もういいかい
津多 時ロウ
一
おお、いらっしゃい。
こんなクソ暑いときにわざわざ訪ねてくるなんて、お前さんは物好きだねえ。
なに? 飲み物をたくさん飲んできたからトイレを貸してほしいだって?
そいつは構わないが、人ん
貸さないってわけじゃないよ。ただの……そうさな、嫌みみたいなもんだ。
ほれ、トイレはこの玄関から見て最初のドアだから、早く用を済ませといで。
あ、二番目のドアは俺の寝室だから、間違っても入るんじゃないぞ。おじさんの寝室には秘密があるんだからな。……汚かないよ。まったく失礼な奴だね。
スッキリしたならリビングで話をしようじゃないか。
こっちだ。と言っても迷うような家じゃないがな。平屋の1LDKだから。
でも、おじさんの一人暮らしにはちょうどいいんだ。この前入社したばかりのお前さんだって、いずれ俺みたいなおじさんになるんだから、こういう生き方もあるってことは覚えておくといい。
さてと、気の利いたものは出せないが、まあ、その辺に勝手に座ってくれ。
そこのドアが気になるのか? さっき言った俺の寝室だよ。何度も言うが、入るんじゃないぞ。
で、話って何だ?
は? お前さんが話がしたいと言うから、俺の城に招待してやったというのに、恐い話を聞かせてほしいだって?
おいおいおいおい、そういうことなら早く言ってくれよ。こっちはもしかして告白されるんじゃないかと身構えてたんだからさあ。
そっちの趣味はないってか。
そうか、なら安心だ。
もういい年なのにこう見えて怖がりだからさ、襲われたらどうしようって考えちゃったりもするんだよ。
早く話せって?
なんだよ、せっかく恐い話をする前に、場を和ませてやろうと思ったってのに。
はいはい、分かりましたよー。
すぐに恐い話をしてやりますよー。
おじさんが拗ねてもかわいくないとか言うな。お前さんは本当に失礼な奴だね。
さて、どんな話をしてやろうか。あいにくと俺には恐い話のストックがないんだよ。だからまあ、話すことなんか、すぐに決められるんだけどな。
あ、そうだ。トイレの話をしてやろうか。お前さんがついさっき入ったあのトイレだ。
何の変哲もないトイレだったって?
そりゃあ、平日の昼間は幽霊なんて出るわけがないだろう。
じゃあ、今から話すぞ。覚悟はできたか?
あれは先週の土曜日のことだった。
つい最近のフレッシュな怪談だよ。怪談にフレッシュも何もないけどな。
まあ、そんなことはどうでもいい。
先週の土曜日、俺は行きつけの居酒屋で、ちょいと酒をひっかけていい感じで帰ってきたんだ。
そしたらよ、さっきのお前と同じように、家に入った途端に尿意をもよおしてきたってわけだ。
当然、何の迷いもなく、俺はトイレに入ったね。足取りは少しふらついてたけど、問題はない。自分の家だもん。
だが、トイレに入ってドアを閉めたら、今度はでかい方を出したい気分になってきたじゃないか。
だから、普通に便座に腰掛けて頑張ったんだよ。
そしたらさ、外から声が聞こえてきたんだ。
「おーい、おーい」って何回も。
どっかで聞いたことがある声でよ、きっと近所に住んでる誰かが酔っ払って叫んでるんだなって。
そう思ったら、同じ酔っ払いとして、俺は返事をしたくなったんだよな。
だから、俺も「おーい」って言い返してやった。
それから少し静かだったんだけどよ、また声が聞こえてきやがった。
さっきと同じ声でさ、今度は「もういいかい」なんて言ってやがんのよ。
ああ、こいつはやっこさん相当酔っ払ってやがるなと思って、「まあだだよ」って言ってやったんだ。
するってえとどうだい。
さっきと違って静かにならないでよ、一分おきくらいに「もういいかい」って言いやがるんだよ、そいつが。
俺はそれが面白くって、何回も「まあだだよ」って、何回言ったかは分からないが、ともかくトイレを出るまでずっと言ってたな。
実際、俺はずっとトイレにいたんだから、正真正銘の「まあだだよ」だったがな。
汚い話はもういいって? そんなこと言わないで、まあ、最後まで聞きなさいよ。話はまだ終わりじゃないんだから。
そんで、トイレから出ると、ほぼ同じタイミングでスマートフォンに電話がかかってきやがった。
こんなときに誰だと思いながら、ひとまずリビングまで戻ってからスマートフォンを探したのさ。
いつもは胸ポケットに入れておくんだけどな、そのときは胸ポケットがないシャツを着てたもんだから、あちこち自分の体を触りまくってたら、どこにあったのか、机の上にゴトンと落ちたんだ、スマートフォンが。
そう。この部屋の、お前さんの目の前にある低い机だな。
俺はその音にビックリしたんだが、スマートフォンの画面を見てもっと驚いた。
そこに表示されていたのが、一カ月前に死んだ古い友達の名前だったんだ。
あ、まだ終わりじゃないぞ? 話は最後まで聞けよ?
