第20話 副社長の罪
「……殺人は犯してない。」
副社長・品川は、取調室で静かにそう語ったという。
「自馬院長も、あの息子も生きている。
マイクロチップを外せば、すべて元通りだよ。
頭痛もおさまる。体調も戻る。
……俺は、どれだけの罪になるのかな?」
その言葉に、取り調べ官は沈黙したらしい。
品川は、自分の行為を“軽い罪”だと錯覚しているわけではなかった。
ただ、どこか現実感を失っているような目で、冷静に自分の状況を見つめていたという。
黒岩先生は、それを聞いた後で、吐き捨てるように言った。
「命を奪わなければ罪じゃない、とでも思っているのか。命を“壊す途中”まで追い込んでおいて、何を言う。」
及川も苦々しい顔で続けた。
「本人は“外せば元通り”とか言ってるが……脳に異物を入れて、電流と信号を流し続けていたんだ。見えない後遺症が残る可能性は高い。完全な回復なんて保証できない。」
——そして、僕は黙って拳を握った。
品川は直接、人を殺してはいない。
でも、人間の“心”を操作しようとした。それは命そのものを操作しようとしたに等しい。
それは殺人未遂よりも深く、重い罪だと感じた。
「……品川さん。」
心の中で僕は問いかけた。
「それで、本当に“無罪に近い”と思ってるんですか?」
答えは——沈黙のままだった。
「……で、どの罪で裁くんですか?」
副社長・品川は、取り調べでそう言い放ったという。
「殺人罪には問えないでしょう。殺人未遂ですか?——でもね、殺す目的でチップを入れたわけじゃありませんからね。」
開き直ったようなその言葉に、僕は背筋が凍る思いだった。
それは、自分の罪に対する責任放棄であり、諦めでもあった。
きっと——もうどうでもよくなったのだろう。
復讐心に突き動かされ、倫理も法律も失った末に。
捕まって、すべてが終わって、品川は“自分が何者だったのか”すらわからなくなっているのかもしれない。
黒岩先生は短く言った。
「殺意がなければ罪じゃないと、本気で思っているのか。」
及川は静かに呟いた。
「……技術者はいつもそうだよ。作ったものがどう使われるか考えずに、作ったところで自分の責任は終わりだと思ってる。……だがな、技術は“目的”で裁かれるんじゃない。“結果”で裁かれるんだ。」
僕は息を詰めた。
品川は確かに人を殺してはいない。
でも、人を“壊そうとした”結果は、間違いなくそこに残っている。
開き直りの先にある“絶望”。
その姿を見て、僕は心の底で思った。
——もう、この人は罰せられることすら望んでいないのかもしれない、と。
「傷害罪に該当するな。」
黒岩先生は短くそう言った。
医師でありながら法律にも精通している黒岩先生の言葉は、確信に満ちていた。
「マイクロチップを無断で埋め込んだ時点で“身体への侵襲”。医学的には完全に侵害行為だ。
しかも微弱とはいえ電流や電波信号で脳機能に影響を与えていた。頭痛や体調不良という“実際の傷害”も発生している。……間違いなく刑法204条の傷害罪が適用される。」
僕は息を呑んだ。
たしかに。
品川は殺人でも未遂でもなく、「傷害」というシンプルな罪で裁かれる。
「医療機器という名目でも逃げられない。本人の同意なく埋め込んでる時点で正当な医療行為ではない。完全に違法。」
黒岩先生は淡々と続けた。
「傷害罪は“人の身体を害する行為”。脳だろうが内臓だろうが関係ない。しかもこれは“継続的な傷害”。チップが取り出されるまで、ずっと影響を与え続けていた。悪質だ。」
僕は思わず聞いた。
「……罪の重さは?」
黒岩先生は一瞬考えたあと、静かに答えた。
「執行猶予は付かないだろうな。……下手をすれば実刑。」
及川も頷いた。
「“自分の技術だから”と正当化した時点で終わり。あいつは医療に携わる資格も、技術者としての矜持も失っていたんだ。」
僕は目を伏せた。
……結局、品川は自分で自分を壊していたんだ。
復讐の果てに、自らの未来すら捨てる形で。
黒岩先生は、少しだけ沈黙したあと、静かに言った。
「娘を亡くした苦しみは……確かに気の毒だ。誰だって耐えられないかもしれない。だがな……それとこれとは別の話だ。」
及川徹も低く付け加えた。
「同情はできても、免罪符にはならない。
誰かの不幸を理由に、他人を傷つけていいわけがない。
それを許したら、社会は崩壊する。」
僕は、二人の言葉を胸の中で繰り返した。
品川副社長の娘が命を落としたことは、本当に悲しい出来事だったと思う。
医療ミスを隠した病院側にも、確かに非はある。
でも——だからといって、品川がしたことは「罪」だ。
誰にも奪えないはずの命と尊厳を、あのチップは侵していた。
「……気の毒だけど。」
僕はゆっくりと言葉を選んだ。
「同情は……する。でも、許すことはできない。」
それが、僕の出した答えだった。
復讐は、どれだけ理由があっても、正当化できない。
命は、過去の痛みで差し引きされるものじゃないから。
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