狭間
天川
手
他の者はどうなっただろうか。
そのことも気にかかるが、今はただ安寧が欲しかった。肉体と精神の休息、平穏……そして、魂の安寧。
しかし、それが最早自分には望むべくも無いことも理解っていた。
責務、命令そして時代の潮流。
言い訳が許されるとは思っていないが、自分に選択肢があったとも思えない。おそらく、他の捕虜になったり死んでいった仲間たちも同じであろう。下された命令に従うまま、銃を手に取り「敵」だと云われた相手に向かって引き金を引いた。いくつ屍を作ったかわからない。それも四、五人を過ぎると、いつの間にか心は考えることを辞めていた。
何日も続く銃撃音の中を、狭く冷えた塹壕の中で駆けずり回って過ごし、間隙を縫って前に進む。いや、進んでいるのか後退りしているのかも判然としていない。じっと銃撃の音が途切れるのを待って、ただ足を運ぶ。その繰り返しだった。
だが罪悪感は薄れても、疑問だけはいつまでも離れなかった。
ある時、殺さずに捕虜にした敵兵、その口から出てきたのは我々と同じ言語。聞けば、集められた兵は敵国の人間ではなく、殆どが敵国に併合された周辺諸国の民だという。
一体、我々は何と戦っているのだ────そう思ったら、もはや敵の正中線に正確な照準は付けられなくなっていた。もう、ただ闇雲に、追い払うように弾をばら蒔くことしか。
気づいたときには、自分の銃に弾薬は残っていなかった。弾薬嚢にも予備は無く、背嚢の食糧も底をついていた。干からびたような顔をした仲間がひとり、また一人と力尽きていく。最後の方には、弾薬よりも水の残りばかりを気にする声しか聞こえなくなっていた。そして、その声もやがて無くなる。
目を開けると、眼前に銃口が突きつけられていた。
本能的に手が銃を探ったが、虚しく空を切る。どうやら既に紛失していたようだ。肩から下げてあったはずの銃帯はちぎれており、その先はただぶら下がっているだけだった。軍人失格だろう。代わりに握りしめていたのは誰の物かもわからない空の水筒だった。
ようやく、震える両手を肩口まで持ち上げ、抵抗の意思がないことを示す。荒々しく声をかけられたが、異国の言葉のため意味はわからなかった。何かを尋ねられているようでもあったが、或いは罵声を浴びせているのか。
だが、そんなことは最早どうでも良かった。ああ、ようやく終われる、ただそれだけを感じた。
「……みず」
そして、自分の口からかすれるように漏れ出たのは、ただ飢えを訴える声だけだった。
装備を全て剥ぎ取られ、抵抗の意思も無いと判断されたのだろう。連れてこられた場所で、その敵兵は去り際に足元に水筒を置いていった。それを、ようやく見つけた命の残り火であるかのように喉に流し込み、自分の状況と共に飲み込む。
崩れかけた粗末な壁に囲まれた、広場のような空間。少し離れた場所には、自分と同じように捕虜にされたのであろう兵士数人が、膝を抱えたりうずくまったりしたまま集められていた。
処刑を待つ身か、あるいは収容所送りか。どちらにしても自分はここで終わりのようだ。後悔はない、もとよりそれが許される立場でもないのだろう。この手で人を殺してきた、それが事実だ。理由など考えるのも馬鹿らしい。生まれた国と時代が悪かっただけのこと、いや、愚かな指導者を持ったことが全ての元凶だろうか。
やがて、銃を持った数人の敵兵がゆっくりと虜囚を確認しながら、その一人ひとりに手を伸ばしていく。何かが引き裂かれるような音が、断続的に聞こえてくる。やがて、自分の前にも兵がやってきて、私の右肩に手をかける。
やや乱暴に引き剥がされたのは、自分の所属していた部隊章だった。
おそらく、捕虜となる人間の身分と人数を把握するために回収しているのだろう。その男の手には、既に数枚の部隊章が重ねて握られていた。
……上官から賜った、誇り高き国軍兵士の証。
だが、それも今日で終わりだ。
そう思っていると、何故か今度は左肩にも手をかけられた。その行為に、反射的に身をすくめてしまう。左肩には、国母と謳われた女神の意匠を施したワッペンが付けられていたからだ。
魂の尊厳、たとえ兵士である誇りを奪われようとも、これだけは手放してはならないと思った。顔を伏せながらも、左肩をかばうように身を捩る。
敵兵の指が、そのワッペンの縁を静かになぞった。
「……Holy ?」
かすかに、そう言ったのが聞こえた。
意味はわからない。だがそれが、信仰の証なのかと尋ねるものであることは、なんとなく察せられた。
唇を噛み、震える表情で相手の顔を見つめ、小さく頷く。
手をかけていた兵士は、同じように小さく頷き、そしてそれを剥ぎ取ること無く手を引き、静かに立ちあがり去って行った。
狭間 天川 @amakawa808
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