踊るもの
@majpon37
踊るもの
目の前の緑が揺れる。
自分の背丈よりも高い草が風に揺れ、ざざざ、、、と不気味な音を立てる。
四方八方を木々で囲まれて、僕は冷たい汗をかき、立ち尽くしていた。
目を閉じ、耳を澄ます。
潜水艦のソナーのように、自分の意識を張り巡らせる。
そう遠くないところで、がさがさ、と草が揺れる。
目を開き、音のした方を向く。
確実にいる。
浅い息を吐く。動悸が止まらない。
8月の夜、満月が輝く今日は、月明かりで周りがよく見えた。
"あれ"が出たらすぐにわかる。
"あれ"の話を聞いたのは、じいちゃんの家に行く途中の車内のことだった。
父さんは言っていた。
「ツヨシ、知ってるか?おじいちゃんの家の周りでは妖怪が出るらしいぞ~」
「もう、やめなさいよ、子供をおどかすのは」
母さんが運転中の父さんの肩を軽く叩く。
「すまんすまん。ツヨシもそういうの興味あるかな、と思ってな、、、」
「教えてよ!どんな妖怪なの?」
母さんに子供扱いされたことにムカついて、僕は食い気味に父さんに聞いた。
もう中学生なのに子供扱いされたら誰だって腹立つ。
「名前はよくわかんないらしいんだ。"あれ"とか"それ"とか言われてるらしいんだけど。ただこの妖怪はな、目に見えないんだ。
人の目には映らないらしいんだな」
「透明人間なの?」
「いや、言い伝えによると、元々江戸時代に罪を犯した踊り子が、誰からも口を聞いてもらえない、皆から無視されるっていう刑罰を受けたんだ。
その時の苦しみが妖怪になった、と言われてるらしいね」
「あなたが子供の時からその話ってあったんでしょ?どうせ言うことを聞かない子供のために大人が作った話よ」
母さんは心霊とか、オカルトが嫌いだからな。
父さんをキッと睨んだ。
「そうかもな、、ただこの妖怪、現れたらすぐにわかるらしいんだ」
「どうして?目に見えないんでしょ?」
僕は興味津々で聞いた。学校に行ったら友達に話してやろう。
「それはなぁ~」
「ちょっと、危ない!」
間一髪、道路に急に飛び出してきた猫を、父さんは巧みなハンドル捌きでかわした。
「おおっと!、、、危ないなぁ~今の」
「まったく!あなたが変な話に夢中になるのはいいけど、そのせいで死んじゃったらそれこそ化けて出てきますからね!」
母さんの怒りの炎にあてられながら、父はみるみる運転席で縮こまっていった。
僕は正直話の続きが聞きたかったが、後部座席から見た母さんの顔があまりにも怖かったので黙っておいた。
そうこうしているうちにじいちゃんの家に着いた。
夏休みの数日間だけ、じいちゃんの家で過ごすという父さんの提案はじいちゃんにとって本当に嬉しいものだったようで、僕を見るなりにまっと笑って駆け寄ってきた。
じいちゃんは80歳を超えるはずなのに身長が高く筋肉質だ。
森林業をやっているからだ、と本人は語っている。
「ツヨシ!よくきたのぉ!ゆっくりしていけ!わっはっはっは」
じいちゃんは大きなだみ声で僕の肩を叩く。
強いけど、優しい。
「親父、久しぶり」
「おぉー、マサタカ、ちょい痩せたか?飯はしっかり食わんとのお。マナミさん、このバカ息子がいつも世話になっとります」
父さんと母さんに声をかけたじいちゃんは嬉しそうに家に戻って行く。
たった今仕事を終えたようで、靴の泥を落としに行くようだ。
「相変わらずだみ声のでかい人だなぁ~」
「あら、でもわたし好きよ。あなたのお父さん。なんか男らしい感じじゃない?」
「どうせ俺は親に似てない、意気地なしですよ」
「もう、冗談よ!あははは、、、」
二人とも、じいちゃんに続いて家に入って行く。
じいちゃんは、数年前までばあちゃんと一緒に住んでいたが、ばあちゃんは心臓の病気で道端で倒れて亡くなってしまった。
お葬式でのじいちゃんの悲しそうな姿が今でも心に残っている。
正座した膝の上で拳を握りしめ、今にも泣き出しそうな目をしてたっけ。
涙を堪えているのか、鬼みたいな顔で周りの人も怖がってたなぁ、、
そんなじいちゃんの家の周りははなにもない。
見渡す限り一面畑が広がっている。
家の後ろにはこじんまりとした林があるから、そこではよく一人で探検なんかしてた。
懐かしいなあ。
あの頃はばあちゃんも元気だった。
そういえば、思い出した。
今よりもっと小さい頃、二人に会いにきた時にばあちゃんが言っていた。
「ツヨシ、裏の林には入っちゃいけないよ。あそこには良くないものがいる。名前はないけど、"それ"はいつもこちらを見てるんだ」
どうして忘れていたのだろう。
父さんの話と一緒だ。
僕は父さんが言っていた妖怪の話を聞いていたんだ。
父さんの冗談かと思ってたけど、本当に言い伝えがあるんだ。
そう思って林の方を見た時、林の中で何か動くものが見えた。
なんだろう?たぬき?イタチ?
