壱 主人とおれの散歩

 「レオン、散歩に行くわよ」

 リビングの真ん中あたりにある紺色のソファで目を覚ましたおれは、無意識に主人の声がするほうへ体をむけて立ち上がり、階段を降りて洗面所を通りすぎて玄関へ向かった。そこには真紅のリードと七色に光るデコトラのような首輪をもった我が主人、山本若葉【やまもと わかば】がすこし不貞腐れているような面持ちで立って待っててくれていた。

「もう、遅いじゃない。とっても待ったんだかんね」

 そんなこと言われても、と思わなくもないおれだったが一先ず首を主人の前に持っていき、おとなしく首輪をつけてもらった。昼間のバラエティ番組でちょいブス判定を受けそうな、控えめに言っても趣味のよろしくない首輪、いつもは断固拒否の姿勢に徹底抗戦の構えをみせていたようだが、不貞腐れ主人をみるに、どうもおれに勝ち目はなさそうだと判断したのだが、どうも主人には伝わっていなかったらしい。すこし首を傾げたかと思うと、昔の豆球のようにだんだんと笑顔になり、るんるん鼻歌うたいながら首輪をつけてきやがった。さてはレオンの主人とやら、今日はとてもご機嫌なのだろう。何があったかは知らないが。おれの知ったこっちゃねえ。

「お母さん、レオンと散歩行ってくる」

「最近暗くなるの早いから、気をつけていくのよ」

 我が主人の主人であるお母さんという人間の声を聞き終えるやいなや、勢いよく玄関ドアを開けた主人。おれびっくり。

「ささ、行くよレオン。早くはやく」

 散歩というよりか寧ろ競歩で進む主人に引っ張られながら、抵抗は窒息死を意味するのではとひやり汗をかきながら、おれは主人の思うがままに連れていかれた。


「あー、わかばじゃん、久しぶり」

「よーっす、ゆり。元気してる?」

「元気もなにも、普通だよ」

「いいや、分かるんだよなぁゆりには。あんた、隠しごとあるでしょ?何?彼氏?いやでもわかば好きな人できたことないんだっけ?じゃあ違うか… さてはクジ当てたな」

「なんでもない」

「そんなこという奴がイッチバン怪しいんだから、ねーレオン」

「まってレオンはうちの子ですぅ」

 鮮やかなオレンジ色に染まりれずに空の端にはまだ昼間の青色が残っている午後5時、遊歩道で繰り広げられるミニコント。まだオチがつかなさそうでおれは道の先をぼんやりと眺めていた。

「そういえばさっき遠藤くんにあったよ、ほら同じクラスの」

「あ、あの遠藤くんね、知ってるよ」

「へぇ意外だね、わかば全然男子に興味なさそうなのにね」

「まぁたまたま、1学期委員会一緒で。今度ある体育祭の実行委員も一緒だからね」

「あの実行委員ね。遠藤くんはサッカー部だしわかるけど、わかば運動全然ダメじゃん。どうしてなったのさ?」

「たまたま。内申点上げたくて。ほらわたしあの高校行きたいし」

「わかばずっとその高校行きたいって言ってたもんね。頑張るねぇ」

「そんなに頑張ってないよ。てか散歩行かなきゃ、じゃあ明日学校で」

「んーまたね」

 こいつの主人になんかあったのか、とうっすら思ったが、残暑にやられて帰宅に夢を見いだしたおれは、主人の存在も首輪と繋がっているリードの存在も気にせず、ひたすら進みはじめた。すると、主人もひっぱりに負けたようで歩く速度を上げてついてきた。


 小走りで遊歩道を駆けるおれと俯き気味で考え事をしながら歩いている主人。俺たちの一歩はウサギと亀ぐらいかけ離れたものになってしまった。転ばないためにはおれがスピードを弱めるのが一番だろう。だがおれは駆けるのに夢中になっているこの胴体を制御しきれずにいた。このままサーフィンしたらきっとうまく行くだろう、やったことないけど、などと考えている矢先、おれの首が絞まった。うげっとなりつつ見上げると、主人はただ前を見ているだけだった。だがリードを引いてもびくともしない、いったいご主人サマはどうしちまったんだ。


「お、山本じゃねぇか。散歩か」

「こんばんは。そうなのレオンの散歩で」答える主人の声はちょっぴりうわずっているようだった。

「そうだ、今度実行委員のみんなで焼肉食いに行くんだが、山本も来るか」

「えっ、うん。うん行く。どこに行くの」

「学校の道をまっすぐ行った先にある所。山本ん家とは反対方向だと思うぞ」

「へぇ。そんな所にあるんだね。未知だわぁ」

「じゃあ行く時案内するわ。どこで待ち合わせようか」

「学校の西門あたりはどう」

「じゃあそこで決定な。またラインするわ」

「うん、ありがとう。また明日ね」

「あぁ明日」


 やっと話が終わったと思ったおれは、ぐいっとリードを引っ張った。主人が軽やかについてきた。主人はこんなに痩せていたかのかと思ったが、気にしても無駄だなとただ前を向いて家を目指した。


 おれが憑いてしまったこいつは、どこのペットショップでも売られているただの柴犬だ。愛玩動物ごときが人間社会のあれこれを詮索するのはナンセンス、といったところだろう。だが、遠藤とかいう奴に会った後の主人をみて、どうかうまくいきますように、と老婆心ながら願わずにはいれなかった。


 

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散歩奇譚 浦々紗羅 @yappakoredake7yamada

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