そよかぜとリンゴ(1)

 私とひ孫の京香ちゃん、そして涼子さんのひ孫の信二さん。

 どこか奇妙な三人で始まった小さな旅。


 それは笹島の裏通りに場所を移していた。


 表通りは賑やかな若者向けの建物が立ち並ぶ反面、裏通りに入ると壁のはがれかけた煤けた灰色の壁に覆われた雑居ビルがあったり、怪しげなポスターが貼られていたり。

 また、昭和の頃は労働者向けに賑わっていたであろう潰れた安宿や飲み屋の跡。

 それらが人気の無い寂れた空気の中、寂しげに並んでいた。

 夜になれば違うのかもしれないが、少なくとも今の午後13時の時点では人の気配さえも感じない。


「すげえ……こういう所って興味あったんですけど、一人じゃ来れなくて……絵美さん、あざっす」


 そう言いながら信二さんはあちこちをスマホのカメラで撮っている。

 それを見て、京香ちゃんは苦々しい表情で言う。


「ねえ、止めなって。誰かに絡まれたらヤダよ」


 私はそんな京香ちゃんにニコニコと言う。


「まあまあ……この程度なら大丈夫でしょう。何かあったら私がお願いした、って言うわ。こんな老い先短い老人に怒る人も居ないでしょ」


「居たらどうすんの?」


「その時は責任もって助けてね、信二さん。あなたが発端なんでしょ?」


 そう言ってクスクス笑う私を信二さんはポカンと口をあけて見ていた。


「絵美さん、すごいっすね。何て言うか……腹が据わってるって言うか。聞かせてくれてる話の人とは別人って言うか……」


「そうそう、私もビビった。ひいお婆ちゃんのイメージっていつでも悠然としてて、絶対慌てないからさ」


「ふふっ、ただ長生きしてただけですよ。あと……人生って死ぬまでの壮大な遊びなんだから、深く考えてたら損ですよ」


「あ、それ……聞いたことある。でも……ゴメンね、私ピンと来なくて」


「いいのよ。あなたたちはそれでいい。あなたたちの未来は不明瞭で……でもキラキラしてて、怖いけどワクワクもする。今はそんな中を自分なりに進めばいい。歳を取ったら分かるからその時で充分よ」


「そんなもんですかね……」


 信二さんがそうつぶやいた時、スマホを見ていた彼表情がパッと明るくなった。


「あ! また書き込みと応援ハートくれてる! 有難うございます」


 そう言ってスマホに向かって頭を下げている信二さんに私は尋ねた。


「何かあったの?」


「俺の書いた小説にいつも応援してくれる人がいるんですよ。『@yamisaba』さんって言う人なんですけど。それに俺が小説で悩んでるときも、さりげなく元気付けてくれたり」


「その人、毎月信二にギフトもくれるもんね。ホント、神だよね。有難うございます、こんな奴を応援して下さって」


 そう言うと京香ちゃんも信二さんのスマホに頭を下げた。


「その@yamisabaさん、って言う方は二人にとって大切な人なんですね」


「はい、会った事は無いけど心から感謝してますし、尊敬してます。俺みたいなのに時間を使ってくださるなんて、感謝しかないですよ」


「そういう方は大切にね。私もこの歳まで生きていられたのは涼子さんのお陰だから。あとは……彰さん」


「あ、ひいお爺ちゃんのこと?」


「ええ。彼は……やさしい人だった。色々あったけど、そんな私を見捨てる事無く」


「でも……一也って人も……好きだった……」


「信二!」


「……あ、すいません……つい」


「ふふっ、いいのよ。実際そうだったんだから。そのお陰で彰さんには辛い思いもさせたわ……だって、始めて会った時からそうだったもの。だって、初めて会った日にわたし、彰さんを思いっきり引っぱたいちゃったんだから」


「マジで! ひいお婆ちゃん、カッコよすぎなんですけど! ね、ね。良かったら聞かせて。ひいお爺ちゃんと始めて会ったときの事」


「もちろん。じゃあどこかのカフェでかき氷でも食べながらにしましょ。暑くてかなわないわ」


 ●○●○●○●○●○●○●○●○


 闇市から村に帰った私と涼子さんは、村の人たちから大層心配された。

 中には肌襦袢にずだ袋を被っている私を見て、涙ぐんでいる人も居た。


「絵美ちゃん……辛かったね。怖かったね……ゴメンね、あなたばかり嫌な事させて。涼子ちゃんも怖かったよね」


「ううん、いいんです。みんなは畑仕事とかあるんだし」


 それから、村長さんから出してもらったお茶と干し芋を食べて、人心地ついた私と涼子さんは家に帰るべく田んぼのあぜ道を二人、歩いていた。


「ねえ、絵美。さっきの事だけど……やっぱ絵美は当分休みな。色々落ち着くまで。買出しは私一人で行くよ」


 涼子さんのその言葉に私はきっぱりと首を振った。


「やだ。涼子さん一人じゃ心配だもん」


「あなたって子は……普段、気ぃ弱いくせにこういう時って意固地だよね」


「ふふっ、涼子さんの時だけね。だって涼子さんにまで何かあったら私、生きてられない」


 そう言うと、涼子さんは泣きそうな表情で微笑んで、突然私を強く抱きしめた。


「ほんっと可愛い! 絵美、大好き!」


「ちょ……ちょっと! 涼子さん!」


 私が慌てていると、近くに人野気配がしたので、慌てて私たちはその方向を見た。

 すると、そこには背の高くて掘りの深い端正な顔立ちの軍服を着た男性が立っていた。


 私と絵美さんは慌てて離れると、手を振りながら必死に言った。


「えっと……違うんです! これはあくまでも友達の印っていうか……」


「そうそう! 私と絵美は……そういうんじゃ……」


 必死に話す私たちを見て、その男性はキョトンとしていたが、やがておかしそうに笑い出した。


「すいません、女性に対して笑うなどと失礼な事を。でも……仲がいいんだな……って」


 ああ……軍人さんに笑われちゃった。

 私は顔から火が出るかと思うような心地で頭を下げた。


「えっと……すいません」


「本当にいいんですよ。所で……瀬能絵美さんのお宅を教えて頂きたいのですが」


「あ、瀬能絵美は……私です」


 おずおずと言うと、男性は一瞬苦しげな表情になるとそれを引き締めなおし、唇を引き結んで私に敬礼した。


「奥様へ瀬能少尉の形見をお持ちしました。伝言も一緒に。僕は新井彰あらいあきらと言います。瀬能少尉の部下でした」

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