いや、もっと大きい。というか背が高い。
あれは、、、、
「ツヨシー!晩ごはんよ!早くきなさい!」
母さんの呼ぶ声ではっとした。
林の中を再度見ると、そこには何事もなく風に揺れる木々があるだけだった。
僕はじいちゃんの家に走り出した。
林の中に見えた影が目に焼き付いている。
さっきのは、なんだか人の姿に近かった、、、
晩ご飯は豪勢だった。
じいちゃんは料理も大得意らしく、いろんな料理を次から次へと出してくれた。
父さんも母さんも上機嫌だった。
僕も沢山食べてすぐにお腹いっぱいになった。
軽く眠くなってきた頃、じいちゃんと母さんが洗い物に台所に行ったタイミングを見計らって、僕は父さんに"あの話"を聞いてみた。
「父さん」
「うん?」
「"あれ"っていう妖怪の話、教えてよ。できるだけ詳しく知りたいんだけど」
「お、ツヨシ、やっぱり気になるか?いいぞ、友達に話してビビらせたらいい」
もう友達に話す気はないけど、僕は父さんに向き合った。父さんがビールを開けながら話し出す。
「"あれ"は目に見えないんだって言ったろ?それはな、その妖怪が人に取り憑くからなんだ。しかも死んだ人に」
「ええ、、?それで、取り憑いてなにすんの?」
「それがなぁー、むかし親戚のばあさんから聞いた話だったからあんまり覚えないんだが、、、踊るらしいんだ」
「踊る?」
「そう。確か、、亡くなった人を起き上がらせて踊らせるらしい。それも毎回全く同じ踊り方で」
「なにそれ、、気持ち悪い」
「だよなぁ。でも踊るだけで害はないそうでなあ。だから別に怖いなんてこと、、、、」
「やめんか」
声のしたほうを二人とも振り返った。
鬼のような形相をして、拳を握りしめたじいちゃんがそこには立っていた。
ばあちゃんの葬式の時と同じ、細い目を潤ませて。
「"あれ"の話をここでするのは許さん。次に話しようもんならここから叩き出す、、、わかったな!」
僕と父さんはひたすらうなずいた。
父さんはビールのグラスを床に落としていた。
虫の声しかしない夜。
僕の部屋はばあちゃんが前に使っていた部屋だった。
じいちゃんはあのまま怒って自分の部屋にこもってしまった。
そのまま寝るらしい。
父さんと母さんは謝りに行くかどうか話し合っていたが、結局時間を置いて、明日の朝に話をしに行くようだ。
おやすみを言う直前、父さんは言っていた。
「あんなに怒った顔の親父は久しぶりに見たよ、、、母さんの葬式でもあんな顔してたなぁ」
「お義父さんっていつも怒ったらああなの?」
母さんがテーブルを拭きながら父さんに聞く。
「いや、普段は温厚なんだけど、人の死に目とかには確かに厳しかったな。葬式で足を崩そうもんならたちまち叱られてたっけ、、、」
僕はそんな会話を思い返しながら布団に横になった。
あの時見たものは"あれ"だったのだろうか?
もし"あれ"がいたとしても、害はないのに、どうしてじいちゃんはあんなに怒るんだろう?
確かに亡くなった人の体に入り込んだり、勝手に動かしたりするのは良くないことだけど、、、
そんなことを考えていると目が冴えてきた。
なんとなく体を起こし、開けっぱなしの縁側から外を見る。
一面が田んぼだ。
とても静かな田舎で、じいちゃんみたいに歳を取ったらこう言うところに住むのもありかもしれない。
本当に静かだ。
いや、静かすぎる。
さっきからしていた虫の声が止んでいる。
1匹も鳴いてない。
目の端に何か動くものがうつった。
くねくねと動いてる。
風にカカシがゆらめいてる?
