第3話 呪いを越える方法

 アリオットとフィーネは教会の書斎にて、机を挟んでイスに座った。

 フィーネの表情は固い。自分の呪いについて知りたい気持ちと、知るのが怖いという気持ち。

 相反する感情についていけず、フィーネは、失礼だとは思いながらも顔を上げることができなかった。


 一方、アリオットは特に気にした様子もなく、あごに手を添えてじーっとフィーネを観察している。



 しばらくお互い無言のままでいたが、アリオットがふと話し始めた。


「⋯⋯興味深い呪いだ。マルグリット氏から聞いている情報に加え、呪いが色濃く映っている場所から判断すると、君の呪いは、正式には“感情干渉型禁忌”というものに分類される。非常に稀少で、過去の例もわずか十に満たない」


 アリオットは淡々と語る。


「この呪いの特筆すべきは、記録上、そのすべてが遺伝的に発現していることだ。心当たりはないか?」



「⋯⋯私の曽祖母が、『怒ることができない』人だったと母から聞いたことがあります。怒りを表現しようとすると胸が痛くなるのだと。でも、曽祖母はとても温厚で穏やかな性格で、生活にそれほど支障はなかったみたいだと母は話していました。⋯⋯曽祖母も呪いが発現していたのですね」


「ふむ、君に呪いが発現している以上、そう考えるのが自然だな。この種の呪いは、呪術の歴史を遡れば、ある古の魔族が好んで使用していたとされる。君の一族の先祖が、その魔族に呪いを受けたのではないかと考えられる。とうの昔に受けた呪いが、遺伝として世代を越えて発現し、今を生きる者を苦しめている。⋯⋯忌まわしい呪いだ」


 アリオットはそう言って深いため息をつく。その表情は険しく、まるで心底呪いに嫌悪を抱いているかのようだった。


 フィーネは、自分と同じような呪いを発現した曽祖母やご先祖様がいることに、少しだけ勇気が湧いた。

 フィーネは顔を上げ、アリオットの目を見て言った。

「呪いを解く方法は、あるのでしょうか」


 フィーネの真っすぐな問いに、アリオットはあごから手を離し、一本指を立て、ゆっくりと口を開いた。その顔には挑戦的な笑みが浮かんでいる。


「理論上は⋯⋯一つだけある。この呪いは、特定の感情を“表現しようとする”行動に対して、心の臓に打ち込まれた“禁忌の杭”が激痛という形で拒絶反応を示す。君の場合、“愛情”がそのトリガーだ。この呪いは、感情表現を絶対的に禁ずるものではない、つまり感情の封印術ではないのだよ。ただ、感情の表現を杭が“苦痛”を与えて邪魔をしているにすぎない」


「ええと⋯⋯すみません、どういうことでしょうか」


 アリオットの勿体ぶった言い方にフィーネが疑問を挟んだ瞬間、アリオットが机に両手を付いて立ち上がる。

「つまり!! “呪いの定義の逆転”――痛みを上回る感情の爆発!! 命を賭してでも表現したい、伝えたい、そんな強烈な想いが発露されたとき、杭が外れ、呪いが自壊するであろう!!」



「……」



 圧倒された様子のフィーネに、アリオットは肩をすくめて皮肉げに言う。

「まぁ、まず無理だろうね。普通の人間なら、途中で失神するかショック死するかだ。私はただ、研究者としての理論と知識を伝えただけ」



 アリオットはフィーネに背を向けて扉に向かう。



「だが、覚えておくといい。呪いは人の心を縛るが、心が呪いを打ち破ることもある」



 そう言って、アリオットは部屋を後にした。








 部屋に残されたフィーネは、ひとりアリオットの言葉を考える。


(私が……そんな強い想いなんて……)




 フィーネは、目を閉じ、そっと胸に手を置いた。浮かぶのは、こちらに笑いかけるエリアスの姿。



(エリアスさんに、もう一度……会いたい)




 その想いが、ほんの僅かに、呪いの内側を揺らした。






 その数日後。

 空気がざわついていた。


 教会の鐘が不吉に鳴り響き、教会に繋がる通りには騎士団の急報が走り抜けていく。

 西方から、魔族の軍団が接近しているという。

 街の住人には避難勧告の報が発せられた。しかしこの教会にはまだ動けない療養中の者もおり、シスターや治癒師たちは避難するわけにはいかなかった。


「俺も行く」


 まだ本調子ではない体を無理やり起こし、エリアスはそう言った。

 彼は回復の途中だったが、戦場に出られる程度には傷が癒えてきていた。


 壮年の男性治癒師がエリアスを諌める。

「やめておきなさい。まだ完治していないあなたの状態では危険です」


 しかし、エリアスはその言葉を背に鎧を身に着けていく。

「⋯⋯危険は承知の上です。でも、魔族の侵攻を許したら、この教会の人たちにも危険が及びます。このまま休んでいたら、きっと後悔する」


 振り返って治癒師に向き合うエリアス。

 その顔つきと、瞳に宿る覚悟を見た治癒師は、エリアスを送り出すほかなかった。


「⋯⋯無事をお祈りいたします」


 胸に手を置いて祈る治癒師に、エリアスは力強い声で応えた。


「はい、行ってきます!」







 フィーネは教会の門前で、他のシスターたちと並んでいた。

 アリオットと呪いについて話した日以降、フィーネはエリアスと話せていなかった。エリアスの部屋に向かっても、途中で立ち止まってしまう。

 『命を賭しても伝えたい強い想い』、それが自分にあるのか、自信がなかったから。

 それでも、魔族接近の急報を受けエリアスが戦地に向かうことを聞いたフィーネは、不安で心がざわついて、いてもたってもいられなかったのだ。

 

