第2話 始動
三日後、朝霧は宮司に連れられて校内の廊下を歩いていた。先頭を歩く宮司がふと口を開いた。
「あんたって入部してから部長に会うの初めてだっけ?」
宮司の問いに少し考えるそぶりを見せたあと
「言われてみればそうです。それがなにか?」
と答えた。その答えを聞いた宮司の横顔に薄っすら憂鬱の翳りが遮った。
「いや......、予め言っておくけど地域貢献部の部長――今川さんは、その、難しい性格をしているというか......」
朝霧は笑みを浮かべた。
「部下が苦しんでいるのに安全圏から都合の良いことしか言わないあたり、相当捻じれた性格してるんだろうなとは思ってますよ」
朝霧の返答を聞いて宮司が低く唸った。
「それ、絶対に本人の前で言わないでね」
「分かってますよ」
しばらくして二人は『地域貢献部 部長室』と書かれたドアの前に辿り着いた。宮司がドアを三回ノックしたが
「......返事がない。事前にアポ取ったけどなぁ」
返事が無いドアの前で宮司が独り言を呟いていると突然ドアからガチャンと音が鳴り開いた。ドアの向こうから出てきたのは今川――ではなく、
「あっごめんごめ~ん今川ちゃん独り占めしちゃった~もう入っていいよん」
そう言って部屋から出てきたのは、金髪で縦ロールのツインテールという奇抜な髪型でありながら顔は非常に整っており、制服の上からでも分かるぐらいスタイルが良く、一度見たら忘れられないアイドルのような可愛らしさを身にまとった女性だった。
宮司は半ば放心状態でその女性を見つめながらドアノブを掴んだ。
「あっ......ども......」
先ほど朝霧に対して発してた声とは打って変わり、ほんの少し遅れて間抜けな返答をした宮司の声には畏怖の色が濃かった。その女性は右手を軽く挙げてヒラヒラさせながら
「じゃね~」
と言ってどこかへ去ってしまった。朝霧はいつもの呆けた表情でその女性の後ろ姿をじっと眺めていたが、正気を取り戻した宮司に軽く身体を叩かれて部長室へ入った。
部長室の最奥部には、細い眼鏡の奥から朝霧たちを睨みつけるセンター分けの長髪の女性が分厚い椅子に座っていた。
「生徒会長と話している最中だったんです。それぐらい察して待ちなさい」
いの一番に宮司を叱責したこの女性こそ四年生で地域貢献部の部長であり、今回の『今年中に年間利益一割』という無理難題を宮司含めた課長級たちに吹っ掛けた張本人――今川であった。
「あっ、申し訳ございません......」
宮司は腰を折って『形だけ』の謝罪をした。部下を屈服させて満足した今川の関心は宮司から、全く謝る気配を見せずに眉一つ動かさずじっと自分を見つめてくる朝霧に移った。
「あなたも謝りなさい。社会人として当然だと思わないんですか?」
明らかに怒気がこもった声で今川同様に無条件でひれ伏すことを要求した。しかし、朝霧は特に顔色一つ変えず、
「私たちはちゃんとアポを取りました。ご自身のスケジュール管理は社会人として当然だとは思いませんか?」
と言い返した。
「あ、朝霧っ!」
焦燥した様子で宮司が声をかけたが、今川の顔は微笑みながらも頬の筋肉がヒクヒクと痙攣していた。
「宮司課長......あなた、部下にどういう教育をしているんですか?」
「はっすみません」
宮司はまたコンパスのようにキッチリ腰を曲げて頭を下げた。それでも今川の粘着した叱責は止まらなかった。
「先ほど生徒会長に、いつになったら結果出してくれるの?と、言われました。......本当にその通りです!いつになったら結果を出してくれるのでしょうか、うちのごく潰しの課長たちは!!」
声を荒げ自身の部下たちを卑下する部長に対し、朝霧は冷ややかな目で見ていた。――そのごく潰しの頂点である部長が人任せで曖昧な指示しか出さないからこんな有様なのではないか、朝霧はまたそう呟きかけたが唇に力を込めて言葉を出さないようにした。
頭を上げた宮司が精一杯の作り笑いをしつつ、口を開いた。
「はい、あの、今回伺ったのはその件でして、ここにいる朝霧が計画を立案しましたので、決裁を頂きたく......」
『ここにいる朝霧』と聞いた瞬間、今川は仰天した様子で朝霧を見た。
「課長であるあなた......ではなく、そこの生意気な平部員が?......やる気が無いなら降りてもらってもいいんですよ?あなたたちよりも聞き分けの良い部下はたくさんいますし」
後半にかけて驚愕が顔から消え失せ、酷く冷たい声で宮司を刺した。朝霧は今川の予想通りの反応を見てほんの少しだけ頬を緩めてしまったが、それとは反対に何人もの先輩や同期が不条理なペナルティを課せられたのをその目で見てきた宮司の身体は、反射的に猫のように跳ね上がった。
「決裁を貰いに来たということは絶対に成功させる自信があるんでしょうね、そこの平部員が考えた計画とやらは」
続けて冷淡な表情と声で今川が尋ね、宮司の心拍数が上昇した。
「いや、あの......絶対に......と、言われると......」
自信なさげな宮司の返答を聞いてフンッと嘲笑した。
