第10話

 翌日。俺は再び九時過ぎに家を出た。

 やりたいことをするにはできるようになるまで我慢するしかない。この当たり前を改めて理解すると自然に自転車が前へと進む。

 コンビニの店員はまた来たのかって顔をしてるけど、気にしない。またスコールを買ってイートインへ向かう。

 どうせ他にやることなんてないんだ。いつまでだって待ってやる。

 なんでこんなことをするか?

 しるか。今、俺がしたいんだ。理由なんてそれだけで充分だろ。

 さっきスコールと一緒にジャンプも買った。誰も通らなかったらこれでも読んで待てばいい。

 そうだ。気長に待て。もし今日来なくても明日がある。

 俺がそう息込むと視界の端で黒髪がなびき、ハッとした。

 灰野羽美は開店五分前に店へとやってきて、閉まったドアをノックしている。

「………………あ。あ!」

 一瞬呆けたあとで俺はスコールとジャンプを手に取ると店の外へと急いだ。持っていたものを駐輪場に置いていた自転車のカゴに投げ込むとそのまま対面にある修理屋まで向かう。

 店のおじさんが何事かとドアを開け、いくつか会話していた。

 それは聞き取れなかったが、近づくと灰野の声が聞こえた。

「だから引換券はなくしたんです!」

「それだとちょっとねえ」

 灰野に睨まれておじさんは随分と困っていた。しかし灰野はひかない。

「そりゃあなくしたあたしが悪いですよ。でも少しくらい融通を利かしてもいいんじゃない?」

「そうしたいんだけどさ。あれはね」

 とおじさんが言ったところで俺が二人の間に引換券を差し出して会話は止まった。

「券ならここにあります」

 俺がそう言うと灰野は目をぱちくりとして驚いていた。

 おじさんはいまいち状況を理解してないみたいだったが引換券を受け取った。

「ああ。これね。たしかに。じゃあ準備するから中でお待ちください」

 おじさんが店へと戻っていく。俺はと言うと灰野に睨まれていた。

「……あんた誰?」

 分からないのも無理はない。あの時は花火の明かりがあったとはいえ暗かった。足下くらいは見えただろうが、人の顔なんてあんな一瞬では覚えられないだろう。

 俺は小さく嘆息した。

「花火大会の日にお前が飛び膝蹴りを喰らわした相手だ」

 すると灰野は目を見開いた。

「ああ! あの時のクッション!」

「どんな認識だよ」

 薄々気づいていたが、どうやら相当失礼な奴みたいだ。

 だけど会えて話せた。それだけで俺は随分満足していた。

 しばらくして灰野が直った靴が入った紙袋を受け取って出てきた。未だにいる俺を見て眉をひそめる。

「まだいたの?」

「ああ。聞きたいことがあるからな」

「聞きたいこと? あ。お礼言ってなかったわね。ありがと。これでいい?」

「いや、まだだ」

「じゃあなにが聞きたいのよ? 連絡先だったら教えないわよ」

 面倒がる灰野に少しは引換券を持って来たことをありがたがれと思いつつも、俺は本題に入った。

「なんであんなことしたんだ?」

「あんなこと? ああ。あれはあんたがたまたま下にいただけでわざとじゃないわよ」

「違う。蹴りのことを言ってるんじゃない。どうしてあんな時間にあんな所から飛び降りたんだって聞いてるんだ。あそこは明かりもないし、暗くて危ないだろ? いくら神社が小さいって言ってもそれなりの高さだってある。なのにお前は飛び降りた。なんでだ?」

 予想じゃ照れた灰野からとりとめのない答えが返ってくる予定だった。しかし現実は違った。

 灰野は俺を静かに睨んだ。さっきまでとは比べものにならないほど警戒しているのが分かる。

 その殺気とも取れる強さに俺は思わず身をひいた。

「…………そんなこと知って、どうする気?」

 灰野は明らかに俺を疑っていた。腕を組み、まるで敵かどうか探ってるみたいだ。

 予想外の反応に思わず俺はたじろいだ。

「どうするって……。いや、どうもしないけど…………」

 尚も灰野は俺を睨み続けていた。ここでお眼鏡に適う回答をしなければ許さないとでも言いたげに。

 日の当たるところで目の前にするとびっくりするほど肌が白い。腕も足も細く、まるで病人だ。なのに向けられた殺気は修羅そのものだった。

 命が目の前で女の子の姿をしながら燃えている。そんな風に思えるほど、灰野は力強かった。

 気圧される一方で、俺は益々興味を持った。

 こんな風になる理由はなんだ? 普通じゃないことだけは確かだ。

 知りたい。

 その想いが俺を踏みとどまらせた。

 俺の中にある好奇心が灰野の殺気を含んだ視線をなんとか受け止める。

「ただ、やればできることをそのままにして後悔したくないだけだよ」

 この答えが合っていたのかどうかは分からない。

 しかし灰野の視線は疑りから値踏みするようなものに変わった気がした。

「……ふうん」

 納得したのかどうかは知らないし、これで納得されても意味が分からないが、灰野は腕を組んだままなにやら思案しているようだった。

 そして左の二の腕を右手の人差し指で三度タップすると言った。

「教えてあげてもいいけど、条件があるわ」

「条件?」

「そう。買って欲しいものがあるの。それを買ってくれたら教えてあげる」

 いきなりの提案に俺は少し怯んだ。よっぽど高い物だと引き下がるしかないが、とりあえずなにが欲しいか聞いてみる。

「……それって?」

 灰野は答えず踵を返した。

「こっちよ」

 そう言うと灰野は歩き出す。その後ろ姿にはどうにもイヤな予感しかしない。

 灰野は立ち止まって振り返った。

「どうするの? 来るの? 来ないの?」

 俺は悩んだが、ここまで来て諦めるのも癪なので再び歩き始めた灰野について行った。

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