第4話(最終話)それでも伝えたい想い

 担架に乗せられて現れた、血に染まった一人の兵士。


「⋯⋯エリアスさん!」


 フィーネは叫びながら駆け寄った。

 担架から大量の血が滴り落ちている。血の気が引いた顔色は、彼が死の間際にあることを物語っていた。


 周囲の治癒師が駆け寄りエリアスの様子を確認する。


「⋯⋯駄目です。この人は、もう間に合わない⋯⋯」


 治癒師が目を伏せ、肩を震わせる。

 皆これ以上治癒魔法を行使する魔力も、体力も尽きている。そしてエリアスの状態では、もはや通常の治療を施しても間に合わないことは明白だった。

 せめて最期は安らかなようにと、治癒師たちはエリアスの顔の血を布で拭い、彼のために静かに祈る。


 フィーネは震える手で、彼の手を握った。


「エリアスさん⋯⋯!」


 その呼びかけに、かすかにまぶたが動いた。


「⋯⋯フィーネ⋯⋯来て、くれたのか⋯⋯」


「はい⋯⋯!います、ここに⋯⋯!」


 フィーネはエリアスの手を両手でぎゅっと握りしめ、顔を近づける。彼の言葉をひと言も聞き逃さぬように。その表情は焦りや不安、大切な人を失う恐怖で一杯だった。

 かつて教わったマルグリットの言葉が思い浮かぶ。――死に瀕している方の前で不安な顔をしてはなりません。私たちにとってそれがどれだけ辛く、悲しい状況であるとしても、穏やかに笑い、慈しみの言葉をかけるのです。そして、安らかな最期を見届けなさい――そうマルグリットから何度も教わってきた。実際に重傷の兵士を最期まで看取ったこともある。

 だから、エリアスを不安にさせてはいけない、穏やかに笑って、安らかな最期を――。

 そう思っても、フィーネの心はきしみ、涙がこぼれるのを止められない。


「⋯⋯フィーネ、ごめん⋯⋯俺が⋯⋯君の呪いを解く方法を見つけるって⋯⋯言ったのに⋯⋯」


 苦しげな呼吸の合間に、絞り出すような声。


「そんな⋯⋯エリアスさん⋯⋯私のことは良いんです! ⋯私のことは良いから⋯⋯だから⋯⋯」


 フィーネの手が震える。エリアスは、力を振り絞って彼女の手を強く握った。

 目と目が合う。不安と恐怖に駆られて涙溢れる目と、覚悟を持った決意の炎が宿る目。


「死ぬ間際にこんなことを言うのは⋯⋯卑怯だと思ってる。だけど最後に伝えたい⋯⋯。フィーネ⋯⋯俺は、君のことが⋯⋯好きだ⋯⋯」


 その言葉に、フィーネの心が強く揺れた。


「君の呪いが解けて⋯⋯君が幸せになることを⋯⋯ずっと願ってる⋯⋯楽しい時間をくれて、ありがとう⋯⋯フィーネ⋯⋯」


 こんなときに、こんな言葉をくれる彼が、愛おしくてたまらなかった。


 エリアスはフィーネに言葉を伝えたきり、目を閉じた。先ほどまで強く握ってくれた手も、力が入っていない。

 命の灯火は今にも消えかかっている。傷だらけで言葉を発するだけでも痛くて苦しいはずなのに、エリアスはフィーネに言葉をくれた。命を賭して想いを、愛を伝えてくれた。

 フィーネもエリアスに伝えたい言葉、想いがある。感情が心の底から湧き出してくるのを止められない。

 けれど、伝えたいのに、伝えたい言葉が喉に詰まる。


 (言わなきゃ⋯⋯今、言わなきゃ、一生後悔する!)


 想いを伝えようと口を開いた瞬間、フィーネの胸を焼くような激痛が走った。


「くっ⋯⋯ぐぅ⋯⋯っ!」


 呪いがフィーネの想いを踏みにじる。

 息が詰まり、視界がにじむ。

 床にうずくまり苦悶するフィーネに、周囲の治癒師やシスターが慌てて駆け寄る。


「フィーネさん、やめて! あなたも危ない⋯⋯!」


「これ以上無理をすれば、あなたが無事では済まない! 死ぬ気ですかっ!」



 けれど、フィーネは叫んだ。


「やめ、ません⋯⋯! 呪いなんかに、負けてたまるか⋯⋯! エリアスさんに……私の想いを届けたい!