いや、、、、あれ、、、"あれ"は、、、
気づいたら靴を履いて外に出ていた。
気づいたら田んぼを横切り、
気づいたら入ってはいけないと言われてた林の中にいた。
ざざざ、、、、
目の前の緑がゆらぐ。
音のする方に僕は走り出した。
昼に見た"あれ"。
父さんが言っていた、死んだ人に取り憑いて踊るという妖怪。
昼にチラリと見えた不気味な動きをするその影は、そのシルエットは、どう見ても今日、豪快な笑い声で僕を迎えてくれたあの人に見えた。
「じいちゃん!」
どうしてじいちゃんが?
まだ元気なのに。
まだ生きてるのに。
じいちゃんが死んでしまうということ?
まさか、死んだ人に取り憑くのではなくて、次に死んでしまう人に取り憑く妖怪ってこと?
父さんが言っていた、"害がない"のに、あれだけじいちゃんが怒っていたのはそういうことなのか?
だとしたらあれは、、、取り憑かれたじいちゃんじゃないか?
"あれ"に対する疑問に頭の中を埋め尽くされながら、僕はひたすらに走った。
じいちゃんと思われる影は僕の10メートルくらい前で止まった。
林の中をがむしゃらに走ったから、もうじいちゃんの家への帰り道はわからない。
完全に迷子だ。
でもそんなことは今はどうでもいい。
「じいちゃんなの?」
目の前の影はもう影ではなかった。
その後ろ姿は完全にじいちゃんそのものだった。
「じいちゃん、"あれ"に取り憑かれたの?ねえ、、」
膝はがくがく震え、恐怖で胸はいっぱいだったが、精一杯言葉を振り絞る。
「ねえ、じいちゃん、、」
がさっ
じいちゃんが振り向いた。
と同時に、林のだいぶ後ろの方から声がした。
大きなだみ声だ。
聞き間違いようがない。
「ツヨシっ!どこにおるんじゃあ!」
僕はハッとして目の前の"じいちゃん"を見つめた。
振り向いたその姿はじいちゃんそのものだ。
ガタイのいい体格、短く刈り込んだ白髪、厳しくも優しさのこもった瞳、、、、
が、ない。
振り向いた"じいちゃん"の顔には眼球がついていない。
目があるはずのそこには真っ黒な穴が空いていた。
「あ、、、あ、、、」
僕はその場に凍りついた。
動きたいのに動けない。根が張ったように足を動かせない。
"あれ"が笑った。
歯がない。口の中も真っ黒な空間が広がっている。
「あはははははははは。うふふふふふふふふ」
ざらざらした、ラジオの音のような甲高い声が響き渡る。"あれ"が笑っている。
そして、"あれ"はゆっくりと腕を曲げ、伸ばし始めた。
膝もゆっくりと曲げ、伸ばす。
「ツヨシ!どこじゃ、返事をせい!」
「じ、、じいちゃ、、、」
声が出ない。
見えない何かに首を絞められているかのように、息が苦しくなってくる。
"あれ"の動きはめちゃくちゃだ。
手足、首、指に至るまで動かせるところは全部動かしている。激しく。大きく。
「ツヨシ!戻ってこい!」
じいちゃんの大声が響き渡る。
その時、足に力が戻ってきた。
喉にかかっていた力もなくなる。
「じいちゃん!助けてっ!」
目の前で激しく踊り続ける"あれ"から目を離し、僕は走り出した。
草をかき分け、じいちゃんの声が大きくなる方へ走り続ける。
「あはははははは。うふふふふふふふ」
"あれ"の笑い声が頭の中に響き渡る。
「ツヨシ!こっちじゃ!」
「じいちゃん!」
じいちゃんが見えた!
こちらに必死に走ってきている。
ざざざざざざ、、、、、
後ろの林から大きな音がする。
"あれ"が追ってきている。
「ツヨシ、振り向くな!"あれ"の踊りを見たら取り込まれる!
