第18話

「お前らって付き合ってんの?」


昼休み、隣の席に座りながら(本当の席の住人は明李に憧れているらしく、喜んで席を譲っている)駄弁っている二人に、あるクラスメイトが声を掛けてきた。


「なんで?」


明李はあからさまに顔を顰めている。彼女がこういった場面を嫌っていることをほむらは知っているため、わずかに緊張が走る。


「いつも一緒にいるじゃん。付き合ってるから?」


明李の眉間の皺が深まるのを見て、ほむらは咄嗟に言い返した。


「付き合ってなくても一緒にいるよ。村井くんだって、いつも長瀬くんと一緒にいるじゃん」


「いや、俺らは男同士だから」


その返答に、少し頭が痛くなってきた。これはしんどいやつかもと勘付いたが、ここで止めるのも気持ちが悪いので、続けるしかなかった。


「友達に男か女かって関係ある?」


「関係大アリだろ。男女で友達とかありえないから」


「おれたちが友達だって言ってるんだから、それ以外ないでしょ」


「とか言ってお前は五季さんのこと好きだったりして」


「ちょっと、いい加減に─」


ほむらはいよいよ頭に血が上ったが、彼の咆哮を遮るものがあった。明李だ。


「あたしらが友達でも恋人でもあんたには関係ないでしょ。どっか行ってくれる? 邪魔だから」


「な、なんだよ。そんなに怒るなよ」


彼女の隠す気もない嫌悪感に、クラスメイトは怯んでそそくさと逃げ帰った。


「まじでだるい。ああいうのに遭うたびうんざりする」


うなだれる明李に、ほむらは力なく笑いかける。二人は日中ほとんど一緒にいるが、それを周囲がどう捉えているか、気付かずにいるのは難しい。しかも思春期の子どもたちの発想はなかなか手に負えなかった。羽の生え揃った幼い小鳥のように、あらぬ方向へ羽ばたくことも少なくない。


「ね。おれも最近、わかるようになってきたよ」


ほむらの声が少し低くなる。明李はそれを聞いて自棄になりかけた。


「……あたしたちだけが疲れるのもむかつく」


「昔からおれたちはこればっかだね」


その言葉に、明李はぐっと言葉を飲み込んだ。


「でも今はふたりだからまだマシじゃない?」


ほむらが笑うので、明李は頷くしかなかった。彼の孤独は、明李には想像もできないほど深い。たった一人の王が背負うもののうち、もっとも重いものを、彼は持たされたのだ。






その日の放課後。ほむらは細美を探して校内を彷徨っていた。


職員室にも彼の担当教室にもいないとなれば、残すは部活だろう。彼の受け持つ文芸部はいつも視聴覚室の隣にある会議室で活動している。


「失礼しまーす、細美先生いますか?」


話し声が聞こえるのを確認してから扉を開けた。案の定、細美は数人の生徒と共に部誌の製本をしていた。


「土岐さん? どうしたの」


「ほむら先輩だ! 入部しに来たんですか?」


「しない、しない。三年が今更部活に入ってもしかたないでしょ」


「えー」


「せっかく小説書いてるのに」


「もったいなーい」


文芸部なのにかしましい子たちだ、とほむらは思った。この調子で勧誘されるのも実は数度目なのだ。


「借りた本を返しに来たんですけど……せっかくだし、製本手伝います。この順番に重ねていけばいいですか?」


細美はああ、と頷いて、ほむらが紙を束ねるのを見ていた。




五人で取り掛かったので、製本作業はすぐに終わった。後輩三人組はそそくさと帰り、会議室にはほむらと細美の二人が残る。


「本、ありがとうございました。ちゃんと読みました!」


ほむらのキラキラしいアピールに細美は笑うしかできなかった。


「はは、そうか。少しでも役に立ったならよかった」


紙袋を受け取りながら、細美が聞く。


「小説の方は順調?」


「はい! ここまでは結構いい感じです。あの、新しいやつも読んでくれますか? 印刷はしてないけどスマホにあるから……」


「いいですよ。できれば生徒のスマホは触りたくありませんが……」


「画像アプリみる?」


「やめてください!」


「あはは。先生って他人のプライバシー怖い人だよね」


「いいですか、これが正常な反応です。きみはいささか緩すぎる」


「“いささか”だって。ほんとに言う人いるんだ」


「次のテストに出します」


「えっ」


「嘘ですよ」


「そういうビビらせ方、やめてくださいよ〜……」


細美はほむらの薄いスマホをおそるおそる受け取って、持ち主に画面が見えるよう傾けながら、文章を読んだ。


十分もせず、彼はスマホをほむらに返した。


「良いんじゃないですか。特に気になる点はありませんでした」


ほむらの小説を読んだとき、細美は大抵、ひと言目に文法や言葉についての所感を述べる。それが自分の役割だと忘れたことのない様子で。少し冷たさも感じる反応だが、ほむらは毎回こう聞くので問題ない。