 エリアスさん⋯⋯私は、あなたが笑っていると、私も嬉しくなるんです⋯⋯! あなたが戦いで傷ついてるんじゃないかと思うと、とても苦しかったんです⋯⋯」


 杭が心臓を突き刺すかのような痛み。血の味が口に広がり、視界の端が暗くなる。

 足が震える。手足が鉛のように重い。これ以上は危険だと、身体中の生存本能が訴えてくる。

 それでも、彼女は立ち上がった。足を踏み出した。


「わた⋯⋯しは⋯⋯私は! エリアスさん、あなたのことが――」


 全身を呪いの杭が暴れまわる。身体が内部から食い破られるかのような激痛。視界が点滅し、意識が遠のく。


(痛い⋯⋯苦しい⋯⋯! 本当に死んでしまうかもしれない⋯⋯でも、エリアスさんは命がけで私たちを守ってくれたんだ⋯⋯命を賭して、私に愛を、伝えてくれたんだ!!)


(だから!! 私も命を賭してエリアスさんに愛を伝えるんだ!!)


 最後の力を振り絞って、彼女は言った。


「エリアスさん⋯⋯! 私はあなたのことが⋯⋯好きです⋯⋯! 愛しています⋯⋯!! あなたと共に過ごした時間が、私の幸せでした⋯⋯!」


 その瞬間、ばきり、と大きな音がして、金色のまばゆい光がフィーネを包みこんだ。

 身体を駆け巡っていた痛みが、浄化されるように消えていく。

 それはまるで、氷が陽の下で溶けていくような、優しい感覚だった。

 


 痛みが、消えた。



 フィーネを包み込んでいた光は、部屋全体を金色に染める。

 光は彼女からエリアスの体へと流れ込み、彼の全身を包み込んだ。

 ――エリアスの全身の傷が、見る見るうちに癒えていく。


「こ、これは⋯⋯高位治癒魔法⋯!?」


 治癒師たちが目を見開く。


 エリアスの全身の傷が塞がっていき、顔に生気が宿っていく。 先刻まで死の間際にあった者とは思えない程の顔色だった。

 


