017話_無知ゆえの涙

王座の間を出たクレセリアは、足早に自室へと向かっていた。

抑えきれない悔しさと怒りが、胸の奥で渦巻いていた。

(また、否定された。……私は、ただ国のことを思っているだけなのに……)


足音が石造りの廊下に響く。

廊下の窓には、落日が差し込み、クレセリアの横顔を朱に染めていた。

(お飾りの皇女。……誰が言い出したのかは知らない。

 でも、もう王都では私のことをそう呼ぶ者のほうが多い。)


多くの民は兄――、第一王子ザイロン=ペリア=ルヴァンの事を支持している。

冷徹でありながらも統率力があり、強硬な戦略を打ち出す彼のやり方は、

戦時下の民にとって強さの象徴であり、“頼りになる”と映っているのだ。


(……私には、何もできないのか……?)


込み上げてくる無力感に、クレセリアは立ち止まり、拳を震わせる。

そして、その瞳から一筋の涙がこぼれた――その瞬間だった。

「またそうやって泣きわめくのか? クレセリア。」


突然、目の前の影が揺れた。

「ザイロン兄様!? 明日帰還のご予定では……」

驚きに目を見開きながらも、涙を拭えずにいるクレセリアに、

ザイロンは一枚のハンカチを差し出した。


「父上があの様子だ。ノロノロ帰還して、もしものことがあっては…な。」

冷ややかな美貌。漆黒の髪をなめらかに流し、黒と金の刺繍が施された軍装を纏った男。

知略に長け、感情を滅したようなその眼差しが、クレセリアを値踏みするように見下ろしていた。


クレセリアは反射的にハンカチに手を伸ばしかけたが、

その手をはたいて睨みつけた。

「そのハンカチはこの後兄様がお使いください。精々せいぜいお父様に泣き言でも言うのでしょうから!」


そんなクレセリアに対して、ザイロンは呆れたようにため息を吐く。

「……もしかして、私がガルザル帝国との戦争に難航しているとでも思っているのか?」

クレセリアを見下すような目つきと、ザイロンの言葉の端々に皮肉がにじむ。

「難航していると思うのは、お前が戦場を知らない証拠だ。今、あの大陸最大の軍事国家との戦線を維持できているのは、私が指揮しているからに他ならない。」

「しかし――」

クレセリアが言いかけたその時、ザイロンはその言葉を切るように続けた。

「ノルド商会連邦は我々を裏切らないし、アルヴェール教国も攻めては来ない……なぜだかわかるか?」


「それは……」

まるで心を読んだかのような発言に、クレセリアは言葉を詰まらせる。


ザイロンはその様子に軽く肩をすくめた。

「ガルザル帝国はの国家だからだ。それも、大陸最大の軍事国家。人間中心のこの大陸にとって、我が国はだ。ここが崩れればノルドはともかくとして、アルヴェールは確実に亜人の軍靴に踏み潰されるだろう。」

そう言い残して、ザイロンはクレセリアの脇をすり抜け、王室の方へと歩き出す。


「しかし、ガルザル帝国と停戦すれば無駄な兵力を――」

「あるのか? 確実に上手くいく策が?」

鋭い言葉に、クレセリアは足を止め、目を伏せた。


「……私が使者としてガルザル帝国と交渉すれば……きっと……」


自信のない声に、ザイロンは小さく笑いを漏らす。

「だからお前は、いつまでも国のお飾りなのだ。戦場を知らぬ、我が可愛い妹よ。」

クレセリアは言い返す事が出来なかった。


(……兄様の言う通り。私は戦場なんて知らない。

 王都の外にすら、まともに出たこともないくせに……)


いくら知恵があっても…剣術を磨き己を強くしても…

世界を知らなければ、その言葉に重さは無かった。


ザイロンは扉の前で足を止め、少し振り向いてクレセリアを睨みつける。

「クシェリア王国はいずれ我が国の一部になる。そして戦線を一つにまとめれば、ガルザル帝国にも勝てよう……お前はそれを黙って眺めていることだな。」


そう言い残して、彼は玉座の間の扉の向こうへと消えていった。

その背を睨みながらも、クレセリアは顔を伏せ、やがて駆け出した。

皇女おうじょ様!?お待ちください!」

後ろから追いかけてくる使用人達を無視して、無我夢中に走り続ける。


そして自室にたどり着くと、扉を閉める音と同時にベッドへと倒れ込んだ。

そのまま顔を枕に沈め、声を殺して泣き始める——クレセリアが泣き崩れる姿を感じ取り、扉の外に控えた使用人たちは壁越しに静かに見つめていた。

幾度となく繰り返される“この悲劇”を、

彼らはもう、哀しみのような慣れと共に受け止めるしかなかった。




「……わかってるわよ……これじゃダメなのは……でも……」



 涙に濡れた頬の奥で、幼き日からの無力感が静かに疼いていた。

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