「影入山」神隠し伝説調査報告書
記録者A
「影入山」神隠し伝説調査報告書
※本書に収められた記録は、あるドキュメンタリー番組の取材・調査報告をもとにまとめられたものである。番組名および関係者のプライバシー保護のため、一部表記を変更している。
[以下、調査報告書本文]
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『「影入山」神隠し伝説調査報告書』
取材班:テレビドキュメンタリー番組『謎解き秘境ファイル』制作チーム
調査期間:令和6年5月15日~6月2日(全19日間)
現地調査期間:同年5月22日~25日(4日間)
調査地:○○県△△郡 影入山周辺地域(以下、「影入山」と記載)
【調査の目的と背景】
本調査は、長らく“神隠しの山”として噂され、インターネット上の都市伝説系掲示板やオカルト系情報誌などでしばしば取り上げられてきた「影入山(かげいりやま)」について、実際に失踪例があるのか、また民間伝承や土地の信仰と失踪との間に何らかの因果関係が存在するのかを検証することを目的とした。
本企画の構想は、前年秋に放送された「廃村で祀られた異神」の特集回の反響を受け、同様の民俗的視点からの追跡取材を希望する視聴者からの投稿メールを契機としている。当初は3日程度のロケ撮影で完結する予定であったが、地域資料や新聞記事の調査を進める中で、過去数十年にわたって継続的な行方不明者の報告が存在することが判明した。このため、番組としては取材体制を拡充し、現地での調査も含めた19日間にわたる長期調査へと方針が変更された。ただし、実際の現地入りは安全面や日程の都合から4日間に限定された。
主な調査目的は以下の通りである:
・地域に根づく口承、習俗、儀礼に関する実地調査
・地元自治体・警察への聞き取りおよび公的記録の収集
・被害者家族・周辺住民へのインタビューおよび記録の整理
・都市伝説的言説との乖離または一致点の検証
また、本企画では調査開始にあたり、第三者的立場からの文化・宗教的知見の補助を目的として、外部の民俗学研究者に協力を依頼した。
【民俗学者・高坂明雄との同行調査】
調査初日に合流したのは、関西地方の某私立大学を退職後、フリーランスの研究者として民俗信仰や民間伝承の現地調査を精力的に行っている高坂明雄(こうさか・あきお)である。
高坂氏は特に「山岳信仰」「場の記憶性」「境界にあるもの」などに関心を持っており、影入山についても以前より独自に資料収集を進めていたという。初対面時、高坂氏は我々のアプローチに対して若干の懐疑を示しつつ、「この地域は聞くよりも歩くことが肝要」と述べ、自ら先導して山麓の4つの集落(うち2つは過疎指定区域)を巡った。
現地では高坂氏の豊富な知識と経験が大いに役立った。彼は地域の古い口承や伝承に基づき、単なる聞き取りだけでは見落としがちな微細な地理的特徴や神社・祠の配置を的確に指摘し、これらが失踪事例の背景となっている可能性を示唆した。また、高齢者と若年層の行動パターンの違いに関する民俗的な解釈を提供し、地元住民の話の裏に潜む禁忌や暗黙の了解を解き明かすことで、調査班の聞き取り精度向上に寄与した。
高坂氏の導きにより、我々は単なる表面的な現地調査を超え、地域の信仰と失踪事案が複雑に絡み合った実態に一歩踏み込むことが可能となった。特に、山中の旧道や祭祀跡地の調査においては彼の助言が不可欠であり、これまで見過ごされてきた情報収集の新たな扉を開いたと言える。
なお、高坂氏は現地に滞在したものの、山中での宿泊は一切行わず、取材班が予定していた夜間ロケへの同行も固辞した。理由については「学術調査の範疇を超える」との曖昧な説明に留まったが、これも彼の調査姿勢の一端を示すものと考えられる。
【行方不明者の記録と傾向】
本調査の重要な柱の一つは、影入山周辺で過去に報告された行方不明者の実態を把握することであった。
しかし、この種の情報は個人情報保護や捜査上の都合により容易に公開されるものではなく、取材班は長期間にわたり地元警察との折衝を重ねた。
その結果、警察広報担当者の理解を得て、失踪者の年齢層や失踪時の状況、地域の概要など限られた範囲でのデータ提供に至った。
この過程は容易ではなく、情報の機微を尊重しつつ、現地調査の裏付けとして必要不可欠なものであった。
警察から得た情報、自治体記録、さらに取材班による現地聞き取り調査を総合的に分析した結果、1980年以降の失踪者は27件に上り、そのうち21件が未解決であることが確認された。
年齢層別:
10歳未満の児童……13名
70歳以上の高齢者……9名
その他(30〜50代の成人男性)……5名
居住地:
全体の約7割(21名)が地元住民ではなく、隣接市町村や他県からの来訪者であり、理由は観光、ハイキング、山菜採り、ソロキャンプ、一部には「心霊スポット巡り」も含まれる。