"あれ"はこれから死ぬ人間に取り憑くんじゃない。
これから取り憑く人間を誘き寄せるために、そいつの大事な人間になりすますんじゃ!」
僕は手を広げているじいちゃんの胸に飛び込んだ。
抱き抱えられながら、涙と鼻水でグジョグジョになった顔を拭いた。
じいちゃんは信じられない力で僕を抱え、走り出した。
「良かった。無事だったか。お前の父さんと母さんがな、お前が部屋にいないとわしに言ってきてなぁ。
嫌な予感がしたから林に行ってみたら足跡があったんじゃ」
「じいちゃん、、"あれ"は、、」
「もう追ってきとらん。"あれ"はな、複数の人間がいるときには出てこん」
「どういうこと?」
「分身はできないからのぉ。1人分の大事な人間に化けるには対象は1人しかいないほうがええからじゃ」
遠くにじいちゃんの家の灯りが見えてきた。
おぼろげながら、父さんと母さんらしき影が見える。
「ばあさんもそうじゃった、、、、死ぬ前に言っとったんじゃ。
林で踊るわしを見た、とな。ばあさんは少しボケが始まってたからなぁ。
それはわしじゃないと強く言い聞かせたが
おそらく"あれ"をわしと勘違いしてある日ついに、"あれ"を追って外へ出たんじゃ。
ツヨシ、今のお前のようにな」
「じゃ、ばあちゃんは"あれ"に、、、?」
じいちゃんはゆっくりとうなずく。
ばあちゃんの葬式の時や、今日僕たちに見せたあの表情。
僕はその時わかった。
じいちゃんは悲しくてあんな顔をしていたわけじゃない。
怒っていたのか。"あれ"に。
「今のところ、"あれ"をどうにかする手立ては見つかっておらん。
だからわしのできることは、ばあさんの言っていた通り、あの林に誰も近づけさせないことだけじゃ」
「じいちゃん、ごめん。僕てっきりじいちゃんが取り憑かれたのかと思って、咄嗟に林に入っちゃったんだ」
「こうして生きて帰ってきたからのお、それで十分よ。それに、ツヨシの大事な人がわしだと知れて少し嬉しくもあるよ」
じいちゃんは優しい顔で微笑んだ。
「だがな、今夜起こったことは他の人には言ってはいかんぞ。無闇に噂が広まって、あの林に近づく人間が出てくるかもしれん」
「大丈夫だよ、じいちゃん。こんな怖い思いして、それを広めようなんて思う人いないから」
「がっはっは!それもそうじゃな」
--------------その後、僕は無事にじいちゃん家に帰ってきた。
じいちゃんと口裏を合わせ、田んぼ周りを散歩していて道に迷ったことにした。
父さんと母さんにはこっぴどく叱られたが、じいちゃんが少し味方をしてくれたおかげでそこまで怒られなかった。
そのまま2日間滞在し、僕はじいちゃんに別れを告げ自分の家に戻ってきた。
学校では友達に何も話さなかったし、当然両親にも話さなかった。
普通の日々が続いていた。
じいちゃんの家に遊びに行ってから数ヶ月が過ぎた。
夜、自分の部屋でゲームをしていたら、父さんが部屋に入ってきた。
「ツヨシ、ちょっとこれからおじいちゃんの所に行ってくる。母さんはパートで遅くなるから、夕食は1人で食べられるか?」
「それは大丈夫だけど、どうしたの?じいちゃん」
「うん、、、今朝おじいちゃんの家の近くの知り合いの人から電話があってな。田んぼの様子を見に行ったっきり戻ってこないんだと。
まあそのまま知り合いの家に泊まってることも過去にあったらしいから、あんまり深刻なことでもないとは思うけど。
じゃそういうことだから、家の戸締りよろしくな」
僕はゲームを置いた。
「うん。いってらっしゃい。じいちゃんによろしくね」
--------------ひとつ、気がかりなことがある。
じいちゃんは僕を助ける時にこう言った。
「"あれ"の踊りを見たら取り込まれる」
僕が逃げる直前まで見ていたあの動き。
あれは踊っていたのだろうか?
もし僕があの時点で取り憑かれていたのなら、逃げながら2人で話したあの時間、僕の中に"あれ"がいた、ということにならないだろうか?
じいちゃんは林に人が近づかないようにしていた。
"あれ"がじいちゃんを邪魔だと思っていたとしたら?
僕を介してじいちゃんに取り憑いた?
そして今じいちゃんは、、、あの林にいる?
それに、もう一つ気がかりなことがある。
あの日、僕が昼間に見た"あれ"と、林の中で見た"あれ"は、動きが違っていた。
夜に見たやつはむちゃくちゃに動き回る動きだった。
昼間のやつは、スローでなめらかな動き。
父さんはたしか、車の中で何と言っていた?
「"あれ"とか"それ"とか言われてるらしいんだけど」
「そう。確か、、亡くなった人を起き上がらせて踊らせるらしい。それも毎回全く同じ踊り方で」
その途端、僕は背筋が凍った。
何が起こっているのかわかってしまった。
僕は駆け出した。
じいちゃんのところへ行かないと。
いや、駆け出そうとした。
体が動かない。
まるで全身が痺れてしまったかのように、ぴくりともしない。
そして、やがて、自分の意思ではない力で腕がゆっくりと挙げられた。
足もゆっくりと曲げられる。
首、膝、肘、指、目の動きまで自分では止められない。
真横にあるはずの鏡を見る。
見えない。
助けを呼ぼうと叫びたくても、いつのまにか声が出ない。
歯が無い。
なにもきこえないなにもみえないのにからだはかってにうごいてあたまのなかでこえがきこえ
「あはははははははは。うふふふふふふふ」
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