ひどいもんで、そいつは誰かに刺し殺されて死んじまったんだ。警察が言うには包丁みたいな刃物でやられたらしい。犯人もまだ捕まってないんだと。
話を戻すと、スマートフォンの電話番号なんて、死んで契約が終わったら新しい契約者に移るだろ?
だから俺はそれだと思った。偶然にも死んだ友達と同じ番号の人間が、さらに偶然が重なって、間違えて俺に電話をかけてきたんだと思った。
そんなわけで、俺は電話に出ずに、立ったまま机の上のスマートフォンを見下ろして、切れるのを待ったわけさ。
留守電をONにしてなかったから、電話は結構長い時間鳴ってたんだけど、流石に三分は経たないうちに電話が切れて、俺は安心した。
だって、なんだかんだ恐いだろ、死んだ人間から電話がかかってきたら。
そして安心した俺は顔を上げた。
そしたらいたんだ。
そいつが、死んだ友達が。
リビングの奥に。窓の前のあの辺に。
もう、そのときは恐いなんてもんじゃなかった。まるで生きた心地がしなかった。
ともかく俺はそこから逃げた。
逃げて、そこのドアから寝室に逃げ込んだ。当然、ドアには鍵をかけた。更に俺は布団を頭からかぶったよ。
で、聞こえてくるんだ。ドアを叩く音と、トイレで聞いた「もういいかい」って声が。
コンコン
もういいかい
コンコン
もういいかい
コンコン
もういいかい
って具合に何度も何度も。
俺はもう恐くて恐くて、布団をかぶって「ナンマイダナンマイダ」って祈ることしかできなかった。
でも、何時間か経った頃に突然それは終わったんだ。もしかしたら、一時間も経ってなかったかもわからないが、俺にはとても長かった。
そんな恐怖の時間が終わったもんだから、俺はもう助かったんだと思った。
恐る恐る布団から顔だけ出して、周りを見て、やっぱりあれは終わったんだと思った。
だから俺は思い切って布団から出て立ち上がったんだ。
あれが何だったのか確認しないといけないと思って。
恐かったんだけど、もしかしたらあれは強盗だったんじゃないかと思って。
そしたらさ、また聞こえてきやがった。それもすぐ後ろから。
「もういいかい」
え? その後どうなったかって? そんなことは知らないよ。
気付いたら朝になってて、俺はこうしてここにいるんだから、まあ、無事だったんじゃないの?
満足したからもう帰る? なんだい、急だねえ。
おーい、あれを持ってきてくれ。
ちょっと待ってなよ。渡すものがあるからさ。
お、準備ができたようだな。ノックだけじゃなくて、寝室からこっちに顔を出せばいいのに。ちょっと失礼。
うん、この包丁だ。
なんだって? ああ、この包丁と寝室が気になるっていうんだな。
そんなことはどうだっていいじゃないか。
もうすぐ寝室の住人になるんだから。
『もういいかい』 ― 了 ―
もういいかい 津多 時ロウ @tsuda_jiro
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