独〈余韻〉

炎の色は、今もまぶたの裏に焼き付いている。


あの夜。

全てが赤に染まった夜。

ただの火じゃなかった。

あれは呪い、罰、そして——


にちかはひとり、あてもなく歩いていた。街と街を繋ぐ裏路地、誰も寄りつかない廃墟、鉄の匂いがしみついた地下道。誰とも目を合わせず、言葉も発さず、気配を消すように。…そうすれば、何も壊さずに済む気がした。


(…壊したのは私じゃない。けど……)


「……さくま」


名前を呼ぶことすら痛い。呼んだって、返ってくる声はない。

あの日、彼は自分の身を燃やすようにして、悪魔ごと封じた。

「後悔してない」と言った笑顔だけが、最後の記憶。


それでも、生きてしまった。

焼け落ちた村から逃げ出すように彷徨って、気づけば5年。

食べるものも、寝る場所も、どうでもよかった。

自分が生きてる理由なんて、わからなかった。



「ねえ、君、そんな顔してたら、パンもまずくなるよ?」


声がしたのは、ある市場の片隅だった。

まぶしい金髪の少年と、ふわふわした栗色の髪の少女。

え、話しかけてこないでよ

その男の子——太陽は、妙に軽い口調で、にちかにパンを差し出した。


「うち、なんでも屋してんの。仕事、手伝ってくれたら食べもんくらいは出すよ?顔怖いけど、手つきは器用そうだし」


もう片方の少女、ひなたも微笑んでいた。警戒も拒絶もなく。



これまた出来事が唐突すぎる。嫌な予感極まりない


『何でも屋…?』


にちかは、声が出たことに自分で驚いた。久しく発してなかったはずなのに、言葉が喉から滑り落ちていた。


「そう! 掃除から手紙の代筆、時々…ちょっと変な依頼もあるけど」


「……ふうん」


気づけば、にちかはそのパンを受け取っていた。


最初のうちは無言だった。

別にやる理由もないけど、やらない理由もない。

気づけば私は2人について行っていた。

命令されたことだけを淡々とこなして、夜になれば離れて眠った。

ひなたは「しゃべれなくてもいい」と笑ってたし、太陽は気づいたらにちかの髪を編んでいた。


……おかしい。

あのときみたいに、誰も私を拒まない。

言葉を発さなくても、見捨てられない。


「ねえ、にちかちゃん」


ある日、ひなたがそっと尋ねた。


「悲しいとき、泣いていいんだよ?」


かなしい?悲しい?哀しい?カナシイ?


——そんなこと言われたのは、初めてだった。


私は、悲しいの?悲しそうなの?え。

悲しい…

思い出すたびに涙が出そうで、喉に何かが詰まるような激痛が走るあの記憶

今でも鮮明に覚えてる

悲しいの?

全てが崩れ落ちる感覚

何もかもなくなった虚無感

自分を庇ったさくまへの懺悔


「…ッッ」

グッと涙を堪えた。

そんな私を、2人は優しく抱きしめた


あれから、少し変わったと思う

声はまだ小さいけれど、太陽の冗談に小さく笑うようになった。

ひなたがくれたリボンを、髪に巻くようになった。

人のぬくもりが、少しだけ怖くなくなった。


けれど、夜だけはまだ燃えていた。

夢の中、何度も村が焼け落ちる。

その中にさくまの背中がある。振り向かない、最後の背中。


(私は、生きてていいの?)


——でも、いつか。

この手で、なにか誰かを助けることができたら。

それは、きっと。


(…あの背中が、無駄じゃなかったって言える気がする)


そう思える日が、来るかもしれない。

来てほしいと思ってる自分に、にちかは少し驚きながら、それでも目を閉じた。


小さな焚き火が、静かに揺れていた。

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