【地元住民への聞き込み調査】
調査班は影入山周辺の複数の集落で住民への聞き取りを行った。山に対する日常的な接し方や、失踪事案に関する地域の認識を探ることを目的としている。
住民の多くは影入山を単なる自然の山としてだけでなく、昔から「ちょっと近づきすぎてはいけない場所」として、一定の距離感を持って接している様子が見受けられた。過去の伝承や経験則から「深く踏み込むと何か良くないことが起きるかもしれない」という程度の漠然とした戒めがあり、具体的な言葉に出さずとも暗黙の了解として伝わっているようである。
また、失踪事件に関しては「直接的に語られることは少ないが、山中での不自然な消失は昔からあった」という認識が根強い。住民の多くはこれらを忌み嫌うというよりも、「無用に足を踏み入れないことで身を守る」という実利的な態度で捉えている印象を受けた。
聞き取りでは「山の奥は地元の人間でも行かない」「よそ者が軽々しく入るべき場所ではない」といった助言が繰り返され、地域社会における影入山への一定の敬意と慎重さが感じられた。一方で、禁忌や恐怖が過剰に強調されることは少なく、地域の生活文化の一部として程よく緩和された形で存在しているようだった。
こうした態度は、地元住民が長年にわたって山との共生を図りつつも、未知のリスクに対しては節度を持って距離を置こうとする自然な生活感覚の現れであった。
【写真・インタビューによる傾向の抽出】
行方不明者の人物像を探るため、取材班は一部の家族に接触し、失踪前の写真や生活記録の提供を依頼した。だが、その過程は予想以上に困難を伴った。
多くの家族は、対象者に関する話題になると口数が少なくなり、過去の記録を見せることにも強いためらいを見せた。「何年もアルバムを開けていない」「写真はもう手元にない」といった返答が繰り返され、一部では明確に取材を拒まれる場面もあった。協力が得られた場合でも、資料の取り扱いや公開に関する条件は厳しく限定されていた。
それでも十数点の写真や書類の確認が可能となり、そこからいくつかの共通した印象が見えてきた。
多くの写真は、失踪直前に撮影されたものとされていた。学校行事や家族の集まり、自室での何気ない一枚など、場面はいずれも日常的で、特段の異変は写っていないように見える。ただ、写真に写る本人の表情が、場の雰囲気と一致しないような、軽い緊張や違和感を漂わせているものが複数見受けられた。
とくに目を引いたのは、顔まわりに小さな外傷の痕が見受けられた点である。額や頬、唇の端、こめかみなど、いずれも軽度の擦過傷や腫れと見られるもので、一見すれば偶発的な怪我と受け取れる程度ではあったが、複数の写真に共通して繰り返し現れていた。
また、衣服にも違和感があった。明らかに季節に合わない装い、大きすぎる上着、サイズの合わない制服などが目立ち、写真に写る人物の体格や生活とどこか噛み合っていないような印象を残した。
こうした点について家族に確認を試みたが、「転んだだけだと思います」「あの子は昔から写真が苦手で」「たまたまそう写っただけじゃないですかね」といった、曖昧な応答が返されることがほとんどだった。
【年金不正受給事件との接点】
影入山周辺の失踪事案を調査する中で、取材班は過去の報道記事を参照し、行方不明者に関する追加情報の収集を試みた。氏名や年齢、失踪時期などをもとにインターネット上の公開記事を精査していたところ、2009年に隣県で発生した年金不正受給事件の報道に行き着いた。
地方紙〘△△日報Web版〙(2009年8月14日付)には、以下のような内容が掲載されている。
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〖詐欺容疑〗失踪した父親の年金を約5年間にわたり不正受給 ○○市の男を逮捕
○○県警は12日、行方不明となっていた父親の年金を約5年間にわたり不正に受け取り続けていたとして、○○市在住の会社員・佐藤直樹容疑者(当時55)を詐欺の疑いで逮捕した。容疑を認めた上で、佐藤容疑者は「借金の返済と生活費に困っていた」と供述しているという。
関係者によると、佐藤容疑者の父・佐藤繁さん(当時78)はおよそ5年前、隣県にある山間部へ山菜採りに出かけたまま戻らず、以降、所在が分からなくなっていた。家族からの行方不明届は提出されておらず、年金はその後も継続して支給されていた。佐藤容疑者と父親は長年同居していたとみられている。
警察の調べでは、佐藤容疑者は父親が行方不明となった後も失踪の事実を年金機構に届け出ず、口座から年金を引き出し続けていたとみられている。不正に受給していた額は総額で約600万円にのぼるという。
