013話_引き寄せる匂い
それからしばらく、戦場跡から野営地の方角へと歩いていた時だった。
「あちらです!」
副官ヴェルクが指をさす先、
丘の向こう──遠目にもはっきりと分かるほど、大勢の人だかりができていた。
「……ずいぶんな賑わいだな。」
カインは思わず眉をひそめた。
この戦場のすぐ傍で、あの人数が集まっているということは、
噂に聞いた白狼団の拠点で間違いなさそうだ。
彼が歩を進めるごとに、空気が変わっていくのが分かった。
血と鉄の臭いにまみれた戦場の空気が、どこか香ばしく、
そして濃厚な香りへと変わっていく。
「……香ばしい…良い匂いだな。」
思わず呟いたカインの鼻を、スパイスと肉の香りがくすぐる。
そして、見えた。
人だかりの中心で、大鍋の前に立つ男。
細身の体に少し不格好な筋肉質の両腕。
まるで光すら吸い込むような漆黒の短髪が風に揺れ、
彫りの浅い顔に刻まれた表情は一切の感情を排していた。
開ききった黒目が、鍋の中を覗き込んでいる。
(なるほど、死神──そう呼ばれるのも頷けるな。)
夜道で出会ったら、悪魔か亜人かと思って槍を突き出すであろう。
カインはそう思った。
周囲の兵たちは、みな深皿を手に『ジョー、俺にもくれ!』『次はこっちだ!』と口々に叫んでおり、白狼団と見られる傭兵たちが列を維持しながら食料を配り続けている。
皿の上には、スープと焼かれた黒パンが乗っていた。
立ち上る湯気から、干し肉と様々な薬草の香りが鼻腔を満たす。
(……兵士たちがこれほどまでに夢中になる飯。確かに、噂になるのも当然か)
カインが列の端に立つと、数人の兵士がこちらに気づき、目を見開いた。
「か、カイン第二王子……!?」
次の瞬間、直立不動で敬礼する兵士たち。
その動きに呼応するように、ざわついていた群衆が静まり返っていく。
突如現れた王子の姿に、場が凍りついた。
「……俺のことは気にするな。ちゃんと並ぶから安心して…」
カインは困ったように微笑むが、
兵たちは勝手に列を割き、王子のための道を作ってしまう。
「……はぁ。これだから王子の顔は面倒だ」
呆れたようにため息をつきながらも、開かれた通路を歩く。
そして、鍋の前。
ジョーと呼ばれるその男は、カインの存在にも気づかず、鍋をかき混ぜ続けていた。
その様子をしばし見つめたあと、カインは咳ばらいする。
「……失礼。とりあえず、そのスープを一杯いただこうか。」
ようやくジョーが顔を上げた。
その眼差しには王族に対する畏れもなければ、媚びもない。
ただ、目の前の“食事の配膳”という仕事にのみ集中しているようだった。
カインは、その無頓着さを面白がるように小さく笑った。
(──なるほど。これは確かに、只者ではない。)
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