「面白かったですか?」


細美がたじろぐ。この大人は、子どもにまっすぐ何かを言われるのに弱かった。


「……面白かったです。続きが気になります」


「なんか声が堅すぎません? 嘘ついてる?」


「ついてませんよ!」


「あはは。よかったー。今回は暗い話だから、アップするのちょっと怖かったんです。面白いならいいや」


その明朗な笑みを見て、細美は関心したように息をついた。


「きみの話は、きみとは似ても似きませんね」


「そうですか? これはおれそのものですよ」


「……その言葉をすぐに返せるのも不思議だ。ほんとうにこれが一作目?」


「一番最初のひどい状態、先生も知ってますよね?」


「たしかに。あれはひどかった」


「はっきり言わないでよー」


「あはは、すみません。でもこれを土岐さんが書いていることに、いつも驚かされます」


ほむらは嬉しいような、嬉しくないような、不思議な気持ちだった。これは確かに“彼”の話だが、今のほむらとは違うのだから、納得されてもされなくても違和感が残っただろう。


「……きみを見ていると、思い出す話があるんですよ」


ふと細美がぽつりとつぶやいた。


「えっ、何? どういう話?」


ほむらはすかさず聞き返す。彼は人と本の話をするのが好きなのだ。


「韓国のSF短編集でね。人間は生まれたときに頭の中に別の生命体がいて……」


ほむらのぎょっとした顔を見て、細美は吹き出した。


「いや、寄生虫とかじゃなくて。先生みたいな……人間に色々なことを教えてくれる存在。でも別の生き物だから、それには地球とは別に故郷みたいなものがあって」


青年の顔にはハテナが浮かんでいた。この小難しそうな話が、果たしてほむらの何と繋がっているのだろう?


「人間にもうっすらその記憶が残ってる。それを実際には見たことがなくても、知ってるんだ。だから、その景色を描いた絵を見ると、懐かしくて帰りたくなる……みたいな話」


ほむらは少しだけ目を泳がせた。細美は片眉を上げながら笑う。


「きみの中にも、この見知らぬ故郷があるんでしょうね」


もし本当にそうなら、彼は大変な苦労人だ。細美は微笑みながらその苦労に思いを馳せた。


「えへ……そうかな? その先生みたいなやつ、おれの頭にはいないよ?」


下手なりに誤魔化そうとするほむらを前に、細美は苦笑する。


「いてもいいと思いますけど」


「……」


波のように歪んだ眉の下で、ほむらの目が泳ぐ。反応に困っている。


「こんど、うちの教室にその本を置いておきますよ。興味があったら読んでみてください」


「……はい」


まだほむらの緊張は解けない。教師のほうは困り果てて、素直に謝った。


「すみません。そんなに動揺させてしまうとは思いませんでした」


「えっ? いや、そんな。おれ動揺してますか?」


その返しがすでに動揺している、と思ったが、細美は片眉を上げるにとどめた。そして少し早口になりながら、ひと息で言う。


「仕方がないので、私も秘密を言いましょう。私は若い頃、幽霊と話したことがあります」


ほむらはぽかんと口を開けて、「はぇ……?」と情けない声を出した。


「先生って冗談言うひとだったっけ?」


「冗談ではありません。あれは夏のことでした。墓場にいると急に上のほうから声がして─」


「わーっ、わーっ、やめて! おれ怖い話無理です!」


「そうなんですか? 失礼しました。この話はやめましょう」


「なんでそんな冷静なんですか? おれはいま先生が怖いよ」


「こういうのには慣れているので。先生になる前は葬儀屋で働いてたんですよ」


「今日はもう帰ります。さようなら」


がっと鞄を掴んで立ち去ろうとするほむらに、細美は笑った。


「あはは! すみません、今後は怖い話はしませんから。気をつけて帰ってくださいね」


青年がへにゃりと表情を曲げる。安心したようだが、それを表に出したくないのだろう。


「さようなら! 小説、読んでくれてありがとうございました!」


「はい、さようなら。続きも楽しみにしてますよ」


ほむらが早足で扉をくぐるのを見届けてから、細美は紙袋を抱き上げた。


不思議なことは、何もほむらの人生だけに起きているわけではない。だからそんなに気負わなくてもいいと伝わればいいのだが……あの生徒には難しいかもしれない。


細美はふっと笑って、会議室の電気を消した。

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