第37話-前編

大樹にたどり着いたとき、旅人たちの反応はさまざまだった。喜ぶ者、感動する者、緊張する者──そして、呆然とする者。


しかしすぐに日が沈んでしまったので、調査も掘り起こし作業もできず、旅人たちは興奮もそこそこに眠る準備を始めた。


浮ついた表情が並ぶ中で、ただひとつ、色の抜けた顔があった。王だ。


「カシュハさまがここに来るのは初めてでしたよね。何か気になることがあるのですか?」


タタユクがそう尋ねると、王は「いや……」と振り切ろうとして、やめた。


「分かったのだ。分かってしまった……」


その表情を見て、客人は背筋につめたいものが流れるのを感じた。


「────星のかけらの返し方が」




カシュハの青ざめた顔を見て、タタユクだけでなく研究者たちも慌てはじめた。あまりに騒ぐので、上空で見守っていた不死鳥が様子を見に降りてくるほどだ。


『どうしたのだ、何があった』


「カシュハさまが……星の返し方が分かったとおっしゃって」


客人が答えると、不死鳥はそれほど動かぬはずの表情をすっかり変えた。


『……なんだと?』


次の瞬間、王と客人は不死鳥の翼のなかに包まれていた。


「な、なにをするのですかっ」


『他の物に聞かれては困る。しばし辛抱せい』


「やるならやると先に言ってください!」


子犬のように歯向かう客人に反して、王は静かだった。


『カシュハよ。そなた、分かっているのか』


その声があまりに神妙なので、客人は不死鳥の嘴を見たあと、その視線の先を追った。王の硬い表情にたどり着く。


「……星を返せば、この身はすぐに朽ち果てるだろう」


「な……」


絶句するタタユクの背をそっと撫でながら、不死鳥は苦しげな声を出した。


『我が星に聞いてこよう。他の方法がないか』


「ないさ。私には分かる。この樹に触れていると、星の意思が伝わってくる……これが唯一の道だと」


『カシュハ、』


「──止めても無駄だ。私はこれを返す。たとえここに水があったとしても、それは一時凌ぎに過ぎない。砂漠の国を救うには、結局あの星の客人を追い返すしかないのだ。そうだろう、タタユク?」


