第一章

第1話 かぐや姫の難題

 文泉三十年六月の中旬、湿った薄い膜が身体に張り付くかのような不愉快な天候。学生服に身を包んだ二人の女性が会議用の個室ブースで話していた。

「朝霧、あんたの計画書を読んだけど......ダメ」

 クセが強いショートカットの、眼鏡をかけた女性が否定した。その表情には眼鏡では隠しきれないほどの大きなクマが刻まれており、疲労の色が強く伺えた。

「なぜでしょうか、宮司課長」

 朝霧と呼ばれた女性、朝霧 紅葉あさぎり くれはは、ぼんやりとした顔で眉一つ動かさず真っ直ぐ上司の顔を見据えていた。

 朝霧の問いに対し、鼻で深呼吸をした後に宮司は答えた。

「......前例がないから」

「その前例というのも、遡ってみれば最初は私の計画のように前例のないものだったはずです。却下する理由にはならないと――」

「前例踏襲であれば他人に説明しやすい、他のチームも今同じようなことをやっている、失敗した時に言い訳が出来る......。あんたの言い分は分かるけど、前例踏襲が一番安全なのよ」

 宮司の眉間にはしわが寄っていた。

「しかし――」

「話はもうお終い」

「......分かりました」

 朝霧は個室ブースを退出した。退出して少し歩き、角を曲がると見知った高身長の二人の女性がいた。

その内の一人である、ふんわりと軽いパーマがかけられたブラウンの髪の女性、星空 姫乃ほしぞら ひめのが朝霧に話しかけた。

「どうでした?」

「いつも通りだよ」

 肩をすくめた朝霧を二人は笑った。もう一人のアスリートのように体格が良い女性、庵野 心あんの こころが話しかけた。

「取り敢えず、オフィスに戻りましょ」


 三人は並んで廊下を歩いていた。両脇の一年生二人は身長一七〇cm以上という高身長だが、対照的に中央にいる二年生の朝霧は身長が一五〇cm未満かつ童顔ということもあり、傍から見れば小学生を引率している女子高生たちに見えた。

「『前例踏襲』ですか。まあ、仕方ないですね」

 庵野が苦笑した。朝霧も苦笑しつつ頷いた。

「おそらく宮司課長含めた課長級たち全員、部長に無理難題を吹っ掛けられたんでしょ。『どうにかして年内に生徒会の年間利益八億円の一割を稼げ』ってね。でも、結局成功しても部長の手柄に、失敗すれば全て実行者である自分の責任。であるならば誰だって失敗を前提にまだ何とかなる方を選択する」

「まるで部長はかぐや姫ですねぇ、本物と違ってさっさと月に帰ってほしいけど」

 星空は悪そうな笑みを浮かべた。

「宮司課長はかなりマシな方ですが、部長含めてみんな、将来の就職と自分の保身しか考えていない。今頃、他のチームでは部長に無理難題を吹っ掛けられた課長たちが、部下たちに無理難題を吹っ掛けているところでしょうね。私たちはまだ低学年だからこんなのんびりしていますが、来年、再来年はどうなっているか......」

「あーぁ、病原菌持ちのドブネズミみたいな連中がゴロゴロいる学園にこれから六年間もいなくちゃいけないとなると、私たちもそのうち感染しちゃうかもですねー」

 朝霧は庵野と星空の辛辣なコメントに苦笑するしかなかった。彼女たちの言う通り、朝霧自身もこれから先自分を保っていける自信は無かったからである。

 星空が何かに気付いたようにハッとした顔つきになり「で、」と朝霧に話しかけた。

「朝霧さんはどうやって稼ぐつもりなんです? 学内通販サービスとか色々やってる技術開発部ならいざ知らず、地域貢献部わたしたちの普段やってることって、地域のゴミ拾い、草むしり......それに幼稚園児との交流ぐらいっすよ? たった一年で、どーやって八千万も稼ぐつもりなんです? まさか八千万貯まるまでゴミ漁りするつもりじゃないですよね?」

 星空の疑問に庵野も笑いながら追従した。

「確かに。私たちにも計画教えてくださいよ。同じ平部員の仲じゃないですか」

 一応朝霧の方が年上ではあるが、朝霧よりも身体が大きい星空に軽く揺さぶられ、計画の開示を迫られたが、ヘラヘラ笑いながら

「内緒」

としか朝霧は言わなかった。


 しかし数日後、朝霧は自身の計画を披露することになった。

 地域貢献部オフィスの休憩室にて、庵野と星空が雑談していた。だが、両者ともその顔は悲哀の色を帯びていた。

「先行して色々やってた別チーム、失敗して解体したらしいな」

 悲しげな声音で星空が呟いた。庵野は下を俯いていた。

「しかも、『前例踏襲』のやり方でね。十年ぐらい前に近くのステージ付きの公園にアイドルを呼んで稼いだことがあってそれに則ったらしいけど結局上手くいかず、それどころか負債を背負うことに。部下たちは別チームに離散、責任者の課長は係長に降格処分させられた挙句に学費、寮費、食費諸々が半年間無償じゃなくなったらしい。......実質、自主退学を勧告されたようなもんだな」

「退学処分っていう死刑宣告よりかはマシでしょ。あーぁ、楽だからっていう理由で地域貢献部に入部するんじゃなかったなぁ~」

 星空の声には悲観と今後どう振舞うべきかという将来への焦燥感が含まれていた。

 二人の間に少し重苦しい沈黙が流れた後、庵野が再び口を開いた。

「そういえば、朝霧さんは?」

「宮司課長とまた話してる。大丈夫かねぇ......」

 庵野と星空はため息をついた。


 数日前と同じ、個室ブースに朝霧と宮司はいた。

「宮司課長、先行していた別チームが『前例踏襲』の計画で失敗されたのはもうご存知でしょう」

「......」

 宮司は祈るように手を組んで下を俯いていた。

対して朝霧は数日前とは違い、眼光には微かに力が宿っており、その口調には幾ばくかの熱がこもっていた。

「失敗したくない、失敗しても最小限に抑えたい、その気持ちは分かります。しかし、このままでは二の舞です」

 宮司は数秒考えこんだ後、顔を上げた。

「......あなたは本当に、この計画が上手くいくと考えているの?」

「そう考えて立案しました。これしか状況を打破する計画は無いと思います」

「......失敗したらどうするつもり?」

「入部したての新入部員が勝手に暴走したとして、私を退部にしてください」

『退部』という言葉を聞いて、宮司は思わずたじろいだ。

「分かってると思うけど、退部イコール退学処分。......退学処分された奴に未来なんてないのよ?」

「だからといって何もしないわけにはいかないでしょう」

 朝霧の即答に対し、宮司は良心からの説得を諦め息を吐いた。

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