第17話:君じゃなきゃ、ダメなんだ

「約束って、解かれちゃうと、少しだけ、寂しいね」


 佐鳴湖のほとりで詩がぽつりと呟いたその言葉が、俺の心に、小さな石のように、重く、静かに沈んでいった。


 帰り道、俺が運転する原付バイクの後ろで、彼女は何も言わなかった。ただ、俺の腰に回された彼女の腕に、ほんの少しだけ、力が込められているのが分かる。

 その沈黙が、何を意味しているのか。俺には、痛いほど分かっていた。


 俺たちの間にだけ存在する、この不思議な『記憶の共鳴』。

 その謎が解けてしまった時、俺と彼女を繋ぐ、この特別な魔法も、いつか、解けてしまうのではないか。

 彼女は、それを恐れているのだ。そして、何を隠そう、俺自身も――。


 駅前でバイクを停め、ヘルメットを脱ぐ。いつものように「じゃあな」と言って別れるには、あまりにも多くのことが、今日一日で起こりすぎていた。


「……少し、付き合え」


 俺はそう言って、彼女の手を引いた。向かったのは、もう何度目になるか分からない、いつもの公園の、いつものベンチだった。

 八月の夜は、まだ生暖かく、虫の声だけがやけに大きく響いている。俺たちは、並んでベンチに腰掛け、意味もなく、目の前の噴水を眺めていた。

 俺は、意を決して口を開いた。


「……あんたが心配してること、なんとなく分かる」


 俺の言葉に、詩の肩が小さく揺れる。


「俺たちのこの『共鳴』も、謎が解けたら、なくなるんじゃないか、って思ってるんだろ」


 詩は、何も答えず、ただ、自分の膝の上で、強く拳を握りしめた。その姿が、肯定のなによりの証拠だった。

 俺は、一度、息を吐き、そして、続ける。


「正直、どうなるか分からない。科学で説明できるような現象じゃないから。……でも、一つだけ、絶対に言えることがある」


 俺は、彼女の顔を、まっすぐに見つめた。


「たとえ、この変な繋がりがなくなったとしても、俺とあんたが、ここで出会って、パートナーになった事実は、絶対に消えないよ。俺が、絶対に消させない」


 それは、何の保証もない、ただの言葉だった。

 だが、俺の、今の、全ての気持ちだった。


 俺の言葉に、詩の瞳から、一筋、涙がこぼれ落ちた。でも、彼女はすぐにそれを手の甲で拭うと、最高の笑顔で、俺に頷き返した。


「……うん。信じてる」


 その笑顔を見て、俺の中で、最後の覚悟が決まった。

 そうだ。こいつを、これ以上、俺の不確かな過去に付き合わせ、不安にさせてはいけない。


 全てを明らかにし、全てを終わらせる時が来たのだ。

 俺は、姿勢を正し、もう一度、彼女に向き直った。今度は、もう、目を逸らさない。


「舘山寺」


 俺の、いつもとは違う真剣な声色に、彼女は息を呑んだ。


「……俺の過去を、見てほしい」


「え……?」


「俺が、何を忘れて、何から逃げてきたのか。その全てを、あんたにだけは、知っておいてほしいんだ」


 俺の声が、自分でも驚くほど、震えていた。


「俺の記憶に、一緒にダイブしてくれないか。……怖がらせるかもしれない。お前を、俺の闇に引きずり込むことになる。それでも……」


 俺は、一度言葉を切り、そして、一番伝えたかった言葉を、口にした。


「それでも、お前じゃなきゃ、ダメなんだ」


 それは、俺の、魂からの懇願だった。

 俺の全てを、彼女に委ねるという、最大の信頼の表明だった。


 詩は、目を見開いて、俺の言葉をじっと聞いていた。

 その瞳は、恐怖にも、同情にも揺れていなかった。ただ、どこまでも澄んだ、強い光を宿していた。

 彼女はもう、俺が守るだけの、か弱い少女ではない。俺の隣で、共に戦うことを決めた、対等なパートナーだ。


 彼女は、静かに頷くと、俺の手を、両手で、優しく、しかし力強く握りしめた。

 その手の温かさが、俺の震えを、止めてくれる。


「うん」


 彼女は、言った。


「行くよ、どこへでも。佐久間くんの過去へも」


 そして、彼女は、涙の跡が残る顔で、柔らかく、微笑んだ。


「――私は、もうパートナーなんでしょ?だったら、当然だよ」


 俺たちの視線が、夏の夜の静寂の中で、固く、固く、交錯した。

 物語は、終わらせるために、始まる。

 俺たちの、本当の始まりが、今、ここにあった。

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