第13話:秘密の作戦司令室
あの日、俺と舘山寺詩は、ただのクラスメイトでも、依頼人と忘却屋でもない、新しい関係になった。
『パートナー』。
その言葉の響きは、俺たちが思っていた以上に重く、そして、どうしようもなく甘酸っぱかった。
翌日の放課後。いつもの化学準備室のドアを開けると、彼女はもう先に来ていた。俺の姿を認めると、昨日までのようにおどおどするのではなく、少し照れくさそうに、しかしはっきりと「おかえり、パートナーさん」なんて言うものだから、俺は思わず咳払いをして顔を逸らした。
こいつは、時々、無自覚にクリティカルヒットを放ってくる。
「……おう」
俺は、なんとかそれだけを返し、カバンから昨夜徹夜で出力した資料の束を、ドン、と長テーブルの上に置いた。
「うわ……すごい量……」
詩が、その紙の山を見て、目を丸くする。
それは、およそ高校生が目にするようなものではなかった。海外の脳科学に関する最新の論文、非合法な記憶取引フォーラムの過去ログを解析したデータ、そして、裏社会で都市伝説のように囁かれる「原因不明の記憶混線」に関する、信憑性の低い噂話の数々。
俺が「忘却屋」としてアクセスできる、世界の裏側の情報だった。
「これから、俺たちの身に起こった『記憶の共鳴』の正体を突き止める。手がかりは、この情報のゴミ山の中だ」
「うん!」
詩は力強く頷くと、自分の椅子を俺の隣にぴったりとくっつけた。そして、俺がやる前に、テキパキと資料を内容別に分類し始めた。その真面目さと手際の良さには、いつも感心させられる。
俺たちの、奇妙で、危険で、そしてどこか甘酸っぱい共同調査が、始まった。
俺は、専門的な知識で、情報の海から有益なものをフィルタリングしていく。詩は、俺が見落としがちな、人間的な視点から資料を読み解き、時折、的を射た質問を投げかけてくる。
「この症例の人、『大切な人を失った』って書いてある。こっちの人も……。佐久間くん、もしかして、強い悲しみも、共鳴のきっかけになるのかな?」
「……あり得るな」
俺一人では、ただのノイズとして捨てていたかもしれない情報。だが、彼女といると、無機質なデータが、意味を持った物語として立ち上がってくる気がした。
「うーん……この論文、言ってること、全然分からないよ……」
数時間が経ち、詩が英語で書かれた論文を前に、ついに頭を抱えた。
「バーカ。分からねえなら、聞け」
俺は、呆れたフリをして、彼女の隣に椅子を引き寄せた。そして、ペンを手に取り、ノートの余白に図を描きながら説明を始める。
「いいか、この学者が言ってるのは、人間の記憶領域は、単一のハードディスクじゃないってことだ。感情を司る領域、論理を司る領域、それぞれがネットワークで繋がってる。共鳴ってのは、多分、このネットワーク同士が、何らかの原因で――」
二人の顔が、思ったよりずっと近かった。
彼女のシャンプーの、甘い匂いがふわりと香る。俺は、説明の途中で言葉に詰まった。詩も、俺の視線に気づいて、顔を真っ赤にしている。
「……あ、と。……そういうことだ」
俺は、無理やり説明を打ち切ると、自分の席へと逃げるように戻った。心臓が、うるさくてたまらない。化学準備室の静寂が、気まずさを増幅させた。
その沈黙を破ったのは、詩のお腹の音だった。
きゅるるる、と可愛らしい音が響き渡り、彼女は顔から火が出そうなほど真っ赤になって俯いてしまった。
俺は、そのあまりのタイミングの良さに、思わず吹き出してしまう。
「……ははっ」
「わ、笑わないでよ!」
「悪ぃ悪ぃ」
俺は、笑いながら、カバンの中から、天竜光に無理やり持たされたアナゴパイの袋を取り出した。
「……これでも食っとけ。腹が減っては、調査はできんだろ」
「……うん。ありがとう」
俺たちは、パイプ椅子に並んで座り、夕日を浴びながら、黙ってアナゴパイをかじった。それは、ただのお菓子のはずなのに、今まで食べたどんなご馳走よりも、美味い気がした。
調査と、他愛ない会話。時々、詩が奏でるフルートの音色。
そんな時間が、何日か続いたある日のことだった。
「……見つけた」
俺は、古いフォーラムのログの中から、一つの書き込みを発見し、声を上げた。
「『同じ夢を見る、見知らぬ二人』。三年前に書き込まれた、原因不明の記憶混線の相談だ。投稿主は、俺たちと同じ、この街の高校生らしい」
詩が、俺の隣からタブレットの画面を覗き込む。
そこには、こう書かれていた。
『助けてください。私は、話したこともない同じクラスの男子と、全く同じ夢を、もう一週間も見続けています。夢の中で、私たちは古い神社の境内にいて、まるで幼馴染のように、かくれんぼをしているんです――』
俺は、詩の顔を見た。彼女も、俺の顔を見ている。
俺たちの瞳には、同じ確信が宿っていた。
「舘山寺」
「うん」
「こいつに、会いに行ってみるぞ」
俺たちの調査が、ようやく、次の一歩を踏み出そうとしていた。
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