま、ぐるぐると回り始める。
そんな時、タイミングを見計らったように料理が運ばれてきた。
「お待たせ、《葡萄酒煮の粗挽き団子》だよ…」
セリアは空気を変えるように、わざと声を大にして喜ぶ。
「来た来た!お、美味しそーだな!!」
スプーンで一口分をすくい、頬張る。
「……うん、やっぱり美味し…い……?」
基本的な味は変わっていない…しかし、何かが違う。
肉の繊維がいつもより強い。噛むたびに歯に当たる感触が、なんだか昔と違う。
それに味もどこかぼんやりしているし…少しコクも薄い気がする。
(あれ……? ジョーの料理を食べ過ぎて舌が肥えちまったか?)
ほぼ毎日、絶品料理を口に入れていたのだ、きっとそうなのだろう。
そう思って気にしないようにした。
だが、そのとき。
「…………」
ジョーが、いつも以上に目を見開き、
鬼気迫る表情でスプーンを持ったまま凍りついていた。
「ど、どうした?」
あまりに深刻な表情だった為セリアが問いかけると、ジョーは低く呟いた。
「……これは、違う……」
「何が違うんだ?」
ジョーがスプーンで肉団子をすくい、そして睨みながら答える。
「……肉が……硬い。それにこれは牛の味じゃない……これは……鹿肉の味だ。」
「鹿ぁ?」
そして今度はソースを睨みつける。
「ソースに深みがない……恐らくワインは希釈されてる。香辛料も少ない……煮込みが足りないし、干し麦の粒立ちも鈍い……こんなことが……」
ジョーは、顔を覆うようにしてうなだれた。
…ジョーが料理に対して文句を言う事は今までもあったが、こんな悲しそうな表情は初めて見た。
セリアは慌ててカウンターに声をかけた。
「マスター!これ、“いつもの”じゃないぞ!?」
店主はバツが悪そうに肩をすくめて言った。
「やっぱバレちまいましたか…すまねぇセリアさん。最近は肉もワインも品薄でよ。香辛料も手に入りにくくてな……今は《
「そう、なんだ……」
ジョーは頭を抱えたまま、なおも呟く。
「……もったいない……この料理、ちゃんとやれば、もっと美味しくなるのに……ポテンシャルはあるのに……」
セリアはスプーンを止め、静かに息を吐いた。
(……戦争が長すぎた。噂通り物資が底を突いてるんだ。貴族でもなきゃ、贅沢は敵…か…)
だが、それでも。
目の前の料理が、かつて自分の心を掴んだ“あの一皿”の残り香をまだ宿しているような気がして、セリアはそっとまたスプーンを持った。
「……うん。たしかに違う。けど……これはこれでイケるよ!ほら、食わないなら私が食っちまうぞ~!」
戦火の影に削られた味の中にも、どこかに懐かしさが残っていた。
それを口に運ぶことで、
自分が守りたいものの輪郭が少しだけ、はっきりしたような気がした。
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