客人は答えなかった。そうだ、と言うのが怖かった。その答えがこの王の背を押すことが分かっていたから。


「ひと晩……ひと晩だけ待っていただけませんか。わたくしはまだ受け入れられません。あなたが居なくなるなんて」


翼のなかで触れ合う羽織を握りしめた。王は困った顔をして、長い沈黙のあと、頷いた。


「……わかった。ひと晩だけ。私たちに残された時間は、それだけだ」


闇色の翼が広げられるなかで、客人は王の肩をしっかりと抱いた。その目には大粒の涙がこぼれ、王より少し高くなった背を丸めるさまは子どものようだった。


それに驚いたのは研究者たちだ。


「な、何があったのです、カシュハさま?」


「……少しな。あとでそなたたちにも話をしよう」


王は客人のちいさな背中を撫でながら、笑って言った。


その後、大樹のそばで火を囲みながら、王は話をした。面々のおよそ半分は神妙な面持ちで話を受け入れ、残りの者たちは、客人と同様泣いて王を引き留めようとした。


「そなたたちを救うためだ。それに、私の病はこれほど進んでいる。終わりが早まっただけで、問題はそれほど深刻ではない」


「しかし、一度国へ帰って、民の安心した顔を見てからでも遅くはないでしょう!」


「……そうだな。だが、民の安心のために、私は星を返すのだ」


王は決して頷かなかった。話し合いは夜中まで続いたが、結局、民たちが折れる形で収束した。


「星を返すのは明日にする。そのあと、そなた達は水脈を掘り起こすことになるだろう。今夜はしっかりと体を休めるように」


王はそう言って天幕に帰ってしまった。民たちは黙り込んで火を見つめていたが、ひとり、またひとりと席を立った。客人は誰もいなくなったあとで、そっと火を消した。




「カシュハさま」


王の天幕は他の者と同じく、ささやかな大きさのものだった。その中央で、王は座って目をつむっていた。


「タタユク」


その瞳をみて、客人はついに我慢できず、王の肩を強く掴んだ。


「言ってください。わたくしに」


「……何を言えというのだ?」


「“逃げよう”と。それだけでよいのです。わたくしはどこまででもあなたをお連れします」


「ばかを言うな。私は逃げない。この国の王だぞ」


「ですがわたくしの友人で、恋人です。あなたがわたくしと生きたいと望むなら、わたくしは何でもいたしましょう」


王はゆがんだ笑みを浮かべた。


「そなたは本当にしそうだから、怖いのだ」


「……カシュハさま。どうか……」


「私は逃げない。……ただ、ふたつだけ、約束をしてほしい。私の願いはそれだけだ」


客人はその答えを聞いて、顔を伏せた。


「…………」


「聞いてくれるか?」


「……はい」


本当は聞きたくなかった。これが最後だと思い知らされるようで、耳を塞ぎたかった。けれど、客人は意を決して顔を上げた。


「────タタユク。そなたは森林の国の王にならねばならない」


客人の眉がゆがんだ。


「それが……あなたの願いですか?」


「ああ」


「なぜそんなことを……もっと、あるでしょう。自分を忘れないでほしいとか、何かが欲しいとか……」


「そなたは言わなくとも忘れないだろう。それに、いまさら欲しいものなどない」


王は穏やかな表情をしていた。客人は何もかも納得いかず、むずかしい顔で黙り込む。


「……そなたは欲深い。私にとっては好ましいことだが、私という枷がなくなれば、その欲深さは世界に牙を剥くだろう。やがてそのするどさはいつかそなたをも傷つける」


王は肩に乗ったやわらかな髪を手で漉きながら言った。愛の言葉のように紡がれるそれは、客人の心を砕くには充分だった。


「私が居なくなったあとにも枷が必要だ。王になり、道にそれたことは考えぬよう、己を律しながら生きてくれ」


カシュハはタタユクにとって最もつらい道を印した。唯一の理解者、愛する人を失ったあとの世界を、ひとりで生きろと言う。


「これがひとつめの願いだ。聞いてくれるか?」


顔に手をかけて目を合わせる。タタユクは怒りに震えていたが、ひとすじ涙をこぼすと、目を伏せて頷いた。


「……分かりました。それがあなたの望みなら」


カシュハのいない世界を生きるのは辛いことだが、カシュハがいなくなったあとの世界で彼と繋がるには、約束が必要だった。


「ありがとう。それで、ふたつめの願いだが……」


王は天窓から星を仰ぎ見た。


「星読みをしてくれないか。ここから、砂漠の国までの」


タタユクは静かに頷いた。彼の魂の帰り道を案内することは、自分の天命だと思った。




タタユクはカシュハの隣に横たわり、星空を眺めた。声音は少し沈んでいたが、彼の星読みはいつもと同じく美しかった。


「するどい三角形のとかげ座をめざして歩いていくと、右手にひときわ大きな青色の星が見えます。この星はある年だけ子どものような星を携えるので、豊穣や繁栄の星とも呼ばれていて……」


大樹から砂漠の国までは、ほとんどまっすぐに歩くことができる。だからひとつの星さえあれば案内は必要ないのだが、タタユクはその道中が希望に満ちたものになるよう、星々の名を連ねていった。首が痛むまで星を眺めて、その道中が楽しいものになるように、王が退屈しないように……。


そうして、民たちがみな寝静まった夜深く、最後の星読みは終わりを迎えた。


王の天幕には静寂が残された。王は身じろぎもせず星を眺め、客人は音もなく涙を流した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る