「絶対に成功する自信が無い上に平部員が考えた計画?よくそんな状態で部長の私に会いに来ましたね。私はとても忙しいんです、課長なのにそんなことも分からないのですか?もう話すことはありません、出ていきなさい」
「はぁ......すみま――」
「絶対に成功する計画などありません」
宮司が再び頭を下げようとした刹那、後方からハッキリとした口調で上司を真っ向から否定した声がした。彼女がその声のした方を振り返ると、先ほどとは異なり若干眉間に力を込めた朝霧がいた。
「計画というものは、目的地に対して考え得る限り最短かつ安全な経路を示した地図に過ぎません。実際やってみれば想定外のことや運に左右されることもある......。それは計画を立案したことがある者なら誰しもが、ましてや部長級ほどのお方であるならばよくご理解されていることだと私は思っていたのですが」
厭味ったらしく明確に反抗した朝霧に、毛穴からマグマが吹き出しそうだと錯覚するほど今川の顔が怒りで真っ赤になったが、部長としての威厳が辛うじて噴火を抑えた。
「あなた......平部員のくせに、よくペラペラ喋るわね。......誰が偉いのか分かっていないのかしら......?」
「階級だけで言えば今川部長だという認識です。もっとも、だからといって黙る理由にはなりませんが」
忌々しい顔で朝霧を睨みつけつつ、隠す気が無いほどの大きな舌打ちをすると「......資料渡しなさい。ハンコ押してあげるわ」と呟いた。
宮司は持参してきた資料を渡すと、それを強引にもぎ取り中身を一切読まずに乱暴に自身の印鑑をぐりぐりと押し付け、また資料を宮司に戻した。
「......勝手にすればいいわ、どうせ他の部下たちと同じように失敗するだろうしね」
「し、失礼しますっ!」
宮司は血筋を浮かべながら歪んだ笑みを浮かべる今川に一礼した後、朝霧を連れて急いで退出した。
「さっきの、ハラスメントのオンパレードだと思うんですけど。誰も相談しないんですか?」
部長室から退出して自身のオフィスへ戻る途中、緊迫感の無い表情の朝霧が聞いた。
「形だけの窓口に相談したところで結局部長に知れ渡って、定例会議に持ち上がる前に潰されるから無駄よ。実際にそういう人を何人か見たし」
朝霧は特に表情を変えることなく「そうですか」とだけ返した。
少し間が空いた後、疲労困憊した様子の宮司が呟いた。
「......あの人は病気なのよ。常に自分が上であることを確認しなければ生きていけないというね。長年、学園にいる人ほどそういう病気にかかりやすい。......無事に卒業したいなら頭の下げ方でも勉強しておくことね」
朝霧は眉をしかめつつため息をついた。
「メンタルやられる前に、腰がやられそうですね」
翌日、ミーティングルームに宮司チームが集結した。
「じゃあ、全員集まったようなので始めてください」
宮司の合図を皮切りに、講演台に立った朝霧は作成したスライドショーを見せながら計画を説明し始めた。最初は全員真顔だったが、既に計画を知っている宮司以外の全員が困惑の表情になり、気づけば朝霧の説明は終わっていた。数ページしかないが、要点はキッチリ書かれたシンプルなスライドショーだった。
一同は硬い表情で朝霧のスライドを見つめていた。発言したいが、喉元に言葉が引っ掛かるような、そんな気持ち悪さが彼女らを支配していた。
少し経ち、宮司が立ち上がった。
「私は朝霧さんの計画に賛成です。みなさんも意見あれば積極的に述べてください」
宮司から意見を促されたが、周りのメンバーからは特に意見は無かった。
朝霧の発案した計画は奇抜ではなくむしろ堅実で、そのうち誰かが思いつきそうな計画ではあったが、この計画を成立させるために一部斜め上の発想が含まれていた。
結局、朝霧の案は可決された。紛糾すると思われていたミーティングは三〇分程度で終わり、各自オフィスへ戻った。
若干蒸し暑さが残る七月上旬某日の放課後、星空と庵野はスマホを片手に慶雲女学園付近の商店街を歩いていた。星空が気だるげに口を開いた。
「なんでこんな蒸し暑い時に外を歩き回らなくちゃいけないのか......。てか、庵野は商店街のこと知ってる? 正直私は寄ったことすらないんだけど」
「いや、私もあまり寄ったことないな。学園の通販で買えばいいし」
「だよなぁ......。通販が出てくるまではまだ活気があったらしいけど今はちらほらシャッターが見える有様だし......」
庵野は星空に対し頷いた。
「朝霧さんの計画はもっともなんだけど、果たして上手くいくのか......」
星空はふと立ち止まり片手に持つスマホを見た。
スマホには、地域貢献部と繋がりのある事業者や中小企業の事業名、代表者名、電話番号、住所などが一行毎に書かれたリストが表示されていた。
「次は、そこの荒木文房具店だわ」
スマホを見ながら二人はまた歩き出した。
時を同じくして宮司は、予防接種を待つ子犬のように生徒会会議室の片隅で縮こまっていた。
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