018話_決意と覚悟

どれくらい、そうしていただろう。


枕に顔を埋め、涙の熱がゆっくりと頬に染み渡っていくのを感じながら、

クレセリアはただ静かに天井を見つめていた。


思考は止まらなかった。いや、止められなかった。


ヴェルトゥス大陸の中央。

広大な森と湖に囲まれたルヴァン王国――

かつては豊穣ほうじょうと知恵の象徴とされたこの国も、

今や戦火に焦がされ、あらゆるものが崩れかけていた。


人も、物も、希望さえも。


(……お父様は、もう長くない。)

それは王宮の誰もが知っている、けれど口には出さない暗黙の事実であった。

そして、その死の気配とともに、王座を巡る争いは日に日に熱を帯びていた。


(兄様たちは……)


まぶたを閉じれば、ふたりの兄の顔が浮かぶ。


第一王子、ザイロン=ペリア=ルヴァン。

冷酷で、恐ろしく聡明な男。

父王の政務をいくつも代行し、今や実質的な執政官として王国を動かしている。

その苛烈な手腕に賛否はあるものの、今の戦時下においては圧倒的な支持を集めていた。


第二王子、カイン=リア=ルヴァン。

勇猛果敢な武人にして、戦場では兵士たちの英雄。

だが、そんな戦場の姿からは想像出来ないほど、優しい心を持つ男。

身分や生まれに囚われず誰にでも等しく接し、

剣を振るうその姿は、まさに“獅子の子”そのもの。

本人は戦場を生きがいとしているようだが、民に求められれば王を目指す事も出来るだろう。


(ふたりとも……強い。)

思わず、シーツを握る指に力がこもる。


幼い頃は、こんな彼らと争う事になるとは考えてもいなかった。

城の庭園で、お互いの素性も知らずに三人でよく遊んでいた。

まさかそんなふたりが、自分の義理の兄達だとは思いもしなかった。

その真実を知らされたのが5年前。

お父様の病気が悪化し、王室へ集められた3人に告げられた。


ザイロンも、カインも、そしてクレセリアも、それぞれ母を異にする異母兄妹。

血筋においては正統とされるものの、

それまで育った環境も、価値観も、抱えてきた闇も異なっていた。

優秀な兄達に負けないよう勉学に励んできた。

剣の稽古にも真面目に打ち込んできた。


けれど――


(……私は、戦場を知らない。)


王都の城内で生まれ、離宮で何不自由なく育ち、民の前に立てば飾りのように扱われる。


……それが“皇女おうじょ”なのだと、思い込もうとしていた時期もあった。


だが、それでは意味がない。

それでは、とは言えない。

(私は、ただ愛されて終わるだけの女にはなりたくない……)

(このままでは、ザイロン兄様の言う通りになってしまう。)


『お前は黙って眺めていることだな。』


まぶたが熱い。

涙は乾ききっていないはずなのに、もう流れてはこなかった。


クレセリアは上体を起こし、足元の床を見つめた。

その視線の先には、誰もいない。けれど、心の奥底には確かに何かが灯っていた。


それは怒りではない。

悲しみでも、劣等感でもない。


――覚悟。


(……お父様すら、認めざるを得ないだけのが必要なのよ。)


(……兄様たちのように、“民が縋ることのできる力”が……)

(それに、私はひとりだ。このままでは誰も振り向いてくれない。)



(味方が必要。私の言葉に耳を傾けてくれる者が……)

静かに立ち上がり、鏡の前に立つ。

涙の跡がわずかに残る頬に手を当て、軽く整えると、軍装の上着に腕を通した。


「……私は、行く。」


誰に向けた言葉でもなかった。

ただ、自分の中の迷いを断ち切るための呪文のように、それを口にした。


戦場に出る。功績を挙げる。

そして、自分の手で王座を奪い取る。


その扉の先には、誰も待ってなどいない。

だが、進まなければ始まらない。


クレセリア=レヴィ=ルヴァンは、決意とともに自室の扉を開けた。

そして、夜の廊下をまっすぐに歩き始める。



その足取りには、もう迷いはなかった。

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