 馬に跨る直前だったエリアスが、ふとフィーネに気付き、こちらに歩み寄ってくる。


「フィーネ」


「⋯⋯エリアスさん」


 エリアスは、そっと彼女の手を取った。

 大きくて温かいその手に、フィーネの肩がわずかに震える。


「俺が必ず――君の呪いを解く方法を見つけてみせる」


 力強いその言葉に、フィーネの目が見開かれた。

 口を開きかけるも、驚きで声は出ない。ただ彼を見つめることしかできなかった。


 エリアスは笑って言った。

「俺は大丈夫。それに……怪我したら、また君に看てもらえるしな。それを楽しみにしてるよ」


 その冗談に、ほんの僅かにフィーネの目元が潤む。

「……はい。私も治癒魔法をもっと頑張ります。だから⋯⋯必ず、帰ってきてください」


「うん、必ず。約束する」


 二人が約束を交わした後、エリアスは馬上に戻り、戦地に駆けていった。

 エリアスの姿が見えなくなっても、フィーネは両手を組み、彼の無事を強く、強く祈った。

 たとえ愛を伝えられなくとも、彼のためにいつまでも祈った。









 戦闘は激しかった。

 森の中。敵が木々の間から次々と現れる。

 エリアスは息を荒げながら剣を構え、迫り来る魔族を斬り伏せた。

 

「みんな踏ん張れ! ここを越えられたら、街が、教会が⋯⋯大切な人たちが危険だ!」


 血に濡れた鎧のまま声を張り上げ、仲間の兵士たちを鼓舞する。

 仲間の一人が魔族に押し倒されそうになった瞬間、エリアスは身を挺してその刃を受け止めた。

 腕に激痛が走るが、それでも歯を食いしばり、反撃の一閃で魔族を討ち倒す。

 しかしさらに奥から、異様な気配を纏う上位魔族が姿を現した。その巨体の手には、血がこびり付いた大斧が握られている。

 魔族の雄叫びとともに振り下ろされる大斧を、エリアスは盾で必死に受け止める。身体の内側で骨がきしみ、肉が裂ける痛みが全身を駆け抜ける。

 ――それでも、エリアスは退かない。


「ここで、倒れるわけには⋯⋯いかない!」


 渾身の力で斧をはじき返し、流れるように魔族の心臓に突きを繰り出す。が、上位魔族が手を突き出して突きを防ぎ、身体には至らない。

 上位魔族が咆哮し、大斧の柄を横に振るってエリアスをなぎ倒す。

 吹き飛ばされたエリアスは木々に身体を打ち付け、倒れると同時に血反吐を吐く。どうやら内臓に深手を負ったらしい。

「はぁ⋯⋯はぁ⋯⋯」

 ボタボタと流れ出る血にも、身体中を駆け巡る痛みにも構わず、エリアスは立ち上がる。


 上位魔族がエリアスに突進し、大斧を振り上げた刹那、エリアスは距離を詰めて懐に入り込み、魔族の片足を切り飛ばす。

 上位魔族がバランスを崩した瞬間、エリアスの渾身の突きが心臓に突き刺さる。

 上位魔族は黒い血を吐き、ようやく地に崩れ落ちた。

 エリアスは荒い息を吐く。

「はぁ⋯⋯はぁ⋯⋯。まだ、まだ止まるわけにはいかない」

 頭から、顔から、身体から流れ出る血がうっとおしい。手足の感覚が覚束なくなり、一瞬でも気を抜けばその場で倒れてしまいそうだ。

 それでも足に力を込めて前に進む。仲間を助けるために、そして街を、教会を⋯⋯フィーネを守るために。


 倒しても倒しても、魔族の兵士が次から次へと突進してくる。森の奥には数え切れないほどの魔族小隊が控えているのが見える。

 まだ、勝利への道は遠い。

 それでも――

(必ず⋯⋯生きて帰る。だから待っててくれ、フィーネ)

 エリアスは覚悟を決めて、再び剣を構えた。









 ――日が沈みかけた頃、ようやく街と教会に、人類側が辛くも魔族を撃退したとの吉報が舞い込む。

 しかし――


「負傷者多数! 担架を!」


「こっちの兵士も頼む!」


「この人に早く治癒魔法を!!」


 教会の医療棟に、瀕死の兵士たちが次々と運び込まれる。

 教会所属のシスターや治癒師たちは、兵士の命を繋ぎ止めるために皆それぞれが必死の思いで治療を続けた。

 当然、治癒師見習いのフィーネも駆り出され、瀕死の兵士たちに何度も治癒魔法を行使した。もはや魔力も体力も限界だった。

「⋯⋯くっ!」

 ふらついて壁に手を付くフィーネ。

 すかさずシスターがフィーネに寄り添う。

「フィーネさん! ⋯⋯あなたはよく頑張りました。少しお休みになってください。」

 けれどフィーネは首を横に振る。

「⋯⋯きっとエリアスさんは、私なんかよりもっと頑張ったはずです。次にエリアスさんにお会いした時に、後悔している私じゃなくて、限界まで頑張ったと誇れる私でありたいの」

 そう言って、フィーネは兵士たちの治癒を続ける。

 フィーネだけでなく、歴戦の治癒師たちも限界まで魔力を使い果たし、もう誰にも力を貸せない――そんなときだった。


 担架に乗せられて現れた、血に染まった一人の青年。包帯から溢れた血が床に滴り落ちている。

 その青年を見て、治療を受けていた重傷の兵士が叫んだ。

「そいつは、前線で大活躍した英雄だ⋯⋯! 頼む、助けてやってくれぇっ!!」



 血に染まった青年――エリアスは、身動き一つしなかった。

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