佐藤容疑者の近隣住民によると、父親の姿は長らく見かけられておらず、「最近は直樹さん一人で暮らしていたようだった」と話している。
県警は、父親の失踪の経緯についても慎重に調べを進める方針。
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この報道に登場する「佐藤繁」という名前は、取材班が照会した影入山周辺の行方不明者リストにも記載されており、年齢や失踪時期、地域が一致している。しかし、影入山周辺での具体的な目撃情報や追加の関連情報は得られていないため、確定はできないものの、同一人物である可能性は非常に高いと考えられる。
記事内では失踪そのものと年金詐取事件との関連性は明確には語られていないが、影入山に関連する失踪者の実名が、別件で報道記事に登場していたという事実は、取材班にとって無視できないものだった。
また併せて述べると、繁さんの自宅が所在する○○市と、失踪したとされる山菜採り先の山間部とのあいだには相応の距離(公共交通を使って半日を要する)があり、気軽に出かけられる範囲とは言いがたい。この点から、取材班はこの記事に対して若干の違和感を覚えたことは否定できない。
【取材班代表による所感】
影入山に関わる神隠し伝説および失踪事例について、19日間にわたる調査を実施してきたが、現時点において、明確な因果関係を証明するには至らなかった。資料、証言、伝承はいずれも断片的で、複数の仮説は立てられるものの、検証を支えるだけの物的証拠は得られていない。
また、警察や自治体から得られた情報は、個人情報保護や捜査の都合により極めて限定的であり、必要なデータの収集には大きな制約が存在した。
さらに、調査を進める中で、関係者や地域住民からは、直接的な拒絶ではないものの、微妙な間合いを保たれる場面が幾度となくあった。「深入りしないほうがいい」「その話は昔から続いているけど、聞かないことになっている」といった言い回しが繰り返され、取材班内でも慎重論が徐々に強まっていった。
加えて、民俗学者・高坂明雄氏の協力は極めて有意義であったが、後半になるにつれ、彼の発言や行動にも変化が見られた。とくに現地調査最終日の朝、取材班の打ち合わせに姿を見せなかったことが印象に残っている。連絡は取れたものの、「予定を早めて戻ることにした」とだけ告げられ、詳しい理由は明かされなかった。
これらの事情を総合的に勘案し、番組としては本調査をここで終了し、今後の追跡は困難であるとの結論に至った。
【[追記]調査後に届いた匿名文書】
令和6年8月24日、番組制作会社宛に差出人不明の封筒が送付された。中には、薄茶色に変色した便箋が一枚、無造作に折り畳まれて入っていた。便箋は経年による黄ばみや折れ跡があり、文字は鉛筆で走り書きされたように不鮮明で、一部が黒のマジックで丁寧に塗りつぶされている。宛名や署名は記されていない。
以下に、便箋に記された手紙の全文を掲載する。
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■■■■■(塗り潰し)
お世話になっております。以前よりご相談にのっていただき、誠にありがとうございます。息子は依然として学校に通わず、ほとんど部屋にこもりきりの状態で、育児の疲れが日々募っております。
先日、ご助言いただいた影入りの儀式を、ご紹介いただいた専門の方にお願いしました。幸い費用はかからず、対応いただけたことに感謝しております。
しかしながら、あの儀式が本当に効果を発揮するのか、また私たちの安全が守られているのか、まだ不安が拭いきれません。ご指示いただいた服はすでに用意しておりますが、息子が嫌がらずに着てくれるかどうかは、まだわからない状況です。
とにかく、無事に山に向かってくれることを祈ります。
今後の手続きについてもご案内いただければ幸いです。必要な段取りや書類など、何かありましたらお知らせください。状況に変化があり次第、改めてご連絡いたします。どうぞよろしくお願いいたします。
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便箋は古いもので、いつ、誰が書いたものかは不明である。ただし、そこに記されていた「影入りの儀式」や「山へ向かう」といった言葉は、影入山にまつわる伝説を否応なく思い起こさせた。偶然とは思えぬ符号に、取材班は静かな不気味さを覚えた。
【令和6年9月2日追記】
※便箋の最初にあった塗りつぶし部分について、筆跡の専門家による精密検証を行った結果、「高坂様」と記された痕跡が確認された。調査班はこれが何を意味するか、慎重に判断を進めている。
「影入山」神隠し伝説調査報告書 記録者A @kirokusha_a
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