第16話
あの時、屋上から去る時に見た灰野の薄い背中を思い出して俺は考えた。
あいつはそう遠くない未来に死ぬ。そしてどうしても殺したい奴がいる。
俺がそうなったらどうする?
多分そいつを殺そうとするだろう。でもきっと最後の最後はやれないだろうな。恐くなるのか、それとも虚しくなるのかは分からないが。
俺はそういう人間で、それはきっとほとんどの人がそうだろう。
灰野はどうだろうか? あいつも根は良い奴な気がする。ならどこかの段階で諦めてくれるんじゃないか?
やっぱり人を殺すのはダメなことだ。旨いものでも食って、綺麗な景色を見て死のう。そう思い直す可能性もあるんじゃないか?
…………あんまりこの予想が当たる自信はないな。
一体どんな事情があるかは知らないが、それほど灰野の殺気は凄まじかった。
だけど死にかけだからと言ってなんでもかんでも許されるわけじゃない。
あいつが殺したい奴を殺す? まあ、それは百歩譲っていいだろう。いや、よくはないが、止めようとして殺されるよりはマシだ。
でも俺を巻き込むのは違うんじゃないか? あんな風に証拠まで偽造するなんてあんまりだ。
灰野には悪いが俺にはまだ長い人生が待っている。
大学に行って、就職して、安居酒屋で同僚と上司の愚痴を言うっていう素晴らしい人生が。
あと彼女もできるだろうし、結婚もするだろう。子供だってできるはずだ。家を買って、車を買って、ローンを払い続けて、それから安居酒屋で嫁さんと子供が冷たいって愚痴を言う。
なんて素晴らしい人生なんだ。素晴らしすぎて涙が出そうだ。
まあ仮にそうならなかったとしても、かわいい妹と俺達のために働いてくれている母さんには迷惑をかけられない。ついでに単身赴任の父さんも。
だから断ろう。そして説得しよう。あのバットを使ってもいいが俺の指紋は拭いてくれって。凶器を購入したことはバレるだろうが、盗まれたと言い張れば捕まることもないだろう。
そう決めたところでスマホから着信音が鳴り響いた。画面を見ると公衆電話の表示がある。
瞬時に誰からか察した俺は出たくなかったが、それはそれで怒られそうで、そしたらもっとひどいことになる予感というか確信もあったので電話に出た。
「明日の午前十一時。病院まで迎えに来て。裏口のところで待ってるから。じゃ」
金がかかるからか、こちらがもしもしという暇もなく電話は切れた。無論一言も発声できないのだから断ることも説得することもできない。
あまりにも一方的な命令に俺は怒ることもできず、ただ呆然としていた。
分かったことがあるとすれば一つだけ。またしても俺に予定ができた。
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