 ゆっくりと、エリアスが目を開ける。


「これは⋯⋯。俺は⋯⋯死んだんじゃ、なかったのか⋯⋯」


 エリアスがそうつぶやき、周りに目を向ける。


「っ! フィーネっ!」


 エリアスが目を向けたとき、フィーネの体は力尽きるように崩れ落ちた。









――――


 数日後。


 フィーネが目を覚ますと、彼女は医務室のベッドに寝かされていた。

 そして彼女の手を握っていたのは、エリアスだった。

 状況を理解した途端、顔が一面真っ赤になるフィーネ。


「あ、あの⋯⋯エリアス、さん⋯⋯」


 エリアスは静かに話し始めた。

「⋯⋯目が覚めて、よかった⋯⋯」


 彼の声は、涙を含んでいた。


「フィーネのおかげで、俺は死なずにすんだ。⋯⋯本当にありがとう」


「⋯⋯エリアスさん⋯⋯」


フィーネの目にも涙があふれた。エリアスと再び言葉を交わせることが本当に嬉しかった。



 エリアスはゆっくりと彼女の手を包み込む。


「こんな状況で言うのはどうかと思うけど⋯⋯」


 エリアスの漆黒の瞳がフィーネを見つめる。その瞳はどこまでもまっすぐだった。


「もう一度伝えたい。⋯⋯俺は、君のことが好きだ。愛している。⋯⋯もし君さえよければ、これから先もずっと、一緒に生きてほしい。

 たとえ君が呪いによって愛を伝えられなくとも、俺が君に愛を伝え続ける」


 フィーネは驚きに息を呑んだ。顔だけでなく全身が真っ赤になって熱くなる。胸がドキドキと高鳴る。

 フィーネが倒れる直前、エリアスに想いを、愛を伝えられた。そのときの痛みが浄化される感覚⋯⋯そして今、不思議と「伝えられる」ことがわかる。


 フィーネは、言葉を紡ぐ。


「私も⋯⋯私も、エリアスさんが、好きです……」


 「っ! フィーネ!」

エリアスが驚いて身を乗り出す。呪いがフィーネを苦しめるのではないか、焦りが声に滲む。


 ――しかし、痛みは、訪れない。


 フィーネは涙をこぼした。

「エリアスさん⋯⋯呪いが⋯⋯消えた⋯⋯! 本当に、消えたんです⋯⋯!」


「フィーネ⋯⋯本当に⋯⋯本当によかった⋯⋯」


「エリアスさんのおかけです。あなたに愛されたから、私もあなたを愛したいと思って、だから呪いが消えたんです」


 フィーネが涙を流しながら笑う。その表情にエリアスは目を奪われた。愛おしくてたまらなかった。

 エリアスは力強くフィーネを抱きしめる。

 真っ赤になったフィーネも、おずおずとエリアスの背に手を回し、抱きしめ返す。

 二人きりの医務室。その温もりは、何よりも確かで、とてもあたたかかった。







 ―――――


 礼拝堂では、マルグリットがひとり静かに祈りを捧げていた。

 ――フィーネが気を失って倒れたとき、マルグリットはその場にいなかった。搬送や治療の指示、他機関との折衝など、施設内外で多忙を極めていたのだ。

 シスターたちに連れられ、急いでその場に向かったとき、既にフィーネは医務室で手当てを施され、ベッドに寝かされていた。

 ベッドの横には、イスに座ったエリアスが彼女の手を優しく握っていた。

 マルグリットはそっと傍らに立ち、フィーネの顔をのぞき込む。その顔は穏やかであったが、彼女の吐息はあまりにも静かでゆっくりで、生命力が感じられなかった。

 

「⋯⋯マルグリット様、申し訳、ありません⋯⋯。俺が、俺のためにフィーネが⋯⋯」

 エリアスが震える声で謝罪する。彼の悔恨が心から伝わってきた。


「いいえ、あなたが自分を責めることなど何もありません。⋯⋯何が起きたのかはシスターたちから聞きました。これはフィーネが自分で選択した結果です」


「⋯⋯でも、俺は、フィーネに無理をさせました。俺が守ると誓ったのに、俺のために命をかけるなんて⋯⋯」


 俯くエリアスに、マルグリットは厳しく言い放つ。

「フィーネの想いを踏みにじるのはおやめなさい!」

 マルグリットの強い目がエリアスの目を射抜く。


「……マルグリット様」


「フィーネは自分の呪いのことを理解していました。呪いに逆らって愛を伝えることが、どれだけ危険なことであるかも。⋯⋯けれど、それでもあなたに想いを、愛を伝えたかった。その純真で真っすぐな想いだけは、あなたが否定してはなりません」


「⋯⋯そう、ですね」


 エリアスは、フィーネに向き直る。 

 悔恨は完全には消えないが、マルグリットの言う通り、フィーネの真っすぐな想いを受け止めよう、そう決意した。

 

 マルグリットはエリアスの肩に手を置き、優しく言った。

「⋯⋯安心なさい。きっと、フィーネはすぐに目を覚まします」


「はい、俺もそう信じています。いつまでも」






 ――あのときエリアスと話してから、数日が経った。

 マルグリットは、フィーネの目が覚めることを願い、祈りを捧げる。その願いは、他の何より特別だった。



 ――そのとき、


「マルグリット様!」


 背後から聞こえた声に、彼女は振り返る。そこには今無事を祈ったフィーネが息を切らして立っていた。


「フィーネ!」


 マルグリットは駆け寄り、フィーネの手を取った。


「目が覚めたのね⋯⋯良かった⋯⋯本当に」


 涙ぐむマルグリット。

 フィーネは、涙を携えた目で、真っすぐにマルグリットを見つめる。


「マルグリット様……私のことを育ててくれて、愛してくれて、本当にありがとうございました。

 ⋯⋯私は、マルグリット様をお母様のように思っています。優しくて、時には厳しくて、でもやっぱり優しいマルグリット様のことが、私は大好きです!」


「⋯⋯フィーネ、あなた⋯⋯!」

 マルグリットの目が潤む。

「呪いが……本当に、解けたの?」


「はい。エリアスさんが、命を賭して私に愛を伝えてくれたから、私も、彼に愛を伝えることができました。⋯⋯呪いを、越えることができました」


 二人とも、目から涙が流れる。二人の間にこれ以上、言葉は必要なかった。

 フィーネとマルグリットは、静かに抱き合った。




 呪いに苦しめられ、諦めていたフィーネの時間がようやく動き出す。

 二人の絆が、祈りの空間にあたたかく、優しく染み込んでいった。
















――――――――――――――――――――


(あとがき)

初投稿作品、ここまで読んでくださり、ありがとうございました。

王道青春恋愛もの ✕ 異世界ファンタジーとして描いたフィーネとエリアスの物語は、ここで幕を閉じます。二人の未来は、きっと幸せに続いていくことでしょう。

次回は、王道青春でありつつ、BL作品に挑戦してみようと思っています。

もし少しでも楽しんでいただけましたら、★や応援、フォローをしていただけると、とても励みになります。

それではまた次回作でお会いしましょう!


おわり

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