第15話:始まりの場所と、約束の残響
「決まってるだろ。俺たちの仮説を、検証しに行くんだよ」
喫茶店を出た俺たちは、夕暮れの雑踏の中にいた。意気込んでみたはいいものの、俺はすぐに壁にぶち当たる。
夢の舞台となった「古い神社」。手がかりは、「大きな楠」と、「夏の日の記憶」という、あまりに曖昧な情報だけ。この政令指定都市の、どこにそんな場所があるというのか。
「……どうするんだ、これ」
俺が思わず頭を抱えると、隣を歩いていた詩が、くすりと笑った。
「こういう時はね、図書館だよ。佐久間くん」
「図書館?」
「うん。市の古い地図とか、郷土資料館の蔵書を調べれば、何か分かるかもしれないよ。取り壊された建物の記録とか、きっと残ってるはずだから」
その、あまりにも堅実で、真っ当な提案に、俺は少しだけ拍子抜けした。
ダークウェブだの、裏ネットワークだの、そういう世界の住人である俺には、全くなかった発想だった。こいつは、俺にはない武器を持っている。
俺たちは、閉館間際の浜松市立中央図書館へと滑り込んだ。
ひんやりとした空気と、古い紙の匂いが俺たちを迎える。高い天井まで続く書架の迷路。俺たちは、郷土資料が並ぶ一角に陣取り、顔を寄せ合って、分厚い地図や古びた資料を読み解いていく。
ページをめくる、かすかな音。隣に座る彼女の、真剣な息遣い。時折、触れ合う肩。その全てが、この静寂の中で、やけに鮮明に感じられた。
俺が、持ち前の情報処理能力で、膨大な資料の見出しをスキャンするように読み飛ばしていく。一方、詩は、一冊の、それほど厚くない郷土史の本を、指で一行一行、丁寧に追っていた。
そして、不意に彼女が「あ」と小さな声を上げた。
「……佐久間くん、これ、見て」
彼女が指さしたページには、こう書かれていた。
『かつて佐鳴湖の西岸には、一本の大きな楠を御神木とする、航海の安全を祈願する小さな祠が存在した。周辺の区画整理事業のため、平成の末期に取り壊されたが、御神木であった楠のみは、今も公園のシンボルとして残されている』
間違いない。これだ。
俺たちは、顔を見合わせた。そこには、同じ達成感と、高揚感が浮かんでいた。
ついに、夢の舞台の場所を特定したのだ。
翌日、土曜日。俺は、天竜光から半ば強引に借り出した、年季の入った原付バイクに跨っていた。
「……本当に、これで行くの?」
俺の後ろで、詩がおそるおそるヘルメットの顎紐を締めている。
「文句言うな。これが一番早いんだよ。……しっかり掴まってろ」
「う、うん……!」
俺がアクセルを捻ると、非力なエンジンが唸りを上げ、バイクはゆっくりと走り出した。
背中に、詩の柔らかな感触と、緊張した体温が伝わってくる。彼女は、最初はおずおずと俺の服の裾を掴んでいたが、カーブで車体が傾いた瞬間、「きゃっ」と小さな悲鳴を上げて、思わず俺の腰に腕を回した。
心臓が、うるさい。バックミラーに映る自分の顔が、少しだけ赤くなっているのを、俺は必死に無視した。
佐鳴湖公園は、穏やかな休日の空気に満ちていた。
バイクを停め、俺たちは湖畔を歩く。かつて祠があったとされる場所は、今ではただの、家族連れが遊ぶ芝生の広場になっていた。
しかし、その広場の中心に、一本だけ、空を突くように、ひときわ大きな楠の木が、静かに佇んでいた。
何十年、何百年と、この場所の全てを見てきたであろう、圧倒的な存在感。
夢の舞台が、現実の場所として、俺たちの目の前にあった。
俺は、詩に「少し離れていろ」と、短く告げた。
彼女は、何かを察したように、こくりと頷いて、数歩下がる。
俺は、一人でその楠の木に近づいた。
蝉の声が、まるで記憶の残響のように、頭の中で鳴り響く。
俺は、ごくりと唾を飲み込むと、そのごつごつとした幹に、そっと、右の手のひらを触れた。
その瞬間――世界が、反転した。
断片的な映像と、音声が、濁流のように俺の脳内へ流れ込んでくる。
――夏の、強い日差し。むっとする土の匂い。けたたましい蝉時雨。
――『かくれんぼしようぜ!』という快活な少年の声ーー
――『もういいかーい?』幼い少女の声も聞こえるーー
――『まーだだよー!』
――夕暮れ。泣きじゃくる少女。『……また、絶対、ここで会おうね。約束だよ!』
――『……おう。約束だ』
二人の、強い、強い、「約束」の記憶。
この場所に宿る、残留思念。
俺の特殊な共感する力が、それを無理やり、俺自身の記憶として再生している。
情報の奔流に、意識が持っていかれる。激しい頭痛とめまい。視界がぐらりと揺らぎ、俺の体は、バランスを失った。
「佐久間くんっ!」
朦朧とする意識の中、詩の悲鳴のような声が聞こえた。
駆け寄ってきた彼女が、倒れそうになる俺の体を、その小さな体で、必死に支えてくれる。
「大丈夫!?しっかりして!」
彼女の温かさと、心配する声だけが、ノイズまみれの俺の世界で、唯一の確かなものだった。
俺は、支えてくれる彼女の腕を、無意識に強く握り返していた。
「……ああ」
俺は、なんとか、それだけを口にした。
「……間違いない。ここが、始まりの場所だ」
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